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三章
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助手とはいえ、泊る部屋となれば別々だ。
そういうわけで私は自分の与えられた客室で寝自宅を整えて、あとはベッドに入るだけというところまで夜も更けた。
そこで、扉が鳴った。
「?」
秘めやかな、小さなノック。
もしも眠っていたら気づかなかったであろうノックを、私は一度は警戒した。まさかあの迷惑なアンジェリカではないかと危惧したからだ。
併し、違った。
「お休みですか?」
控えめに尋ねる声に覚えはない。
但し、女性であることは確かで、昼間のような迷惑をかけてきそうな人物とは思えなかった。私はナイトガウンを整え細く扉を開けた。
「夜分遅く、申し訳ありません」
燭台にだけ照らされた暗い廊下に、ぼんやりと浮かび上がる影。それでも相手が正装だとわかる。こちらは後は寝るだけという姿で恥ずかしいけれど、何やら真剣な雰囲気が気になった。
「私は、メリーポート伯爵令嬢、名をファロンと申します」
「……」
知らない……わけではない。
名前を聞いたこともあれば、姿を見たこともある。
けれど交流のない相手だ。
「折り入ってご相談がありまして、このような夜更けに潜み参りました。不躾なお願いで申し訳ありませんが、話を聞いていただけないでしょうか」
女性にしては低い声。
落ち着いているのは、その年齢のせいでもあるだろう。
メリーポート伯爵家の行き遅れ。
彼女は、そんな醜聞が囁かれている人物だった。
私も、数年前、彼女の話題を出したことがある。決して悪口のつもりではなかったけれど、ある噂について語り合った。
相手は、ステファンだった。
私は今度こそ招き入れる為に扉を開けた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ランプを灯し直して確かめる。
メリーポート伯爵令嬢はやはり正装であり、それは華やかというより畏まった雰囲気のものだった。
背が高く、長い赤毛を頭上で結っているものの毛先が腰に届いている。痩身だけれど身の熟しはしなやかで、さながら血筋のよい牝馬のような印象を受ける。
これ程の美女が未だ独身であることも、醜聞に拍車をかけている。
「ごめんなさい、こんな格好で」
「いいえ、お休み前に申し訳ありません。誰にも知られたくなかったもので」
随分と深刻な様子に、私も自然と緊張してしまう。
椅子をすすめると、彼女は礼儀正しく腰掛けた。私の方が年下だというのに、態度が不自然なほど畏まっている。
薄々ながら気づいた。
彼女は、私の背後の人物を相手にしているのだと。
「それで、ご相談というのは?」
「実は……」
ランプに照らされる年上の行き遅れ令嬢の瞳が揺れる。
迷うように、恐れるように。
一瞬、私を利用して上級貴族に取入ろうとしているとか、結婚の仲介を頼むとか、そんな話かとも考えたけれど、どうも違う気がする。
メリーポート伯爵令嬢ファロンは言った。
「安否を確かめたい人がいるのです」
これは放っておけない。
力になれるなら、なんでもして差し上げたい。
「お話を聞かせてください」
私は年上の伯爵令嬢の腕に手を添えた。
ファロンは震えていた。
「その人物は、高貴な方の元にいて、私ひとりでは参れません。無礼は承知の上ですが、お願いします。マルムフォーシュ伯爵のお供として、私を連れて行ってはいただけないでしょうか。お願いします」
「その方は、どなたなのですか?」
「ウィリアムズ侯爵夫人……チェルシーです。私の、幼馴染です」
私とステファンだったら、年齢的にはステファンに近い。マルムフォーシュ伯爵よりも年上な気がする。
彼女から見れば私など小娘のはずなのに、その小娘を相手に懇願している。その切実さが胸を打つ。
「何か、あったのですか?」
何があったのかは知っていた。
それでも、聞かなければ始まらなかった。
かつてステファンと交わした噂話。
幼馴染として仲の良かった伯爵令嬢二人が、一人の侯爵令息を巡って険悪に。
片方が選ばれて、結ばれた二人は爵位継承、身分もかけ離れ、永遠の仲違い。
「何もないのです……」
恐れに震えるメリーポート伯爵令嬢の声。
「結婚して、もう四年になるのに……チェルシーは一度も人前に姿を現しません。一度、出産したと聞きました。私はお祝いに呼ばれませんでした。でも、妬みや僻みではないのです。おかしいのです。だれも母子の様子を語りません。まるで、生まれた子と一緒に、消えてしまったようで……」
知らなかった。
身分違いの恋で壊れた幼馴染の友情。その続報なんて、誰も噂していなかった。私もあれきり興味を失っていた。
恋を巡り、恋に破れ、選ばれず、敗者は行き遅れと揶揄されている。
社交界にはそれで充分だったのだ。
私も、捨てられた令嬢の一人として風化していくのかもしれない。
「私は、ウィリアムズ侯領への立入を禁じられています。最初の一年は、恨んでいました。次の一年、出産の報せを耳にしてからは、お祝いもできない我が身を嘆いていました」
「お辛かったですね」
メリーポート伯爵令嬢が首を振る。
「次の一年、違和感を覚えました。不吉な予感がしました。誰も若い侯爵夫人の話題を出さず、近況もわかりませんでした。人前に姿を現さないのに、誰も噂しないなんて……」
「確かに、不自然ですね」
「四年経ちました。私は、知りたいのです。確かめたいのです。あの子が生きていることを」
メリーポート伯爵令嬢は私と違う。
私とは別のものを失っている。
