さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

文字の大きさ
2 / 79
一章 

2(ドグラス)

しおりを挟む
オースルンド伯爵令嬢は元から大きな目を限界まで見開いて硬直している。

可哀想に。
愛しのロヴネル伯爵令息から土壇場であの件を伝えられたらしい。

今夜のパーティーが多くの貴族を招き盛大に開かれているのは、爵位継承だけではなく上級貴族の令嬢との婚約発表を兼ねているからだ。

ああ、カタリーナ。
可哀想に。

細い首の上にちょこんと載った小顔は真っ青で、赤く輝く唇は呆けたようにだらしなく半開きのまま呼吸しているのかさえ怪しい。
耳から頬にかかるカールした金髪。綺麗に結い上げられ、繊細で上品な髪飾りに彩られている。若さを誇るかのような空色のドレスで清楚に着飾り、幼馴染である愛しのロヴネル伯爵令息の晴れ舞台に相応しくあろうと意気込んだその抜け殻が今、人目に晒されている。

誰が見ても明らかだった。
誰もが知っていた。

オースルンド伯爵家のカタリーナ嬢が幼馴染を深く愛していることを。

だが見世物になる権利すら残されていない。
今宵のヒロインとなるロヴィーサを生み出したカールシュテイン侯爵家は、婚約相手となるロヴネル伯爵家やその懇意にしているオースルンド伯爵家と比べてしまえば格上で、話題も視線も掻っ攫うことは約束されている。

棄てられた惨めな伯爵令嬢など小物すぎて、誰も相手にしない。
それがカールシュテイン侯爵家への礼儀だろう。

だが、俺は見るに堪えない。

カタリーナは立ち尽くしている。
大きく見開いた目で、揺れる瞳で、愛しい幼馴染を追いかけている。

あのまま愛する男の婚約発表を直視し祝福するなど、可哀相で見ていられない。

俺はそっと人の波を縫ってカタリーナに近づき背後に立った。

華奢な体。
細い首から肩のラインはしなやかで、これからますます美しさを増すであろう輝かしい時期にこれ程の悲運に見舞われるとは。

「今宵、皆様にお集まりいただきましたのは──」

ロヴネル伯爵の口上が始まる。
美しい金髪碧眼ながら太い眉と丸い目が若干の野暮ったさを醸し出すよく似た親子だ。

「我が息子ステファンに──」

その晴れ舞台は見せてやった方が親切だろう。
父親から息子へと爵位が継承された旨が発表されると、楽団が晴れやかな音楽を奏で、拍手喝采と交わる。

カタリーナは緩慢な動作で腕を動かし、腹の前辺りで他とテンポのずれた拍手をなんとか頑張っている。
だがそれも婚約発表の運びとなると様子が違ってくる。

「嘘」

若きロヴネル伯爵となったステファンの行儀良い笑顔が恭しく向けられた先で、カールシュテイン侯爵家の人間が晴れやかな笑みを返す。

「嘘、うそぉ……」

拍手と喝采と音楽にかき消される高い声を、俺は聞き洩らさない。

俺は無言でカタリーナの手首を掴み、全ての視線が注がれるのとは逆の方向へと足早に歩き出した。

「えっ!?」

意表を突かれただろう。
そうだ。びっくりさせたかった。人間は一度に二つの感情を味わうほど器用じゃない。多少、気が紛れたはずだ。

「なっ……えっ?ドっ、マルムフォーシュ伯爵!?」

何度か社交界で顔を合わせ互いを認知しているが、さして親しい間柄ではない。というか、俺は軽薄な素振りで通しているせいで恐らく忌避されていると諦観していた。だから一瞬ドグラスと名前を呼びかけてもらえたのは嬉しかった。

