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24(ヴェロニカ)

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アレクシウスは見習い期間を経て、現在は正式に修道騎士であるらしい。ローブを脱ぐと、聖職者の格好で美しい装飾の施された剣を携えていた。

「弟の誕生を知った時から気掛りでした」

私に重要な話があるという。客間に通して朝焼いたスコーンと紅茶を出すと、少し少年らしい表情も見せてくれた。

「私に、ミカエルの件で話があるの?だったらガイウスも一緒に──」
「あの人は嫌いです」

私には丁寧で友好的なアレクシウスだったけれど、ガイウスには冷淡だった。そこでガイウスにはオリヴァーとミカエルをあやしながら本当にパイを焼いてもらうことにした。
アレクシウスは私を心配したロージーの同席は許可してくれたので、今、彼女が隣に座っている。

「いくつになったの?」

尋ねると、アレクシウスは微かな笑みを口元に刻み応えてくれる。

「十六才です」
「そうなの。早くから信仰の道を志したあなたを尊敬するわ」
「あなたは料理が得意と聞きました。僕も、資質を持ち生まれ導かれたに過ぎません。む!……美味しいです」

ソレーヌに似た風貌でありながらといっては失礼かもしれないけれど、アレクシウスは快活で人当たりのいい修道騎士だった。

「私を恨んでいない?」
「何故?寧ろ、母が迷惑をかけたことをお詫びする為に来たのです。フェラレーゼ伯爵の為になど遥々来ません。弟には、会ってみたかったですが」
「ミカエルは人見知りする子なの。それに、お母様を恐がっているから、もしかするとあなたのことも恐がるかも」
「両親の繊細さだけを受け継いだのでしょうかね」

アレクシウスは快活ではあるものの、年齢の割に大人びている。大人びているというより成熟していると表現したほうが正確かもしれない。併しそれは彼の職業を考えれば当然なのだ。

「私を訪ねて来てくれたということは、ある程度の事情も知っているのかしら」
「はい。弟が生まれた段階で、修道院の方で極秘調査が始まり、密偵も使いましたので、ある程度は事実をそのまま把握していると思います」
「普通に会話してる……」

ロージーの愕然とした呟きは聞かなかったことにして話を続ける。

「密偵?」
「子守りです。母が無理矢理に剣を持たせ、鞭で打ったそうですね」

アレクシウスがスコーンを食べ終わり、紅茶で口を潤す。

「おかわり、いる?」
「ください」

年齢を考えれば食べ盛りだ。
聖職者は粗食なイメージを持つ人もいると聞くけれど、修道騎士は体力勝負なのだから体を作らなくては仕事にならない。

「ハムもあるわよ」
「自家製ですか?」
「いえ、買ってる。うちの家畜を刺激したくなくて」
「なるほど」
「それで、食べる?話が長くなりそうなら丁度良くガイウスのパイが焼けるかもしれないのだけれど」
「あの人の料理は食べません」
「はい」

私はアレクシウスのスコーンにハムとサラダを添えた。紅茶では物足りないかもしれないので、ミルクも。

「本当に美味しいです。来てよかった。あとで作り方を教えていただけますか?」
「ええ、喜んで」
「それで、こんなに美味しい手料理をいただきながら言うのを躊躇わないではないですが」
「気にしないで」
「僕はヴェロニカさんが誰を愛そうと構わないのです。たとえ相手があの能天気で無神経な男だろうと。腐っても貴族、伯爵には違いないですし」

だんだん好きになってきた、とロージーが私に耳打ちする。

「母の件で御迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

私は首を振り応える。

「先程も言ったように、弟の誕生で僕たちも潮時だと判断し、準備は進めていました。昨年は弟を鞭打ち、いよいよ極まったかと。ヴェロニカさん。弟の母親になってください。修道院は母を収容します」
「……え?」

アレクシウスは私の用意した軽食を行儀よく食べながら、深刻でやや物騒な話を始めた。
これは迂闊に意見など洩らせない。まずは話を聞かなくては。

「僕が何故、母とあの男の交際に反対したと思いますか?」

口を噤む覚悟をした次の瞬間に、問いかけられた。
アレクシウスの手がスコーンをちぎる。美貌にそぐわない、傷痕と厚みのある手だ。

私が口籠ってもアレクシウスは気にしなかった。気にせず、先を続けた。

「僕の父が殉死したのは御存じですね?」

これには答えられる。

「ええ」
「僕は産まれてすぐ父の故郷の教会に預けられ、そこで育ちました。その村は古い風習が残っていて、僕にとってもそれが当たり前になりました」
「……」
「父と母は戦場で出会い結ばれた夫婦です。二人の結婚は、死が二人を別つまでという世俗的な誓いではないのです。いつ死んでもおかしくない戦場ですしね。だから母は、父の故郷の風習に従い本当の永遠を誓い合ったのです。二人は魂の居場所が別れた今も夫婦なのです」
「……」

