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5(ソレーヌ)
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気さくなヴェロニカは使用人たちとも打ち解けて毎日が楽しそうだ。
私よりずっと歓迎されている。
妬むことではない。執事もメイド長も幼いヴェロニカと交流があったようで、幼かった身内が成人して帰って来た懐かしさが喜びをより大きなものにしているだけ。理解するのに、難しいことはひとつもない。
「……」
ヴェロニカの笑い声が聞こえる。
「……」
ヴェロニカが誰かと歌っている。
あれは、歌詞からしても洗濯の歌だ。
持ち場を越えて、多くの使用人と交流を持ち親睦を深めているのだろう。
ガイウスは陽気で心のあたたかい人間だから、いくら名誉とはいえ両手を多くの血に染めた私より、あのような女性を妻に迎えたほうがよかったのかもしれない。
そんな風に思わずにはいられない。
私は、ガイウスにも、フェラレーゼ伯爵家にも、フェラレーゼ伯爵領の領民たちにも、何も与えてあげられない。
私の役目は戦場で終わった。
王女を守り、王妃を守り、王母を守り、その侍女たちをも守り、その役を解かれた。私はもう、誰を守れとも言われない。
着飾って隣に立つには、私は年を取り過ぎた。
年下の夫だからといって、私には何かを教えるほどの教養はない。
ただガイウスの愛を受け取るだけ。
ただ、愛されるだけ……
そんなか弱い女ではなかったはずなのに、私は、まるで、役に立たない古びた人形のようになってしまった。
武闘会で出会い、追いかけられているうちは、私はまだ女剣士の自我を保ち続けていられたのだ。
併し過去の栄光を手放し、伯爵夫人として人生を一から築き直そうとしたとき、私には伯爵夫人として必要なものなど何一つ備わっていないのだと思い知らされてしまった。
ヴェロニカは私が欲しいものを全て持っているのだ。
ガイウスとの思い出、フェラレーゼ伯爵家との交流、人に好かれる明るい性格、愛されやすい華奢で愛くるしい容姿、若さ、健康、未来……
私にはヴェロニカを妬む気力もない。
だから、ただ、彼女と関わる多くの人間の一人として、ヴェロニカの人柄に惹かれている。声が届けば気が休まり、姿を見れば心が安らぎ、言葉を交わせば気持ちが沸き立つ。
友人として、彼女が好きだった。
それでもヴェロニカの方はきちんと線引きをしており、私と過度に打ち解けようとはせず、あくまでキッチン付きのメイドとして振舞い続けている。
どうにかしてヴェロニカをもっと近くに……
そんな考えが浮かんだのは、ヴェロニカを迎えて三ヶ月ほど経った頃だったように思う。
ガイウスともヴェロニカの処遇について頻繁に夫婦で話すようになっていた。
「勿論、考えているよ」
「でも彼女は律儀だから」
「うん。だからまずは、それとなくヴェロニカをお披露目するんだ」
「パーティーを開いて、招待客に宮廷料理を披露して?」
「うん。当然、宮廷への人脈目当てで野心を抱く奴も出てくるだろう。だがそれは、私とあなたで排除できる」
「……ええ、そうね」
ヴェロニカを守る仲間として、私を、当然のように挙げた。
夫の大切な存在を、私も大切にしたい。個人的な願望はあれど、心はどこか引っかかりを覚えた。
「私には信頼する友人も多いが、大事なのはヴェロニカが相手を気に入るかどうかだろ?恋なんて周りがあれこれせずとも本人たちに任せておけば勝手に燃え上がる。火が熾ったら、すぐだよ。要は薪を集めるんだ」