「お話はわかりました。明日、私がマルムフォーシュ伯爵に掛け合います」
そういうわけで私は自分の与えられた客室で寝自宅を整えて、あとはベッドに入るだけというところまで夜も更けた。
そこで、扉が鳴った。
「?」
秘めやかな、小さなノック。
もしも眠っていたら気づかなかったであろうノックを、私は一度は警戒した。まさかあの迷惑なアンジェリカではないかと危惧したからだ。
併し、違った。
「お休みですか?」
控えめに尋ねる声に覚えはない。
但し、女性であることは確かで、昼間のような迷惑をかけてきそうな人物とは思えなかった。私はナイトガウンを整え細く扉を開けた。
「夜分遅く、申し訳ありません」
燭台にだけ照らされた暗い廊下に、ぼんやりと浮かび上がる影。それでも相手が正装だとわかる。こちらは後は寝るだけという姿で恥ずかしいけれど、何やら真剣な雰囲気が気になった。
「私は、メリーポート伯爵令嬢、名をファロンと申します」
「……」
知らない……わけではない。
名前を聞いたこともあれば、姿を見たこともある。
けれど交流のない相手だ。
「折り入ってご相談がありまして、このような夜更けに潜み参りました。不躾なお願いで申し訳ありませんが、話を聞いていただけないでしょうか」
女性にしては低い声。
落ち着いているのは、その年齢のせいでもあるだろう。
メリーポート伯爵家の行き遅れ。
彼女は、そんな醜聞が囁かれている人物だった。
私も、数年前、彼女の話題を出したことがある。決して悪口のつもりではなかったけれど、ある噂について語り合った。
相手は、ステファンだった。
私は今度こそ招き入れる為に扉を開けた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ランプを灯し直して確かめる。
メリーポート伯爵令嬢はやはり正装であり、それは華やかというより畏まった雰囲気のものだった。
背が高く、長い赤毛を頭上で結っているものの毛先が腰に届いている。痩身だけれど身の熟しはしなやかで、さながら血筋のよい牝馬のような印象を受ける。
これ程の美女が未だ独身であることも、醜聞に拍車をかけている。
「ごめんなさい、こんな格好で」
「いいえ、お休み前に申し訳ありません。誰にも知られたくなかったもので」
随分と深刻な様子に、私も自然と緊張してしまう。
椅子をすすめると、彼女は礼儀正しく腰掛けた。私の方が年下だというのに、態度が不自然なほど畏まっている。
薄々ながら気づいた。
彼女は、私の背後の人物を相手にしているのだと。
「それで、ご相談というのは?」
「実は……」
ランプに照らされる年上の行き遅れ令嬢の瞳が揺れる。
迷うように、恐れるように。
一瞬、私を利用して上級貴族に取入ろうとしているとか、結婚の仲介を頼むとか、そんな話かとも考えたけれど、どうも違う気がする。
メリーポート伯爵令嬢ファロンは言った。
「安否を確かめたい人がいるのです」
これは放っておけない。
力になれるなら、なんでもして差し上げたい。
「お話を聞かせてください」
私は年上の伯爵令嬢の腕に手を添えた。
ファロンは震えていた。
「その人物は、高貴な方の元にいて、私ひとりでは参れません。無礼は承知の上ですが、お願いします。マルムフォーシュ伯爵のお供として、私を連れて行ってはいただけないでしょうか。お願いします」
「その方は、どなたなのですか?」
「ウィリアムズ侯爵夫人……チェルシーです。私の、幼馴染です」
私とステファンだったら、年齢的にはステファンに近い。マルムフォーシュ伯爵よりも年上な気がする。
彼女から見れば私など小娘のはずなのに、その小娘を相手に懇願している。その切実さが胸を打つ。
「何か、あったのですか?」
何があったのかは知っていた。
それでも、聞かなければ始まらなかった。
かつてステファンと交わした噂話。
幼馴染として仲の良かった伯爵令嬢二人が、一人の侯爵令息を巡って険悪に。
片方が選ばれて、結ばれた二人は爵位継承、身分もかけ離れ、永遠の仲違い。
「何もないのです……」
恐れに震えるメリーポート伯爵令嬢の声。
「結婚して、もう四年になるのに……チェルシーは一度も人前に姿を現しません。一度、出産したと聞きました。私はお祝いに呼ばれませんでした。でも、妬みや僻みではないのです。おかしいのです。だれも母子の様子を語りません。まるで、生まれた子と一緒に、消えてしまったようで……」
知らなかった。
身分違いの恋で壊れた幼馴染の友情。その続報なんて、誰も噂していなかった。私もあれきり興味を失っていた。
恋を巡り、恋に破れ、選ばれず、敗者は行き遅れと揶揄されている。
社交界にはそれで充分だったのだ。
私も、捨てられた令嬢の一人として風化していくのかもしれない。
「私は、ウィリアムズ侯領への立入を禁じられています。最初の一年は、恨んでいました。次の一年、出産の報せを耳にしてからは、お祝いもできない我が身を嘆いていました」
「お辛かったですね」
メリーポート伯爵令嬢が首を振る。
「次の一年、違和感を覚えました。不吉な予感がしました。誰も若い侯爵夫人の話題を出さず、近況もわかりませんでした。人前に姿を現さないのに、誰も噂しないなんて……」
「確かに、不自然ですね」
「四年経ちました。私は、知りたいのです。確かめたいのです。あの子が生きていることを」
メリーポート伯爵令嬢は私と違う。
私とは別のものを失っている。
「お話はわかりました。明日、私がマルムフォーシュ伯爵に掛け合います」
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