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宮廷裁判は一時休廷となり私はソフィア王女と共に近くの一室へと誘われた。
大理石の支柱が美しい小広間で巨大な花瓶に生けられた植物の緑が鮮烈に映えている。

「さて、どちらが私の娘に相応しいか」

王妃はどこか趣旨の違う呟きを洩らしていたがニコラス王太子は明確な指示で場を仕切った。

「ソフィア、これが最後通告となる。ヒルデガルドに心から詫びて贖罪の余生を得るか、謀反人として名を刻み宮廷を去るか。神の娘に問うがいい」
「……」

ソフィア王女はニコラス王太子を睨むと要求を返した。

「二人きりにして」
「いいでしょう」
「母上!?」

王妃がニコラス王太子の肩にそっと指を添える。

「傲慢な子が私たちの前で頭を下げられるはずがありません。向こうで待ちましょう」
「母上……」

ニコラス王太子は困惑を顕わにしているが、結局は王妃に従った。

「入口の辺りにいます。ソフィア、神の娘に指一本でも触れてごらん。私がこの手でお前の首を刎ねますよ」
「……!」

実の母親からの処刑予告にソフィア王女も目を剥いた。

哀れだ。
愛されることを知らず、愛することも知らず、己の欲だけを頼りに生きて来たのかもしれない。
悪辣な醜い王女は悲しい人なのかもしれない。

でも、許さない。

「ヒルデガルド」

声の届かない距離まで王妃とニコラス王太子が下がったのを受け、王女は私の正面に回り込みぎょろりと目を剥いた。

「大それたことをしてくれたわね。神の娘?は?許さない。このままで済むと思わないで」
「ソフィア殿下。メラーさんは何処ですか?」
「知らないと言ったでしょう。それより、今ならまだ許してあげる。騒いで申し訳ありませんでしたとお母様に詫びて消えなさい」
「メラーさんの居所を教えてください」
「!」

苛立ちに任せソフィア王女が手を振り上げる。併し打ち下ろすのは耐え、殺意の漲る淀んだ琥珀色の目で私を睨み唇を噛んだ。

「ヒルデガルド、正しい選択をして。一国の王女の人生がその一言に掛かっているのよ。わかるでしょう。私を許しなさい」
「その理由はありません」
「何故わからないの?ああそう!さっき泣いていたものね!抱かれたの?レオン?よかった?ウィリスより夢中になったのね!」

聞くに堪えない挑発だったが、私は理性を手放しはしなかった。

王妃が釈明の場を用意したように見せかけた極秘の異端審問に於いても、ソフィア王女はその意図が汲み取れず横暴に振舞い続けている。

「殿下」
「私の言った通りになった。神はお前を見放したの?ん?男娼の体を覚えて頭が溶けてしまったのね。私に盾突くなんて馬鹿な子。あれだけお金をあげたのに」
「殿下。神は見ておられますよ」

私が呼び掛けると、ソフィア王女は呆気にとられた。

「は?」
「殿下が喜びの内に微笑む日も、嘆きの涙を流す日も、憤りに燃える日も、誰かを痛めつけ笑った日々も、全て余すところなく神は見ておられました」
「なに言ってるの?」

蔑みの眼差しで私を捉えるとソフィア王女は手を振り上げて叫んだ。

「何処にいるって言うのよ!」

響き渡る、美しかったはずの声。

「何処から見てるって!?一度も姿を見せずに私を見張っていたと言うの!?馬鹿、馬鹿、馬鹿……馬鹿ばっかり!神なんていやしないわよ!」
「いえ、此処に居ます」
「自分が神だとでも思ってるの?神の娘なんて呼ばれて図に乗って、狂ってしまったのね。母上と一緒」
「今、私の前に。私を見つめる殿下の前に。神はその顔を向け見ていらっしゃるのです」
「はぁ?」
「私の顔が見えますか?私を見ている殿下の鼻の先に神の鼻の先があるのです。私たちに見えずとも、神はいつも、私たちを見ておいでです。殿下に見えなくても、私に見えなくても、神は常に私たちを見ています」
「……」
「殿下。私にではなく、神に罪を認め償ってください。立ち返るあなたを神は決して見放しはしません」
「いい加減にして!」