「……」
暖を取る為によく薪を集め火を熾した。
私が私であった頃、何年も、そんなことをしていた。日常の中に、それはあった。
「ヴェロニカは可愛らしい子だから、あなたが世話を焼かなくてもいい相手が見つかるのではないかしら」
「私もそう思うよ?だが現実問題として、ヴェロニカは独り身だ」
「……」
「あんなに可愛いのに」
「……」
ガイウスは確かにヴェロニカの身元引受人として彼女を迎え入れた。
だから、貴族として、妙齢の女性の将来を案じ、適切に導く義務はある。
私に反対する理由はない。
それでも私の口からはこんな一言が滑り出た。
「誰か、心に決めた相手がいて……待っているのかも」
ガイウスは短く首を振った。
「否。そんな素振りはない」
「……」
随分と決めてかかる。
まるで、多くの言葉を交わさなくてもヴェロニカの心は正確に伝わっているとでもいうように。
「そう」
「うん。……」
ガイウスが思案する。
私と息子の為に奔走してくれたガイウスだから、ヴェロニカの結婚にも奔走するのだ。理解できる。
私との結婚はもう成立し、夫婦として、一つ。
子どもは作らない。作らない。望めないから。
だから、ガイウスには私との未来を真剣に話し合い模索する必要などないのだ。
今は夫婦一丸となって大切なヴェロニカの将来を考える時。
「……」
ガイウスがそうしたいのなら、私は……
「ふ」
「?」
ふいに眩しそうに微笑んだ夫の顔に、何か見逃してはならないものを見た気がして、私は息を止め目を凝らした。
「どんな男と結婚するか考えていたら、ふと子どもの頃のことを思い出してね」
「……華奢な子だから、とりわけ小さな子だったのでしょうね」
「ああ。たぶん、そうなんだ。今思うと、仔狸みたいだったよ」
仔狸か……
それは可愛かっただろう。
「女の子よ」
小さくて、ふわふわの髪が小さな顔を包んでいて、大きな瞳を光らせて、好奇心であちこち動き回り……そんな姿を想像するだけで口元が緩む。
ヴェロニカが結婚したら、それはもう可愛い子どもを産むだろう。
そしてあの可愛い容姿のまま、可愛い母親になるのだ。
「──」
私はふと気づいた。
夫を見る。夫は目を細め、思い出を懐かしむような目をしている。それは、見果てぬ未来への想像ともいえる表情だった。
私が思い描いたように……
母親になったヴェロニカと、ヴェロニカの産んだ可愛い子どもたちを、想像している……?
私が無言で見つめているのに気付いたのか、思い出、或いは想像を振り切るように小さく頭を振って、ガイウスはやや目を伏せた。
とびきり優しい微笑みを刻んだまま。
「あの頃のちっちゃなヴェロニカを思い出すよ。可愛かったんだ」
「……そうでしょうね」
私は……私は呆然と、自分が失ったものの大きさに打ちのめされた。
たとえ未来のヴェロニカを思い浮かべ微笑ましい希望に胸を熱くしたとしても、子どもが望めない私の前で、ガイウスはその話をしないだろう。
だから、ヴェロニカの幼い姿を思い出していると、言うのだろう。
実際、思い出を懐かしんでいるのだ。そこに嘘はないのだ。
ただ、子どもという未来のない私のために、未来を口にはしないだけ。
「……」
ガイウスはヴェロニカの将来を考える時、私たちが失った……私の為に諦めた、新しい命の誕生までをも思い描いている。
私が失った幸せな未来を、見ている。
私との日々ではなく、誰かほかの女の、幸せな未来を。
子どもを。
瞼に映しているのだ。
悲観的すぎるだろうか?