そういうことだったのか。
単純に、母親が若い貴族に現を抜かすのが息子として嫌だったというわけではないのだ。それもあったのかもしれないけれど、もっと心の根幹の部分で、受け入れられない裏切りだった。

アレクシウスと彼の父親にとって、ソレーヌの再婚は、重婚だった。

「父は、母を待っているというのに」
「……」
「勿論、誰しもが納得する風習ではないことは、僕もこの年ですから理解しています。ただ重要なのは、母が理解しているということです」

私はソレーヌの苦悩を誤解していた。
ソレーヌは跡継ぎが産めないとされていた体のことや、血筋について思い悩んでいるのだと思っていた。死別した前の夫についてすっかり割り切れているとまでは思わないものの、少なくともガイウスと恋に落ちたのだから、生きている心はガイウスを愛しているからそこに幸せがあるのだろうと、そう疑いもしなかった。

彼女は……

「母は逃げているのです」

彼女の孤独は……

「父の死から。一人、生き永らえた現実から」
「……」

母を亡くした時の哀しみと喪失感は、今もまだ生々しく蘇る。
私は人に恵まれ、困難もあったけれど幸せで、必死で、オリヴァーも産まれて、生き別れた父と出会い家族になれて、時の流れの中で自然とあたたかな思い出として受け入れていくことができた。

でも、ソレーヌは違う。
彼女はずっと喪失感に苦しみ続け、生き残った我が身への葛藤を抱えていたのだ。

どれほどの苦しみか。
どれほど辛いか。

「母は強かったそうですが、今度の敵は殺せない。殺せないから狂っていく。箍は外れたまま戻りません。もう終わらせるのがせめてもの優しさです」
「こ、殺すの?」

狼狽して理性を失ったのか、元々の性格のせいなのか、ロージーが不躾に尋ねてしまった。
アレクシウスは静かに首を振って否定する。

「墓守をさせます」
「お父様はどんな人だったか、聞いてる?」

ロージーが何か言う前に私はアレクシウスに踏み込んだ質問をしてみた。
アレクシウスは、今度こそ大人びた笑みを浮かべた。

「熊男だったと聞いていますよ。だから母はあなたに目をつけたのでしょう。ヴェロニカさんは少し、動物っぽい深みがある人ですから」
「……そう」
「無垢なのに包容力があるという意味です」

アレクシウスはその後、暫く黙ったまま食事を続け、やがて完食し、行儀よく口元を拭った。
それから私に優しい微笑みを向ける。

「ごちそうさまでした。ヴェロニカさんの息子はオリヴァーというお名前だそうですね」
「ええ」
「弟と、相性はどうですか?」
「……」

元々の話は、ミカエルの養母になってほしいというものだった。
許されるなら、可愛いミカエルを守り、育てたいという願いを胸に秘めていた。

アレクシウスは、ソレーヌとガイウスの繊細なところだけを受け継いだと言った。

ミカエルを孤独にさせてはいけない。
一人にしてはいけない。
寂しくさせない。

それができるのは、もしかしたら私ではないのかもしれない。

「オリヴァーは私より優しい子よ。弟が大好きなの」
「そうですか。よかった」

その時のアレクシウスの笑顔は、美しく、慈悲深く、それでいて少年らしさもあって、とても静かに輝いていた。
併し感傷に浸る性格ではないようで、その意味でアレクシウスは母親の容姿だけを受け継いだと言えそうだ。

「ちなみに、僕はまだ再婚と認めたわけではありませんから。母とあの男の結婚は無効であると申し立てるつもりです」
「……え?」
「ですから、あなたがあの男でいいというなら、結婚できるようになると思いますよ。ヴェロニカさんは誰とでもうまくやっていけそうな人だから、捕まえておいてくれると逆に安心です」
「……」

どんな言葉で応じたらいいのかわからず、私は美しい修道騎士を愕然と凝視し続けた。
併し、他者にも感傷に浸る時間を許さない厳しさ、或いは疎さを持っている若き修道騎士は話題を変えた。

「ところで、今日から暫く家畜小屋で寝泊まりさせていただけませんか?」
「えっ?」

感傷も感慨も吹き飛ぶ要求に、つい大きな声が出てしまう。

アレクシウスが微笑んだ。
その微笑みはもう優しさや少年らしさの篭る綺麗なものではなかった。

「密偵を使ったと言いましたよね?」
「……」
「母が武装し、外出したそうです。ヴェロニカさん。母は近々、あなたを殺しに来るのですよ。だから僕が来たのです」

それは修道騎士としての、容赦ない断罪の微笑みだった。
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