悲劇の契約結婚ではありますが、私たち愛を証明いたします。

希猫 ゆうみ

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「……」

田舎貴族の私にとって最上級の地上の楽園はカルメット城だった。
宮廷というのは桁違いの別世界で、私は盛大に度肝を抜かれている。

謁見の間に向かう為、私たちは廊下を歩いているはず……だけれども私の知る廊下とは恐らく概念から違うのだろう。煌びやかにも程がある。

ランスからも緊張感が伝わる上、従僕のデヴィッドはもう別人のように慇懃な立ち居振る舞いで自身も貴族出身であることを証明している。つまり夫の従僕の方が妻の私より宮廷に順応できている。

絶え間ない驚愕と緊張に目を瞠り歩いていた私は、ついに凄まじい物を見た。

謁見の間に続く長い廊下の入口付近には正義の女神像が聳え立っていた。
私の顔だった。

「……ほぇ」

初めてそんな声が出たと弁明する余裕すらない。
ランスが隣で緊張を解き、穏やかな声で耳打ちする。

「凄いね。君の御母上を象った最高傑作だ」
「あ、ああ……」

お母様ね。
そうだった。

「聞いたことがありますよ」

デヴィッドの口調にも親しみが戻る。

「ルブラン伯爵は結婚直後に、妻をモデルにした無許可の絵画や彫刻を廃棄するよう訴えを起こしたんですよね」
「知らなかった?」

ランスに尋ねられ、私は女神像を見上げたまま答える。

「聞いたことはあったけれど、ふぅ~んとしか思わなかったし……それっきり忘れていたわ。女神像があるって話は覚えていたけど」

こんなに迫力のある巨大な石像とは思っても見なかった。

母と私に似た女神は刮目しこちらを見下ろしている。
遥か天空で風を受けているかのように髪と衣が優美さと迫力を兼ね備えて靡く造形は見事だ。その右手には天秤を掲げ、左手には鋭い剣を携えている。真実を見抜き罪を許さない意志が痛い程伝わってくる。

「謁見直前にこんなのと目が合ったら、かなり引き締まるわね」
「娘の君ですらそうだから役人や貴族たちには相当恐いかもしれないね」
「私の方が恐いわよ!私の顔だもの!」

叫んでしまった私の声が素敵に反響する。
私は唇を巻き込んで沈黙の意を示した。

ランスが微笑み、私の背に手を当てる。

「王妃様が君の御母上の美貌を讃えて作らせたそうだよ」

黙ろうという決意でも簡単に覆ることはあるものだ。

「お礼を言うべきかしら。それとも、見なかったふりをするべき?」
「そうだ!奥様、あの表情を真似て無罪を主張してみてください!」

この期に及んで和気藹々としてしまった私たちに後方から思わぬ声がかけられたのは、本気になりそうなデヴィッドの腕を私が軽く叩いた時だった。

「シルヴィ!」
「!?」

勢いよく振り向く。
廊下の角から姿を現したステファンが一直線に走ってきた。私たちは三人とも呆気にとられ、走るステファンを見つめていた。

やがてステファンは私の足元に跪きドレスに縋りついて叫んだ。

「助けてくれ、シルヴィ!」
「は?」

間抜けな声を洩らしたのは私。
ステファンを突き飛ばしたのはデヴィッド。

私の肩を抱いたランスを見上げると、予想より剣呑な表情を浮かべていたので少し気分がよくなった。いくら優しいランスでも私の為にこんな表情をしてくれる。私、愛されているわ。

「無礼者!」
「大変なことになっているんだ!シルヴィ、君が一言証言してくれたら僕は助かる!」

ステファンはデヴィッドを無視して私に取り縋る。
こんな浅慮で無礼な男と婚約していた事実も、この男の好意を喜び罵倒に傷ついたかつての自分も馬鹿馬鹿しく思えた。

「シュヴァリエ伯爵が僕とジュリエッタが不倫関係にあったと誤解しているんだ!ジュリエッタは人が変わったように僕に執着し話が通じない!離婚されて結婚詐欺で訴えられているのに僕との運命の愛だとか言って喜んでいるんだ!恐すぎる!」
「どうでもいい」

心の声が口から洩れた。

「そんなこと言わないでくれ!僕も騙された!ジュリエッタが仕組んだことだ!シュヴァリエ伯爵は結婚詐欺の共謀と不倫の罪で僕を訴え莫大な慰謝料を要求してきた!僕が愛し合っていたのは婚約者の君だけだったと証言してくれ!君はもう侯爵夫人だ!君が言えば奴は黙る!」
「ええと、どうでもいい」

今度は敢えて口にした。

「シルヴィ!」

気安く呼ばないでほしい。

私が泣いて縋ろうと罵倒して無慈悲に城門の外へ放り出した元婚約者のナヴァーラ伯爵ステファンったら、どの口で言うのかしら。

「あなたのような薄情者を愛してくれる人が一人でもいたことを神に感謝されては?」
「……シルヴィ、そんな……!」

私は背後の女神像を指差しながらあの表情を真似て、這い蹲るステファンを見下ろした。
ステファンが蒼くなり黙り込む。

正直なところ、ステファンとジュリエッタの仲がどこまでのものだったのか私にはわからない。だからそれについて嘘は言わないつもりだ。請われなければ思い出しもしなかった。

召喚状に従い無罪の夫の為に来ているのだ。
薄情者の元婚約者がどうなろうと知った事ではない。

数秒は睨みを利かせていると、もう一人が廊下を猛進してきた。言わずもがなシュヴァリエ伯爵サミュエルだ。女親のテレザ夫人とは微妙に異なる顔立ちではあるものの面影は充分であり、威厳と迫力に至っては男ならではの味が足されて強烈な凄味を醸し出している。

なんというか……
体の輪郭から赤黒い湯気が立っている感じ。

「カルメット侯爵、カルメット侯爵夫人、申し訳ございません」

シュヴァリエ伯爵は到着するや否やステファンの襟首を掴み、ステファンごと跪いた。驚いたけれど、さすがだ。

「うぐっ」
「この度の離婚騒動ではカルメット侯爵夫人に多大なるご迷惑をおかけするとともに大変な無礼を働き誠に──」

長くなりそうだ。
私は指輪泥棒として非難の目を向けられはしたものの、シュヴァリエ伯爵自身には大した恨みもなければ交流もない。そして済んだ話だった。

夫を促しつつ、私はシュヴァリエ伯爵になるべく丁重に声をかける。

「ごめんなさい、急いでいるから」
「あっ、はい。こちらは私にお任せください」
「テレザ夫人によろしくお伝えください」
「はい!御武運を……!」

短いやり取りからも、テレザ夫人が人知れずランスの為に立ち回っている現状は息子のシュヴァリエ伯爵も把握しているとわかった。

何かを任せるのにシュヴァリエ伯爵家の親子ほど頼れる相手はいない。
多少の痛みを伴いはしたが、心強い味方を得たと実感できて気分が上がった。

私は……ランスと私は、悲劇には屈しない。

数歩進み、私は思い直し振り返った。
シュヴァリエ伯爵の御武運を祈っていると伝える為の一言を残さなければ。

「私よりジュリエッタが大切だと言われた!」
「シルヴィ……!」

薄情者のステファンが情けない声で私を呼んだが、再び足を進める私たちはそんな者の為には二度と振り返らない。
愛する人との未来を掴む闘いが廊下の先に待っているのだから。
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