併し、女の腹からしか子は産まれないのだから、男が自分の子孫を残せるかどうかは抱いた女の体にかかっている。
ガイウスは健康的で、陽気な善人だ。
私の前では言わないだけで、子ども好きと言われれば納得できる性格だ。
ガイウスに似た男の子を産むことができたなら……
私は……
「ヴェロニカに相手がいるなら、勿論、応援するけどね。やれることは全て、なんだってしてあげたいと思うよ」
そう洩らす夫の目には、確かに、父兄の愛情だけが溢れていた。
私には用意してあげられない未来を見ている。私には望めない喜びを、託している。
それがいつ、恨みになるか。
私は恐くなった。
私よりずっと歓迎されている。
妬むことではない。執事もメイド長も幼いヴェロニカと交流があったようで、幼かった身内が成人して帰って来た懐かしさが喜びをより大きなものにしているだけ。理解するのに、難しいことはひとつもない。
「……」
ヴェロニカの笑い声が聞こえる。
「……」
ヴェロニカが誰かと歌っている。
あれは、歌詞からしても洗濯の歌だ。
持ち場を越えて、多くの使用人と交流を持ち親睦を深めているのだろう。
ガイウスは陽気で心のあたたかい人間だから、いくら名誉とはいえ両手を多くの血に染めた私より、あのような女性を妻に迎えたほうがよかったのかもしれない。
そんな風に思わずにはいられない。
私は、ガイウスにも、フェラレーゼ伯爵家にも、フェラレーゼ伯爵領の領民たちにも、何も与えてあげられない。
私の役目は戦場で終わった。
王女を守り、王妃を守り、王母を守り、その侍女たちをも守り、その役を解かれた。私はもう、誰を守れとも言われない。
着飾って隣に立つには、私は年を取り過ぎた。
年下の夫だからといって、私には何かを教えるほどの教養はない。
ただガイウスの愛を受け取るだけ。
ただ、愛されるだけ……
そんなか弱い女ではなかったはずなのに、私は、まるで、役に立たない古びた人形のようになってしまった。
武闘会で出会い、追いかけられているうちは、私はまだ女剣士の自我を保ち続けていられたのだ。
併し過去の栄光を手放し、伯爵夫人として人生を一から築き直そうとしたとき、私には伯爵夫人として必要なものなど何一つ備わっていないのだと思い知らされてしまった。
ヴェロニカは私が欲しいものを全て持っているのだ。
ガイウスとの思い出、フェラレーゼ伯爵家との交流、人に好かれる明るい性格、愛されやすい華奢で愛くるしい容姿、若さ、健康、未来……
私にはヴェロニカを妬む気力もない。
だから、ただ、彼女と関わる多くの人間の一人として、ヴェロニカの人柄に惹かれている。声が届けば気が休まり、姿を見れば心が安らぎ、言葉を交わせば気持ちが沸き立つ。
友人として、彼女が好きだった。
それでもヴェロニカの方はきちんと線引きをしており、私と過度に打ち解けようとはせず、あくまでキッチン付きのメイドとして振舞い続けている。
どうにかしてヴェロニカをもっと近くに……
そんな考えが浮かんだのは、ヴェロニカを迎えて三ヶ月ほど経った頃だったように思う。
ガイウスともヴェロニカの処遇について頻繁に夫婦で話すようになっていた。
「勿論、考えているよ」
「でも彼女は律儀だから」
「うん。だからまずは、それとなくヴェロニカをお披露目するんだ」
「パーティーを開いて、招待客に宮廷料理を披露して?」
「うん。当然、宮廷への人脈目当てで野心を抱く奴も出てくるだろう。だがそれは、私とあなたで排除できる」
「……ええ、そうね」
ヴェロニカを守る仲間として、私を、当然のように挙げた。
夫の大切な存在を、私も大切にしたい。個人的な願望はあれど、心はどこか引っかかりを覚えた。
「私には信頼する友人も多いが、大事なのはヴェロニカが相手を気に入るかどうかだろ?恋なんて周りがあれこれせずとも本人たちに任せておけば勝手に燃え上がる。火が熾ったら、すぐだよ。要は薪を集めるんだ」
「……」
暖を取る為によく薪を集め火を熾した。
私が私であった頃、何年も、そんなことをしていた。日常の中に、それはあった。
