恐ろしい仮面の王妃様 ~妹に婚約者を奪われた私が国王陛下に愛されています~

希猫 ゆうみ

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夜の暗がりに溶け込むキャタモールは闇そのものだった。
目に映しただけで飲み込まれ、心臓を抉られたかのように体が冷えた。悪魔、或いは、死神。忌まわし呼称が似合うのは大きな鷲鼻のせいではないが、こんな夜は一際恐ろしく目に映る。

気圧された私の足元に、何かが落ちた。重い音に誘われ下を向くと私の旅行鞄があった。その意味するところを察した瞬間、今度こそ私の息が止まる。

シャーロット。
シャーロットに預けたはずの、物なのに。

「シャーロットは──」

キャタモールを見上げた私の左頬に熱が走り、抗えない衝撃に転がる。殴られたと理解が追いついたところで髪を掴まれ引き起こされ、押し殺した声が唾と共に噴き掛けられた。

「心配か?騒いだらあいつを殺す」
「娘でしょう……っ」

掴んだ髪を揺さぶられ、痛みで身動きできなくなる。自ずと目を固く閉じ歯を食いしばる私の顔に、また唾が飛んだ。

「綺麗にしてやった恩を仇で返しやがってこの女狐が」
「く……っ」

言い返そうとしても初めて体験する頭髪の傷みに耐える事しかできない。そうこうしているうちにもう二回殴られた。

「切り刻んでやってもいいんだぞ、イデア。感謝しろ。陛下が話を聞きたいそうだ」

私は後手に縛られ、頭に麻袋を被せられた。視界が塞がれた後、体にも外套のような物を掛けられる。

「歩け」

深夜。
キャタモールは幾度か立ち止まりながら私を連行した。この男もまた城内を知り尽くしている為か助けには遭遇しなかった。
或いは姿を隠された事で本当にただの侵入者と思われたのかもしれない。

罪人として扱われているという事実は想像を遥かに超えて恐ろしく、無様にも私は歩きながら足を縺れさせ震えていた。

やがて城内の何処とも知れない狭い場所に着いた。足音の反響から窓のない石壁を思い浮かべ、頭から麻袋が外された時に見たのは鉄格子と石壁だった。

独房だ。
独房であってほしい。

もしキャタモールの居住区に設けられた隠し部屋だとしたら、私は誰にも知られず監禁されるという事だ。

部屋の実態がわからないまま、私は腰を蹴られ中に転んだ。続けてキャタモールが入ってきて荒々しく縄を外す。

「余計な事を喋ってみろ。せっかく逃がしたシャーロットも今度は鼻だけじゃ済まさない。全身の皮を剥いでやるからな」
「……」

やり兼ねない。

一瞬の隙を突いて出ようにも、狭い出入り口はキャタモールの体で塞がれており、私の体といえば激痛と恐怖で強張り小刻みに震えるばかりで全く役に立ちそうもなかった。

「シャーロットは無事なの……?」

なんとか絞り出した声は案外まとも。
それが気に食わなかったのか、キャタモールは最後にもう一度暴力をふるった。髪を掴まれ、石壁に頭を擦り付けられる。叩きつけられなかっただけましだが耐え難い痛みに歯を食いしばっても呻きが洩れる。

「黙れ、お嬢さん」

言葉を禁じているのか、それとも呻き声すら許さないつもりか。
激痛の時間は長くは続かず、解放されたと息をついた時にはキャタモールは私の頭を忌々しそうに放り独房を出て鉄格子の鍵をかけていた。

蹲りながら、立ち去る音を追い目を凝らした。
キャタモールがいる独房と私一人きりで過ごす独房なら、一人きりの方が余程楽だ。やがて無情な足音が完全に去ってから、私は彼女を呼んだ。

「シャーロット」

返事はない。
この独房の造り自体、全く把握していない。近場に囚人がいるのかすらわからない。もしかすると牢獄ではなく、懲罰室かもしれない。

「シャーロット、いないの?」

虚しく私の声だけが響くばかり。

「……っ」

私はぐったりと床に横たわり、膝を抱くように蹲る。親切のつもりか、祝宴用のドレスを隠す目的か、外套のような何かと思っていた例の布をキャタモールは置いていった。

寒い。痛い。

震える手を伸ばし布を手繰り寄せ、包まって眠ろうとした。眠れなかった。

「……」

少なくともキャタモールの口ぶりからして私は陛下の前に引きずり出されるのだろう。それなら、まだ終わりではない。弁明の余地は充分にある。私が正気を失わない限り、切り抜けられる。

助けて、と。
心でカール殿下を呼ぼうとした。
すると泣いてしまいそうになり、慌てて心からも瞼の裏からもカール殿下を追い払わなければならなくなった。

何故こんな事にと嘆いても仕方ない。
考え続けなくては恐怖に食い尽くされてしまう。

暫くして、私は意識を手放した。疲労が睡眠を呼んだのか、痛みで昏睡したのかは判断できなかった。ただ目覚めると震えは止まり、恐怖も幾分落ち着いていた。

キャタモールの運んきたパンとスープを2回手を付けずに突き返した。毒が仕込まれていないと何故思えるだろう。相手はあのキャタモールなのだ。

とにかく弁明の相手が国王陛下だとしたら、この状況より更に悪くなる事はないはず。公平な裁きが下されるはず。そう自分に言い聞かせながら、キャタモールが鞭打たれた件を思い出しては戦慄する。

85日。
幾ら無実を訴えても鞭打たれたとキャタモールは恨みを募らせている。

私も同じように罰せられるのだろうか。
考えるだけでもおかしくなりそうだ。

「……?」

キャタモールが食事を運んでくる時とは違う足音に身構える。狭い独房内で奥の壁に身を擦りつけ震えていた私に、足音の主はまず燭台の灯を掲げた。

眩しい。

「イデア」

カール殿下だった。
その時点で私の幻である可能性もあった。

だが忙しなく鍵を開ける音の後で鉄格子が開かれた。這うようにカール殿下は入ってきて私に手を伸ばした。
夢かもしれない。まだそう思っていた。

「遅くなった、すまない。もう大丈夫だから」

激痛を堪えるような声を絞り出し、カール殿下が私を抱きしめた。私を抱きしめながら泣いていたかもしれない。それくらい痛みと切なさの滲む吐息が、耳元で髪を擽るのだ。

私は広い胸に身を委ねゆっくりと息を吐き出し、安堵に目を閉じた。
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