ソフィア王女は私に暴力を奮おうというのではなく、感情の昂りに任せ腕を振り回した。
その顔は苛立ちや憎しみといった激情によって醜く歪み、汗と唾を撒き散らし、正気を失った囚人そのものだ。

「ああそう!じゃあ、なに?姿を見せない臆病な神は何もせずまとわりついているってわけ?しつこい亡霊と何処が違うの?何もできやしないなんて亡霊以下の無様な神だこと!」
「神は私たちを愛し、強め、導いてくださいます」
「あっははははは!変態!お前がレオンに足を開いて泣いていたときも顔を突き合わせてじっと見ていたってわけ!?だったら私も神じゃない!」

言った。

「私は男たちの自由を奪い、壊し、支配した!可愛がってあげたわ!私こそ神よ!!」

ソフィア王女は高らかに宣言する。

「此処に神がいるというのに、誰も彼もが妄想の神を崇めて現を抜かしている。王女とは神!王家とは神!そのくせお兄様とお母様は頭の中にしかいない神を崇めて国王を軽んじている!だから地獄に堕としてやるのよ!国王は神!神は私!私こそがお父様の後を継ぐに相応しいたった一人の王位継承者であり世界を支配する神なの!神に逆らう者は皆殺しよ!!」

そして高らかに笑う。
響き渡る笑い声が疲れと息継ぎの為に途切れた頃、私は静かに告げた。

「私が間違っていました。あなたは魔女ではない。異端者でもない。あなたは神を冒涜し、神の愛する人々を襲う一人の異教徒です」
「……はぁ?」

その瞬間、ニコラス王太子と王妃が動いた。
いつの間にか国王も加わっており、三人はどこか寒気を覚える冷酷な表情で足早に私たちの方へと歩いてくる。

王妃から口を開いた。

「嘆かわしい。聞こえましたよ、ソフィア。まさかお前が母と兄の失脚を目論んだ上、只一人の王位継承者などという妄言のみならず神を名乗るとは。許し難き冒涜です」

国王は初めて怒りの炎をちらつかせ、低く詰る。

「お前は神を名乗り私の民を皆殺しにするのか」
「お父様……」

ソフィア王女は顔面蒼白になり手を震わせて国王の足元へ跪いた。そして自らの乱れた黒髪を掴む。

「お父様、違います……!よく見て、ほらよく見てください。私はお父様そっくりです。この男はお父様の息子ではありません。お母様はお父様を裏切った淫女です。王太子などいないのです。私が、私だけが、お父様に真心からの愛を──」
「黙れ!」

国王がソフィア王女の頬を張り飛ばす。
私はもう恐れも怯えも感じない。ソフィア王女は私の知る四人の青年の肉体を蹂躙し、人生を狂わせた。
神が、国王に裁きを委ねているのだ。

呆然と頬を押さえ俯くソフィア王女の髪を、ニコラス王太子が乱暴に掴んで仰向かせた。
憤りに燃える碧い目がソフィア王女を貫く程に睨みつける。

「お前が神なら自分を救え。邪神を崇拝し王族を陥れ、二人の民と二人の貴族を誘拐し拷問、更に一人の伯爵を殺害。処刑を免れたければ、お前は、追放だ」
「……ぃ、いや……」
「さあ、お前の神はどちらを選ぶ?」
「いやぁっ!!」

ソフィア王女は泣き喚いて暴れたが、ニコラス王太子によって拘束され容赦なく連行されていった。

その間も国王と王妃は並んで立ち、穏やかな眼差しで私を見ていた。

「ありがとう、ヒルデガルド」

父親であるはずの国王が何故そう言えるのか私には理解できなかったが、これが神の導いた答えであると、私は信じている。
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