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6(レオン)

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ノックの直後、此方の返事も待たずに開かれた扉から彼女が館内に入って来た時、単純に驚いた。

彼女は背が低い丸顔の女性で、若いのだが真面目な表情には既に風格がある。
上品な旅用のドレスから貴族であることは一目瞭然だ。
一人で忍んで来るのもわかる。

だが知らない顔だ。
それにどうも不機嫌に見える。

美しい亜麻色の髪はきっちりと結いあげられ、多少のほつれ毛も厳格さを損なわない風情がある。
一見して地味で清楚な印象を受けるが、透き通るペリドットの瞳が知性を現しながらも神秘的な光を宿している。

客として来たと言うより、この館の存在に異議を申し立てに来たと言われた方が納得だ。
第一、新たな客の話など聞いていない。

「おかえりなさい、お嬢様」

年齢から判断し僕はそう声を掛けた。
いつも通り親しみを込めた笑顔も忘れない。

「……」

彼女は玄関扉を背にして佇み、僕を凝視した。

似つかわしくない。
それが彼女に抱いた率直な感想だった。

人のよさそうな顔立ちは本来ならば相手を無条件で安心させそうなものだが、今のところ好意らしきものが向けられていない上、やはりどうも怒っているように見える。

「それが挨拶なのね」

実際の年齢は知らないが、見た目から受ける印象より大人びた落ち着いた声だった。

僕はくすりと笑いを洩らした。
馬鹿にしたわけではない。緊張しているなら、それをほぐして差し上げるのが僕の務めだ。

僕が一歩近づくと、彼女は僅かに眼力を強めた。
畏怖の念を抱くと言えば多少は聞こえがいいかもしれないが、単純に、恐かった。

おお、これは恐い女の子が来たぞ。
僕はそう思った。

「あなたのお好みに合わせて改めますよ。僕はあなたの奴隷ですから」
「……」

あからさまな軽蔑の眼差しを向けられても、僕はいつもの笑みを浮かべ続けた。

こんな辺鄙な場所まで一人で貸馬車を使って人目を忍びやって来たのだから、客は客なのだろう。
繊細な女心は丁寧に扱わなければいけない。

色味、質感、匂い。

どんな素材にも奥深さと相性があるものだ。
たとえこの真面目くさった御令嬢がどんな醜い願望を肉の内に隠していようとも、乱暴に抉じ開けてはいけない。

彼女の夢を、そして彼女自身を美しく仕上げるのが僕の務めだ。

玄関広間の奥には左右に分かれる大階段があり、頭上にはシャンデリアという内装だが、壁際の天井だけは二階部分の床でもある。
扉から向かって右の壁際には書架とテーブルが用意してあり、面談やちょっとした知的なお茶の時間が楽しめるようになっている。

左側はさも読書をしてくださいとばかりに一人掛けのソファが置いてある上、これ見よがしに地球儀まで添えてある。

慣れてくるとさっさと素通りして部屋に篭る客がほとんどだが、この真面目そうな御令嬢はどうなるだろうか。
滞在中も本に気を散らして部屋に持ち込む姿はらしいと言えばらしいし、案外、化けるかもしれない。ただ間違いなく一人掛けのソファに座り何時間も読書している姿のほうが説得力がある。

誰の客だ?

「どなたのご紹介ですか?」

僕はそう尋ねたが、彼女は大真面目に答えた。

「私が買うのは奴隷ではなく男娼です」
「え」

似合わないの一言に尽きる。
たとえそれが目的であったとしても、こんなに貞淑且つ真面目そうな清楚の極みみたいな御令嬢が真顔で口にする言葉でもない。

彼女は慇懃な態度で僕を見上げた。

「あなたも男娼ですか?先程、表で花の世話をしていた男性はお仕着せを着ていましたが、あなたは違いますね。多少寛いだ様子とはいえそのまま社交界に出ても通用しそうですが」

説教されている気分……。
一先ず、ごめんなさいと詫びてみようか。

僕でも、他の奴等でも、外見には自信がある男ばかりだ。そんな自分を呪っている。
だが貴族の女たちは僕らに蕩け溺れていく。

この子は軽蔑する僕らに抱かれるという背徳感を求めるタイプなのだろうか。真面目な性格の箍が外れて酷くなるタイプと、可愛くなるタイプがいるが……

「ありがとうございます。あなたに相応しい人形であるように、どんな努力も厭いません」
「人形?」

美しいペリドットの瞳の上で、眉が怒りを込めてつり上がる。

難しい。
この御令嬢は難しい客だ。

こういう客は僕ではなく元貴族のヨハンに担当してもらうのが絶対にいいと思うが、まずは希望を聞かなくてはならない。
誰の紹介かも、どの男娼をお望みなのかも聞いていない。名前すら知らない。

「ええ。僕はあなたのお人形になれますか?それとも別の者をお望みですか?まだお決まりでないのなら、のんびりとお喋りは如何ですか?お疲れでしょう?すぐにお茶をお持ちします。さあ、そちらに──」

僕がいつも通り親しみを込めた笑顔でテーブルの方へと誘った瞬間、上階から激しい客の嬌声がたゆたうように洩れ聞こえ、清々しい昼日中の空間を妖しく濁らせた。

その中で僕たちは見つめ合っていた。

「……」

彼女は大きく目を見開くと、肩を怒らせ、身震いして硬直した。

それまであった威厳は消えていた。年端も行かない箱入り娘が情事の叫びを聞き恐がって震えているように見えた。

帰そう。
このまま、名前も聞かずに。

彼女は今日ここへ来たことも、僕との出会いも、ただ黙っていればいい。無かった事にしてしまえばいい。

僕は手を伸ばした。
安心させてあげたかった。だから笑った。

「!」

彼女は戦慄し、僕の手を跳ねのけるよう手を振り上げた。本当に無我夢中という感じだ。
指先が左目付近を掠る。

「!」

僕は反射的に目を閉じて躱した。
その隙に彼女は身を翻し、大慌てで館を出ていく。

……これでいい。

彼女の人生から僕らのような存在が永遠に消え去り、僕らのようなどうしようもなく汚れた生き物から彼女のような綺麗な存在が消え去った────かに思えた、が。

「?」

数分も待たずして再び扉は開かれた。
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