恐ろしい仮面の王妃様 ~妹に婚約者を奪われた私が国王陛下に愛されています~

希猫 ゆうみ

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60(カール)

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「!」

弾かれたように顔を上げたイデアは確かに泣き出しそうに見えた。

「シャーロットが選ばれなかった……だけじゃない。君を選んだ」

イデアが振り解こうと手を引いた。逃げたがる手をそのまま逃がし、代わりに抱きしめていた。

「行かなくていい」
「殿下……!」

切迫した声音に胸の奥がチリチリと焦げる。
まるで私では不適格だと拒絶されているようで、苦しい。苦しくて、イデアを抱きしめていなければ体が砕け散ってしまいそうだ。

「!」

細い腕に押し返され、私の心は一先ず砕けた。
イデアは肩で息をしながら眼差しに叱責を込めて私を見上げる。

息が震えた。
苦しくて、切なくて、懇願せずにはいられない。

「行かないでくれ……」

イデアは答えなかった。
だからもう一度、手に触れた。手は握らせてくれる。だがダンスレッスンとはわけが違う。

「どうして」

イデアの口からは乾いた声が洩れる。
それは私にとって全く芳しくない知らせの予兆だと悟る。

「どうして……私の野心も……愛も、必ず叶えてくださると仰ったのに……!」

愛?
愛だと?

あの日の私は受け入れられると慢心していたのか。
そうか。

地獄へ落ちろ、カール。
イデアを失う痛みに比べれば地獄の業火などなんでもない。多少苦しむだろうが、その程度で済むなら、悪魔に魂を売り渡してでもイデアを私の傍に留めたい。

だが今この瞬間、私はイデアの信頼を裏切り、失った。

挽回できるとすれば、それは、快くイデアを送り出してやるしか方法はないのか。

「……」

だが私は徐々に気づいた。
嫉妬と焦燥感が私の身も心も焦がす最中に、頭の片隅で在る事実を突き止めた。

イデアが私の手を握り返している。
指先で、緩く、縋るように。

無意識かもしれない。無意識なら尚いい。

先刻、私を拒絶したのは、咎められていると誤解させてしまったからなのではないだろうか。私から話をしようと誘い、彼女が打ち明けてくれたのは罰せられるのではないかという不安だった。
責任感の強いイデアに今夜の番狂わせは痛手だったのだろう。

私はイデアを責めたりしない。

責めているのではなく、懇願しているのだ。
それをわかって欲しい。

「イデア、君は一度聞いた事を忘れはしない。そうだろう?」
「……ええ」
「じゃあ覚えているね。私は、君を失いたくないんだ」

イデアの瞳が僅かに潤み、儚く揺れる。
私は掬い上げたイデアの手の甲に口づけ、指を絡めて開かせ、小さな掌を頬に押し当てていた。

自らの意思で私に触れてくれたなら、どんなにいいだろう。
だが強要したくはない。私の立場では彼女に命じる事さえ可能なのだから、尚更、強いてはならないのだ。

わかっているのに……

私の願望が幻を見せているのか、イデアは切なそうに眉根を寄せ何かに躊躇っている。息をするたびに唇が甘く私を誘う。誘ったかに見えた唇を、悔しそうに噛む。

ああ、それはいけない。

私は小さな掌を押し当てたまま顔を寄せ、唇を重ねようとした。そうすれば噛まないから。

唇が触れる直前イデアは自ら仰のいて私を迎えかけたが、我に返り脱兎の如く逃げた。

「……!」

取り残された私はイデアの後ろ姿を息を喘がせて見送り立ち尽くす。

長く重い溜息が私の体から命を放り出していく。
私は失敗した。私のせいだ。私はイデアを追い詰めてしまった。

「……」

イデアは私を拒んだ。
だが私はイデアを憎みはしない。どこへ逃げても、たとえアンセルム王子を選び私の傍から去ってしまったとしても、愛している。

立ち尽くし孤独に苛まれ、手が震える。
小さな掌の温もりが私たちの最後になるかもしれない。

「……イデア」

だが、結ばれない運命だからといって守れないわけではない。
拒絶されようと、私だけはイデアの敵になりはしない。

目を閉じ、心を整える。

私はアレテイト王国の王太子、いずれ国王となり最高権力者となる。
民を愛し国を強め守る王がイデアを慕う者として相応しいだろう。

イデアは私の太陽。触れてはいけなかった。
だから私の全てを捧げるまでだ。

ゆっくりと瞼を開き、無人の廊下を眺めてから踵を返した。

私は身を引いた。
それが正しい決断であり、イデアの為だと信じて疑わなかった。

だが違った。
私は間違えたのだ。
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