「ヴェロニカは可愛らしい子だから、あなたが世話を焼かなくてもいい相手が見つかるのではないかしら」
「私もそう思うよ?だが現実問題として、ヴェロニカは独り身だ」
「……」
「あんなに可愛いのに」
「……」
ガイウスは確かにヴェロニカの身元引受人として彼女を迎え入れた。
だから、貴族として、妙齢の女性の将来を案じ、適切に導く義務はある。
私に反対する理由はない。
それでも私の口からはこんな一言が滑り出た。
「誰か、心に決めた相手がいて……待っているのかも」
ガイウスは短く首を振った。
「否。そんな素振りはない」
「……」
随分と決めてかかる。
まるで、多くの言葉を交わさなくてもヴェロニカの心は正確に伝わっているとでもいうように。
「そう」
「うん。……」
ガイウスが思案する。
私と息子の為に奔走してくれたガイウスだから、ヴェロニカの結婚にも奔走するのだ。理解できる。
私との結婚はもう成立し、夫婦として、一つ。
子どもは作らない。作らない。望めないから。
だから、ガイウスには私との未来を真剣に話し合い模索する必要などないのだ。
今は夫婦一丸となって大切なヴェロニカの将来を考える時。
「……」
ガイウスがそうしたいのなら、私は……
「ふ」
「?」
ふいに眩しそうに微笑んだ夫の顔に、何か見逃してはならないものを見た気がして、私は息を止め目を凝らした。
「どんな男と結婚するか考えていたら、ふと子どもの頃のことを思い出してね」
「……華奢な子だから、とりわけ小さな子だったのでしょうね」
「ああ。たぶん、そうなんだ。今思うと、仔狸みたいだったよ」
仔狸か……
それは可愛かっただろう。
「女の子よ」
小さくて、ふわふわの髪が小さな顔を包んでいて、大きな瞳を光らせて、好奇心であちこち動き回り……そんな姿を想像するだけで口元が緩む。
ヴェロニカが結婚したら、それはもう可愛い子どもを産むだろう。
そしてあの可愛い容姿のまま、可愛い母親になるのだ。
「──」
私はふと気づいた。
夫を見る。夫は目を細め、思い出を懐かしむような目をしている。それは、見果てぬ未来への想像ともいえる表情だった。
私が思い描いたように……
母親になったヴェロニカと、ヴェロニカの産んだ可愛い子どもたちを、想像している……?
私が無言で見つめているのに気付いたのか、思い出、或いは想像を振り切るように小さく頭を振って、ガイウスはやや目を伏せた。
とびきり優しい微笑みを刻んだまま。
「あの頃のちっちゃなヴェロニカを思い出すよ。可愛かったんだ」
「……そうでしょうね」
私は……私は呆然と、自分が失ったものの大きさに打ちのめされた。
たとえ未来のヴェロニカを思い浮かべ微笑ましい希望に胸を熱くしたとしても、子どもが望めない私の前で、ガイウスはその話をしないだろう。
だから、ヴェロニカの幼い姿を思い出していると、言うのだろう。
実際、思い出を懐かしんでいるのだ。そこに嘘はないのだ。
ただ、子どもという未来のない私のために、未来を口にはしないだけ。
「……」
ガイウスはヴェロニカの将来を考える時、私たちが失った……私の為に諦めた、新しい命の誕生までをも思い描いている。
私が失った幸せな未来を、見ている。
私との日々ではなく、誰かほかの女の、幸せな未来を。
子どもを。
瞼に映しているのだ。
悲観的すぎるだろうか?
併し、女の腹からしか子は産まれないのだから、男が自分の子孫を残せるかどうかは抱いた女の体にかかっている。
ガイウスは健康的で、陽気な善人だ。
私の前では言わないだけで、子ども好きと言われれば納得できる性格だ。
ガイウスに似た男の子を産むことができたなら……
私は……
「ヴェロニカに相手がいるなら、勿論、応援するけどね。やれることは全て、なんだってしてあげたいと思うよ」
そう洩らす夫の目には、確かに、父兄の愛情だけが溢れていた。
私には用意してあげられない未来を見ている。私には望めない喜びを、託している。
それがいつ、恨みになるか。
私は恐くなった。
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