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49(エドワール)

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「エドワール、喜べ。嬉しいお客様だぞ。ピオジェ公爵が直々にお詫びにいらしてくださった。機嫌を直して、扉を開けなさい」

耄碌した国王が今更になって父の訴えを却下し、裁判そのものがなくなった。
何故か知らないが伯爵家に嫁いだ元公女がランスを庇ったのだ。

公爵家が介入してこなければこんな思いはしなくて済んだのに。

僕が失った時間や、暴力をふるわれた際の恐怖や苦痛はどうなるのか。どうして犠牲者である僕が泣き寝入りをし、罪あるランスが結婚して幸せになっていくのか。

納得できない。

僕は部屋に篭って泣き続けた。
あんな奴に負けたことが悔しかった。
結婚したばかりのくせに、元公女を誑かしたのだろうか。ランスはどこまでも忌々しく汚い奴だ。

だが、僕には一つの希望が残されていた。

あれはランスの妻という女を揶揄いに行った時だ。
メイド姿のあの女と、それを騎士よろしく守ろうとしていたランスを見た時に思い出した。

ランスに痛めつけられた夜、メイドを抱いた。
そのメイドに声を掛けたのは、ランスに似ていたからだ。親しみを覚えた。僕の物だと思った。

あのメイドはランスを呼び捨てにしていた、その声を思い出した。
僕が抱いたメイドがランスの姉妹だったから、ランスは僕を葬ろうと馬鹿な考えを起こした。これで謎が解けた。

つまり先代のカルメット侯爵には隠し子がいる。
父親に愛してもらえず、使用人に身をやつしながら兄のランスに縋って生きている惨めな女が。

それを抱いたからなんだというのか。

突き詰めればあの晩のメイドが僕を痛めつけ、僕に恥をかかせた。
ランスと同じくらいその罪は重い。

引き摺り出して、僕と何を楽しんだのか公衆の面前で暴露してやる。

裁判そのものがなくなりランスが無罪放免どころではない清廉潔白を気取っている今、僕の楽しみはそれだけだった。
あとは、何時、実行に移すか。

今、何処にいるんだ、あの女は。
絶対に見つけ出してやる。

人知れず復讐計画を練っていた僕の元に、件の元公女の父親ピオジェ公爵が謝罪に訪れたというのは、朗報以外のなにものでもなかった。

既婚者同士でありながら、ピオジェ公爵の娘を垂らし込んで僕を陥れたランス。
ピオジェ公爵の力を以てすればカルメット侯爵家など一瞬で潰せる。

「……っ」

見ていろ、ランス。
お前は終わりだ。

僕は涙を拭いて扉を開けた。
軍人にも獅子にも見える険しい大男が立っていた。

「ノアム侯爵。御子息と二人きりにして頂きたい」
「ええ、はい、もちろん。世話をするメイドだけは同席をお許しください。息子は、まだ体が不自由ですので」
「結構」

勝手に話を進めた父が、僕に励ます視線を残し扉を閉めた。

ルイゾンが茶器の用意を始めたので、指で酒にしろと命じる。従順なルイゾンはもう口答えしないが、若干、怠惰になった。母親が死んでから何を言っても鞭で打っても態度を改めなかったが、気に入っているから傍に置いてやっている。

暖炉の傍の暖かな椅子を勧めると、ピオジェ公爵はにこやかな笑みを浮かべてからどっしりと腰を下ろした。

「娘が余計な口を挟み、すみませんでしたね」

格上のピオジェ公爵が砕けた口調でにこやかに言ってくれた時点で僕は勝利を確信した。上下関係はありつつも謝罪の意味を込めている為かやけに謙虚だ。

僕たちの前にグラスが置かれ、酒を勧めるとピオジェ公爵はそれも快く受け入れた。僕は気分が良くなり早速グラスを空けた。ルイゾンがすかさず酒を注ぐ。

「娘から話を聞いて、これは私直々に貴殿と話をつけなくてはと」
「いえ。わざわざ足を運んで頂いて恐縮です」
「私から直接、お詫びの品を──」
「いえいえ、そんな」
「貰いに来た次第だ、エドワール」

一瞬で空気が変わった。
僕の前には獰猛な獣が座っている。

「ミレーユは私の実の娘ではない。それが却って打ち明けやすかったと言われたよ。どれくらい思い出した?娘はあの晩、貴殿の為に開かれた晩餐会にメイドの格好で忍び込んだ。貴殿の父親が掻き集めた貴族の中に、恋人がいたのでね。私も公認していた信頼のおける伯爵だ。貴殿の父親は、貴殿が眠り呆けている間に結婚祝いを贈ってくれた」
「は……!?」

今飲んだ酒を吐きそうになり、僕は口を押さえる。
じゃあ、あの晩に抱いたメイドは、メイドの格好をした公女だったというのか?

「……!」

もしそうなら、僕の命はない。

「ランスの嘘だ!」

僕は叫んだ。
僕を嵌めようとランスが嘘を吹き込んだに違いない。それか、ランスと不倫関係にある元公女本人の嘘だ。

だがピオジェ公爵は笑いながら首を振る。

「否、そうじゃない。まあ、そのまま忘れてくれても本望だが教えてあげよう。あの晩、貴殿を殺そうとしたのは娘婿のヴェルディエ伯爵だ。勇敢だった」
「そんなはずありません!ランスが僕を陥れる為に……!」
「違う違う違う。ランスはそういう勇気のある男じゃない。妻の恋人と瓜二つで忌々しいことこの上なかったが、今回、見直したよ。あれは剣ではなく盾として有能な男のようだ」

ピオジェ公爵がグラスを回し、揺れる酒を楽しそうに眺めている。その眼光がもはや笑っているわけではないと僕でもわかる。

「血の繋がる父親が誰であろうと関係ない。ミレーユは私の娘だ。私は父親として生きてきた。これからも娘の幸せを誰よりも願っている一人の老いぼれさ。さて、エドワール。随分とようだな。そんな貴殿にはいい薬をあげよう」
「いっ、嫌だ……!」

腰を上げかけた僕の肩を、後ろから誰かが抑え込んだ。はらりと髪が垂れ頬にかかる。ルイゾンだった。
ピオジェ公爵が懐から取り出した小瓶を笑顔で差し出してくる。

「嫌だぁッ!」

渾身の力を籠めてピオジェ公爵の手を振り払い、椅子から転がり落ちてルイゾンの手も逃れる。床を這い、尻もちをついて、僕は必死で逃げ道を探す。

女を抱いたくらいで死んでたまるか。

「いっ、嫌だ!自分が娘を抱けないから妬いてるのか!?そうだ!その女を差し上げます!僕が躾けました!貴族でもない年増ですがいい体です!ほかにもいくらでも──」
「結構。愚かで助かった」

次の瞬間、鋭い銀色の閃光を僕は見た。
体に熱い衝撃が走り抜ける。ピオジェ公爵はもう笑っていなかった。

目が回った。
僕が転がったと気づいた頃に、やけに遠くからルイゾンの声が聞こえた。


閣下、私もいいですか────と。
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