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34(クリス)

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「結婚、してくれ、ですって?」
「あ……」

ミシェルが杖を掴んだので僕は身構えた。これはもう、何をされるかわかったものではない。

お気に入りの椅子で寛いでいた小柄な猛獣もとい婚約者のミシェルが、愛用の杖を槍よろしく僕へと投げつけるのか歩いてくるだけなのか……それが生死を分ける!

「エスターが大変な時にあなたは何を言ってるの?」

杖で体を支え、椅子から腰を上げる。
歩いてくるらしい。

「あ、いや、エスターが、私の事はいいからもうミシェルとけっ──」

デュンッ!

「ひっ!」

ミシェルが軍神よろしく杖を足元に叩きつけ僕の口を封じる。絨毯で音が吸収されようと凄まじい迫力だ。

「クリス!」
「はいっ!」

愛くるしいミシェルに僕の心はひれ伏す。

「エスターはこれから、あの忌々しいルシアンの息の根を止める為の裁判に臨むのよ。私たちも証人として王都へ向かう」
「その通りです」
「どこに結婚してる暇があるって言うのよ!」

憤激のミシェルをどうどうと宥めつつ、僕は距離を詰めていく。まだ杖が取れないミシェルが憤怒に任せて転んだりしてもすぐに受け止められるように。たとえこの身が打ち果てようとも厭わない。

「あの日、捕り逃したあなたにも、無様に返り討ちにあった私にも、自分たちの恋に溺れる資格はないわ」
「……やっぱり」

ミシェルの落馬事故は僕にとってもエスターにとっても衝撃だった。

ミシェルは命に別状はないとしながらも当初は僕さえ会わせてもらえず、扉越しに僕は泣いた。声が聞こえて生きていると安堵しながら、酷い姿をいくらでも想像できた。

今日まで徹底して落馬事故と貫いてきたミシェルが、やっと口を開いた。

「君の大怪我はルシアンのせいだったんだね」
「ええ、そう!」

決めたら早いミシェルだ。

「どうせ裁判で言うから全部話すけど、私とお父様は極秘にルシアンを追跡していたの。あんな男は亡き者にすべき、エスターには言わなければいいってね」
「うん」
「見つけたのよ」
「うん」
「それで追い詰めた」
「うん」
「そうしたらルシアンの奴、アスカムに石を投げたのよ!」

アスカムはミシェルの愛馬だ。落馬事故の後も大事にされ、今日もむしゃむしゃと草を食んでいた。

「姑息にも程があるわ!」
「そうだね」
「右目に石が当たってアスカムが暴れて、私、振り落されたの。岩場でね」
「うん」

落馬したのは事実のようだ。

「顔を守らなきゃって身を捩ったら両足と右手首を折ったわ。不覚!!」
「悔しいね」
「ええ!アスカムは三日も迷子になって本当にどうしようかと思った」

恐る恐るミシェルの肩に手を置く。

「運がよかった」
「誰が!?」

間近で熱く睨みつけられると、僕は生きていることを実感する。スリルではなく愛情の話だ。

「ルシアンさ。君とフィギス伯爵に追われながら生き延びた」
「そうなのよ!」

ミシェルが僕にきゅっと抱きついてくる。

「あなたのそういうところが好き。全部わかってくれる」

僕はじんわりと胸が熱くなり小柄なミシェルをそっと抱きしめる。完治した右手で杖を持つミシェルは、左手と右腕で僕の胴体を万力の如く締め付ける。

「アスカムは……可哀相だったね」
「ええ」
「でも帰ってきてよかった」
「ええ、そうよ」
「君も大変だったし、偉かったね」
「ええ……」
「ずっと秘密にしたんだ」

僕の胃の辺りに顔を擦りつけ、ミシェルは頼りない声で啜り泣きを始めた。

「だって……エスターが知ったら絶対に自分のせいだって思ってしまうもの……気にしないでって言っても私が満身創痍だったら説得力ないでしょう?」

エスターとミシェルはあまりにも違い過ぎる。
全てを分かち合う形の友情ではないが、全く違う相手を丸ごと受け入れる形の愛には、時には嘘と秘密が必要かもしれない。

間に挟まる僕は良いクッションだと自負している。

「殺し損ねたわ……でも、王様が始末してくれるなら気持ちよく譲れる」
「三代前は盟友だからね」
「ええ。女の人たちには悪いけど、私は満足よ」
「……」
「お父様も満足ですって」
「よかった」

ふわふわの金髪を撫でると、まるで可憐な令嬢を勇気付けているような気分になれる。だが実は違う。この愛くるしい猛獣を包み込むという名誉に僕は痺れた。

なんて可愛いんだ……
ミシェル……愛してる……

結婚がいつになろうと構わない。僕たちは深く愛し合っているのだから。

「そろそろエスターに会いたい?」

優しく問いかけるとミシェルはぎゅっと一際強く僕の胴体を締め付けた。

「何を言ってるの?杖ついて歩いてるのよ。見えないの?」

僕は天井を仰ぎ目を閉じて答えた……

「見、えます……」
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