さようなら、私の愛したあなた。

希猫 ゆうみ

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三章

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「人攫いじゃないという証拠を見せろ!」
「?」

表から不穏な怒声が聞こえたのを合図にメリーポート伯爵令嬢が動きかけると、マルムフォーシュ伯爵が腰を上げた。

「いい、俺が出よう。その方が話が早い」

真正面に座る私が限界まで膝を引く。前屈みになって迫る顔面には余裕と好奇心が洩れ出でている。いつも飄々としているのは慣れてきたとしても、女性を前にした途端はしたない下心を臆面もなく匂わせるのは、見ていていい気持ちがしない。

「挨拶もさせて頂けなかった……」

マルムフォーシュ伯爵が馬車を降りて数秒後、メリーポート伯爵令嬢がやや呆然と独り言ちる。私は彼女への気遣いを忘れるわけにはいかない。

「あの方のペースを受け流すのは至難の業です。粛々とやりすごしましょう」
「ええ……、……」

メリーポート伯爵令嬢が何かを言い淀んだ。併し即座に切り替え、清々しく口角をあげた。

「レディ・カタリーナ、あなたは芯の強い方ですね」
「い、いえ、そんな……」

褒められて悪い気はしない。
でも、どういうわけか頬が熱くなる。メリーポート伯爵令嬢から向けられる強い視線と、低めの落ち着いた声音にその原因があるように思われた。

要するに、私は照れているのだ。

「本当に感謝しています。あなたがいなければ、マルムフォーシュ伯爵に救済を求めるなど、とてもできませんでした」
「あ、ああ、あ、成り行きです……っ」
「ふふ。謙遜なさらないでください。事実ですから」

メリーポート伯爵令嬢の顔に笑みが広がる。
こんなに美しい女性が行き遅れと揶揄されるなんて、世の中が間違っている……ような気がしてしまう。

「あ、あの……!」
「何でしょう?なんでも仰ってください」
「あの、私相手にそのように畏まらないでください。レディ・ファロンは私からすると年長者で、畏まるべきは私の方なのですから」
「それを言えば、年下というだけで私に畏まらないでください。姉だと思って、どんなことでもして頂いて構いません」

口調は相変わらずだけれど、メリーポート伯爵令嬢の表情と空気はだいぶ親しみやすいものに変わった。

「で、では、妹だと思って、この際、敬語はやめて……みていただいて」
「承知したわ」

意外。
了承されるとしても、その言葉が返されるとは思っていなかった。

私が年下だからなのかしら。
この御姉様に、無性に、甘えたくなって……きてしまっている自分に驚きを隠せないわ。

「カタリーナ、と呼んでいいかしら」
「ええ、もちろんです。レディ・ファロン」
「やめて。あなたみたいな素敵なレディから〝レディ〟を付けて呼ばれると、自虐的な気分になってしまう」

自虐的からは程遠い清々しい笑みを湛えて、目を細めて笑うその顔の、なんと魅力的で美しいことか。

「でも、そうしたらなんとお呼びすれば……」
「ファロンでいいわ」
「え?さすがに、それは失礼では」
「どうして?」

どうして?

「……」

これは困った。
自分のペースに持ち込むのが巧みな人が、一人増えた。

「では……ファロン」

言ってしまった罪悪感と、嬉しそうなメリーポート伯爵令嬢の笑顔を浴びる快感のと狭間で、私は未だかつて味わった事のない困惑に苛まれてしまう。
今日ほどマルムフォーシュ伯爵の存在を求めた日は、未だかつて、なかった。

「嬉しい」

メリーポート伯爵令嬢は喜んでいる。

「できれば、心の中でもそう呼んでね」

的確に見透かされ、内容はどうあれぎくりとさせられた。
もし次にまた同じ事が起こり「今メリーポート伯爵令嬢と呼んだわね」などと言い当てられたりしたら恐いので、私は平和な道を選択する。

メリーポート伯爵令嬢……ファロン。

「ええ」
「本当にありがとう。全て済んだら、お礼をさせて」
「……」

選択するのよ。

「……楽しみ」
「ええ。期待していて」
「何の密談かな、麗しの花たち?」

マルムフォーシュ伯爵が戻ってきた!
こんなに嬉しいことは無いわ!

「申し訳ありません、閣下」

メリー……ファロンも凛とした表情に戻った。私は平和を手に入れた。

「気にするな。皆、真面目だな」
「マルムフォーシュ伯爵家の馬車を人攫いの輩と間違えるなど、本来なら不敬罪で投獄されてもおかしくありません。私の説明が不十分であったばかりに……」
「不敬罪?まさか。レディ・ファロンが大切にされていて嬉しかったよ。無事に和解したからご安心を」
「寛大な御配慮に感謝いたします」

マルムフォーシュ伯爵がにこやかな表情でまた真正面に腰を落ち着ける。
表では、やっと荷物の移動が始まったようで、御者同士が掛け合う声が聞こえてくる。

「一つ、良いことを教えよう」

寛いだ様子で腕を組んだマルムフォーシュ伯爵の声に、私だけでなくファロンも注意深く耳を傾ける。
マルムフォーシュ伯爵は言った。

「ウィリアムズ侯爵夫人が産んだ子は娘だ。名はクレア」
「……っ」

隣でファロンが震えている。
私は、膝の上で握られているその手にそっと手を添えた。

「聞いた話では、ウィリアムズ侯爵の母君の元で教育を受けているらしい」
「……それでは、チェルシー様とご一緒というわけではないのですか?」

とても声を発する余裕があるようには思えないファロンの代わりに、私が尋ねる。するとマルムフォーシュ伯爵が頷いて、微かに笑みを硬化させた。

「そのようだ。同じ城で暮らしてはいるが、居住区が別れているのか、生活が分かれているのかわからないにしろ、母と子が引き離されていなければそんな言い方にはならない」
「チェルシー……」

ファロンの声が擦れている。
私は硬く握りしめられたファロンの手を励ますように撫でた。

「急がせよう。俺が行けば、お目通しが叶わないなんてことにはならないさ」

マルムフォーシュ伯爵の発言も励ましには違いないように思える。けれどその目は、私が真剣に励まそうとしている手元にそれとなく注がれていた。
何故だろうか。私にはそれが、些か、不可解だった。
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