恐ろしい仮面の王妃様 ~妹に婚約者を奪われた私が国王陛下に愛されています~

希猫 ゆうみ

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熱かった。今も熱い。
体が燃えるように熱く、心臓が在り得ないほど激しく鼓動を刻んでいる。走ったという事実とは別の理由がある。わかっている。

カール殿下に行くなと言われ、私の胸は高鳴った。
抱きしめられて混乱し、突き飛ばし、切なく潤んだ心優しい獣の目で見つめられた時、忘れそうになった。この男の血筋は愛した分、残虐な牙を剥くという事を。

手を取られ、手の甲に口づけを受け、二人の私が覚醒した。

この男から逃げろと叫ぶイデア。
この男が欲しいと叫ぶイデア。

二人のイデアが同時に叫んだ。

その時、カール殿下が唇を寄せてきた。私は拒まなかった。むしろ、自分から仰のいて唇を差し出そうとさえした。口づけを受け取ろうとしていた。

だが私は失敗しない。
寸での処で我に返り走り出した。逃げたのだ。カール殿下は私を呼びもしなければ、追っても来なかった。それでも走った。

息を切らせ部屋に飛び込んでから扉に背を預けその場に崩れ落ちた。右手で口を塞ぎ、左手で胸を押さえる。

知らなければよかった。
自分の気持ちを。

私はカール殿下に惹かれてしまった。
自分でも気づかないうちに、共に時間を過ごしながら想いを重ねてきたのだ。

「……っ」

シャーロットのような悲鳴が喉を鳴らす。
私は天井を仰ぎ、強く瞬きを繰り返し、涙を流さないよう努めた。

愚かだ。
愛を失った獣の牙を恐れているのだと思い込んでいた。実際は、もっと酷い。恋い慕う人を裏切らなければならないからその罪が恐ろしいのだ。
そして今夜、私は実行した。シャーロットを故郷へ帰した。

両手で顔を覆い理性を呼び戻す。

自分の気持ちに気づいたかもしれないが、過ぎた事もこれから起きる事も変えられない。
口づけを受けたならそれもそれで裏切りだから、あれでよかった。私は間違えていない。

理性を呼び戻したと思ったが顔から離した両手は小刻みに震えていた。

シャーロットの不在が明るみになれば私は無事では済まないだろう。カール殿下はもう私を助けてはくれない。私はつい先刻カール殿下の愛を拒み逃走した。
私の命綱はアンセルム殿下、ただ一本のみ。

「……」

でもそれでいいのだろうか。

アンセルム殿下はこの際、私からの好意や愛情など後からついてくればいいと考えていそうな余裕が窺える。だからついて行く事はこの足を順番に繰り出せば充分可能だ。難しくはない。

だけど私は気付いてしまった。
カール殿下は行くなと言った。私は行きたくない。カール殿下の傍を離れたくない。

しっかり殺してきたはずの心がいつの間にか命を吹き返し、持ち主の思惑に逆らい、熱を持ち、膨らんでいた。私が目を逸らしたから惑わされた。

優しい微笑み。
穏やかな口調。私を呼ぶ声。
優美で力強く、高貴で人懐こい獣。

カール殿下が私に命を吹き込んでいた。

頭を抱え、嗚咽を飲み込む。

弱音を吐いている暇はない。自己憐憫に浸っている場合ではないのだ。
シャーロットを逃がした以上キャタモールは黙っていない。私が身を守る為にはどちらかの命綱に縋らなくてはならない。

一本は自分から離した。
明日から、もう一度、心を殺し直しアンセルム殿下に微笑まなくては。

「…………」

やりたくない。
カール殿下が見せてくれた様々な表情が目に焼き付いて離れない。

そして恐らくアンセルム殿下は私の心を見透かすだろう。
その時、もう一本の命綱も切れる。

「どこで間違えたの、イデア。考えて。まだ何か方法があるはずよ」

自らに向かって囁く。
ここまで心が乱れる予定はなかったせいで、頭まで混乱して訳が分からず叫び出してしまいそうだった。だが、そうはしない。そんな無駄な事はしない。

考える。

「……」

そもそも、なぜ苦しい想いをしてまで宮廷で生き延びなければならない?
望んでもいなかった宮廷暮らしであり、元はと言えば全てキャタモールに原因がある。

シャーロットに拒否権はなかった。
私には選択肢がなかった。

カール殿下なら、わかってくれるのでは?

当初、私は孤立無援のつもりでいた。カール殿下という監督者を想定しておらず、目の前に現れても警戒の対象だった。

書庫で唇に触れられた時、利用できると思った。
そう思う事で生き延びようとしていた。

私の心はあの瞬間、恋をしていなかっただろうか?
だから口を利けず、そのくせ耳から流れ込む心地よい声に酔い痴れていなかっただろうか?

狡い。
それは事実だとしても、他に方法がなかった。冷静に考えればわかる。悪事を企んだキャタモールが悪いと。

「カール殿下」

告白しよう。
仕立て上げられたとはいえ共犯者であった事も、何もかも全て。
そうすれば愛を拒んだのではないと伝えられる。

シャーロットは逃がしたのだから心配しなくていい。もう私とキャタモール一対一の対決。カール殿下を裏切ったまま逃げ果せるより、真実を明らかにし狂人の悪事を暴すべきだ。

カール殿下に裁かれるなら本望。
心を決めた。

立ち上がりドレスと髪を整える。
夜明けにしようか逡巡し、早い方がいいと判断した。
カール殿下の部屋の位置は把握している。近くまで行き誰かに見つかろうと、私は既に顔が知れており、シャーロットの件で急用と言えば疑われない。

それに、もしかしたら……拒んだ口づけが、私たちの時間が、再び動き出すかもしれない。そんな都合のいい淡い期待を振り払い、呼吸を整え扉を開けた。

キャタモールが立っていた。
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