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13(レオン)

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ビズマーク伯爵令嬢と聞いてもぴんとこなかった。ただ、似合うと思った。
御令嬢の名はヒルデガルド。

ああ、ヒルデガルドか……

ぴったりだ。

「何故笑うの」
「素敵なお名前だと感動したんですよ」
「そう。あなたも立派よ。偽名かもしれないけれど」
「ありがとうございます。あなたのレオンです」

気分がよくて、御令嬢に心からの笑顔を向ける。

しかし麻袋が重い。
余程の根性がなければこんな荷物を腰に巻き付けて旅などできやしないだろう。

ヨハンが狼狽え断固として追い返そうとしたこの御令嬢ヒルデガルドに一体どんな事情があるというのか。何をやり遂げたくて、僕に何をしてもらいたいのか。

ヨハンを追い払って聞き出したい。

「なんということだ……」

ヨハンは出会ってから今日までの中で一番の落ち込みを見せている。
僕は太った猫でも抱くように麻袋を左手全体で支えてから、右手でヨハンの肩を叩いた。

「安心してくださいよ。事情があって協力してほしい旨を二人が出てくる前にちゃんと聞いてますから」
「どんな事情が……ああ、レディ……あなたは私たちに関わってはいけない」

ヨハンは諦めない。

「御父上に秘密ということなら私が密偵を手配するから」
「結構よ」

御令嬢もきっぱりと突っぱねる。

「あなたに個人的な親切を施される理由がありません」

いつまでも平行線を辿りそうな雰囲気は多少和らげる必要があるだろう。
御令嬢に怒られるかもしれないとは思いながらも僕はヨハンの身元を明かした。無論、そんな権限など僕にはないが。

「この人はヨハン・クラインベック。ツヴァイク伯爵に勘当された元伯爵令息です」
「…………」

御令嬢は絶句した。
ヨハンはまだ悔しそうに溜息をついたりしながら頑固に傍に佇み続けている。何としても僕を選んだ御令嬢に関わるつもりだ。

確かに最初は元貴族のヨハンに任せた方がいいと思った。
だが、今は違う。御令嬢は僕を指名し、ヨハンを疎んでいる。尊重すべきだ。

そして抱かれたくないと明言している御令嬢をヨハンに任せるより僕自身に任せた方が安全だという真理も僕を突き動かしていた。

併し、まあ、それとこれとは別である。
ヨハンに対する警戒心が薄まり僕との契約が危ぶまれようとも、御令嬢が安心する方が百倍大事だ。

「警戒しないで大丈夫ですよ。一方的に知っているだけみたいですから」
「……面識は、ありません」

自らに納得させるように御令嬢は呟いた。
安心できただろうか。とりあえずヨハンが部屋に引っ込んでくれるだけの気遣いを見せてくれたらこの場は片付きそうだけど。

ザシャでさえ、去り際に柔軟な配慮をしたのだ。
ヨハン。元貴族のあなたなら、強情を張ってこれ以上訳ありの御令嬢を困らせるような失態は晒さないはずだ。

「ええ。でも、私は御見かけしたことがありますよ」

居座る気らしい。
勘当されたとはいえ、高貴な血筋には変わりない。平民の僕は蔑ろにされているわけではないと、弁えはするが……御令嬢を困らせないでほしい。

御令嬢が顔を顰めた。

「何処で?」
「聖典祭で」

僕のわからない、やんごとなき話が始まりそうだ。
仕方がないから御令嬢に飲みかけのカップをお持ちしようかと余所見をしたところで、ヨハンが僕に視線を向けた。

「教会から認められた敬虔な貴族だけが参列を許された式典だ」

どうやら、ヨハンは僕を除け者にする気まではないらしい。
男娼として御令嬢が誰の客であるかは弁えてくれているのかもしれない。

「あなたもいらしたのね」

御令嬢が小さな手を体の前で握り合わせ、緊張と戸惑いを顕わにする。そして貴族を相手にした口調になった。一瞬で身分の差を思い知らされた。

「ツヴァイク伯爵家のことは存じ上げております。敬虔な一族の御子息が……神を冒涜した罪で勘当されたのも、聞き及んでおります」

腑に落ちないといった複雑な表情を浮かべて御令嬢が俯く。

「男娼に、なられたとは……」
「わかってもらえたようですね。私があなただから追い返したかった理由を」
「はい」

実のところ僕やザシャはヨハンの勘当が不当な処遇だと充分すぎるほど理解しているが、それは御令嬢には関係ない。
僕が御令嬢の協力者として力を尽くすのはいいが、御令嬢を僕らに関わらせてはいけない。

勘当どころでは済まなくなる。

「どうして……」

御令嬢が俯いたまま声を絞り出した。
ヨハンが男娼に身を堕とした理由を聞くのかと思ったら、違った。

「どうして、一目で私だとわかったの?目立つ顔じゃないのに」

その言葉から、容姿に対する自信の無さが窺えた。
確かに美人でもなく地味ではあるが、人のよさそうな丸顔は安心するし、一目で善人だとわかる顔だ。今は男娼を買うなどという原因不明の病に冒され物騒な意味で表情豊かになってしまっているが、見れば見るほど可愛い顔だと僕は思う。

あ、ここも可愛い。
この角度も可愛い。

そんな風に、愛したい部分を見つけたくなる顔をしている。

それに、美しいペリドットの瞳……

まあ、ヨハンがそんな理由で覚えていたなら今すぐ物置にでもぶち込まなくてはいけないが、今は心配ないだろう。

「あなたは先代、先々代の諸侯に人気なのですよ」
「……はい?」

警戒すべきはヨハン以外の爺様連中か。
不毛な気持ちは僕より御令嬢本人の方が強烈に感じているだろう。

ヨハンが男の僕でも感心する程の甘く優しい微笑みを御令嬢に注ぐ。
併し、口から出た言葉は僕の肝を冷やし、心臓を止めかけた。

「亡くなった祖父によると、あなたの雰囲気が、若い頃の王妃によく似ているそうです」
「え?……そうなのですか?」

御令嬢はまさかと言った様子で掠れた呟きを洩らした。

僕も絶句した。
王妃が関係ないのは承知の上だが、とてもじゃないが血縁者を無視できない。ヨハンもそのはずだが、だからこそ、相手がこの御令嬢だから褒めるつもりで言ったのだろう。

わかっている。

わかっているが……

「あなたが全くの他人でも、王妃……と言うより聖女オクタヴィアへの憧憬を重ねて見ている者がいる。だから、もし男娼を買う程に思い詰め困っているなら、あなたを助けたがる権力者を紹介できます。あなたの為とあれば一人や二人は男娼に堕ちた私の話でも聞くはずです」

貴族には貴族の世界がある。
僕には立ち入れず、及ばない。絶対的な隔たりが在る。

結局、元貴族のヨハンが御令嬢の問題を解決するのだろう。
呆れるような無力感と穏やかな諦めに浸った僕に、御令嬢が美しく煌めくペリドットの瞳を据える。

そしてはっきり、こう言った。

「レオン。私に、部屋を用意して」
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