まあ、愛しの幼馴染相手に悪口で呼んでいたのだろうが……

「な、何をなさっているの?」
「連れ去っている」
「ええっ!?」

程よく元気で可憐な叫びに、俺は口角を上げずにはいられない。

可愛い。
そう、カタリーナは可愛い。

一目見たその瞬間から俺は恋に落ちていた。
はじめから片想いだった。

カタリーナも片想いだった。そうとは知らずに。

「カールシュテイン侯爵家御令嬢ロヴィーサ様と──」

晴々とした野太い声から逃げるように、俺の足は速度を増した。

「えっ?あのっ、ちょっと……!」

カタリーナは困惑している。
俺に困惑している。それでいい。

広間から抜け出したのと同時に背中で新たな喝采が沸いた。
カタリーナは手を引き抜いて逃げることもせず、困惑の後は沈黙を貫きついて来た。

俺たちは夜のバルコニーで初めて二人きり、見つめ合う。
互いに息を弾ませながら。
しおりを挟む
感想 31

あなたにおすすめの小説

さよなら、悪女に夢中な王子様〜婚約破棄された令嬢は、真の聖女として平和な学園生活を謳歌する〜

平山和人
恋愛
公爵令嬢アイリス・ヴェスペリアは、婚約者である第二王子レオンハルトから、王女のエステルのために理不尽な糾弾を受け、婚約破棄と社交界からの追放を言い渡される。 心身を蝕まれ憔悴しきったその時、アイリスは前世の記憶と、自らの家系が代々受け継いできた『浄化の聖女』の真の力を覚醒させる。自分が陥れられた原因が、エステルの持つ邪悪な魔力に触発されたレオンハルトの歪んだ欲望だったことを知ったアイリスは、力を隠し、追放先の辺境の学園へ進学。 そこで出会ったのは、学園の異端児でありながら、彼女の真の力を見抜く魔術師クライヴと、彼女の過去を知り静かに見守る優秀な生徒会長アシェル。 一方、アイリスを失った王都では、エステルの影響力が増し、国政が混乱を極め始める。アイリスは、愛と権力を失った代わりに手に入れた静かな幸せと、聖女としての使命の間で揺れ動く。 これは、真実の愛と自己肯定を見つけた令嬢が、元婚約者の愚かさに裁きを下し、やがて来る国の危機を救うまでの物語。

〖完結〗旦那様が愛していたのは、私ではありませんでした……

藍川みいな
恋愛
「アナベル、俺と結婚して欲しい。」 大好きだったエルビン様に結婚を申し込まれ、私達は結婚しました。優しくて大好きなエルビン様と、幸せな日々を過ごしていたのですが…… ある日、お姉様とエルビン様が密会しているのを見てしまいました。 「アナベルと結婚したら、こうして君に会うことが出来ると思ったんだ。俺達は家族だから、怪しまれる心配なくこの邸に出入り出来るだろ?」 エルビン様はお姉様にそう言った後、愛してると囁いた。私は1度も、エルビン様に愛してると言われたことがありませんでした。 エルビン様は私ではなくお姉様を愛していたと知っても、私はエルビン様のことを愛していたのですが、ある事件がきっかけで、私の心はエルビン様から離れていく。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 かなり気分が悪い展開のお話が2話あるのですが、読まなくても本編の内容に影響ありません。(36話37話) 全44話で完結になります。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

【完結】愛で結ばれたはずの夫に捨てられました

ユユ
恋愛
「出て行け」 愛を囁き合い、祝福されずとも全てを捨て 結ばれたはずだった。 「金輪際姿を表すな」 義父から嫁だと認めてもらえなくても 義母からの仕打ちにもメイド達の嫌がらせにも 耐えてきた。 「もうおまえを愛していない」 結婚4年、やっと待望の第一子を産んだ。 義務でもあった男児を産んだ。 なのに 「不義の子と去るがいい」 「あなたの子よ!」 「私の子はエリザベスだけだ」 夫は私を裏切っていた。 * 作り話です * 3万文字前後です * 完結保証付きです * 暇つぶしにどうぞ

幼馴染の王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 一度完結したのですが、続編を書くことにしました。読んでいただけると嬉しいです。 いつもありがとうございます。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ

恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。 王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。 長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。 婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。 ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。 濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。 ※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...