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81(シャーロット)
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「まあねぇ、私みたいに優しい人と結婚していればそんな法律は必要ないんですけどね」
チチェスター伯爵夫人が大らかに笑いながら着替え用のドレスの襞を整えている。
私は丁寧に王妃様の顔から仮面を外す。
「ありがとう、シャーロット」
「拭きますね」
「ええ、お願い」
薬湯に浸して置いた布を絞り、ほとんど傷の癒えた美しい顔面をそっと拭っていく。
あの忌まわしい男によって傷つけられた王妃様の肌は、リムマーク大公国の第三十三王子カルネウス次期王医によって癒された。
私は約束通り、鼻の傷痕に薬を塗り始めた。
王妃様の回復に伴い身代わりという役目がなくなった私は、チチェスター伯爵夫人の手伝いをしながらレースのマスクを作ったり、カルネウス殿下に頼まれて調合の際に助手をしていた。特にあの男の仕事場へ出入りする助手の役目は、贖罪になればという思いから取分け真剣に臨んでいた。
嫌だったのは、覚えられるという事だった。
耳、鼻、そして手が薬を覚えていく。私が姫君として教育されていた時、イデア先生は私を物覚えがいいと言って褒めてくれた。嬉しかった。恐ろしい嘘の中で息をしていても、あの方に認められる事は純粋な喜びだった。
今回もそう。
私にはあの忌まわしい男の血が流れている。薬の種類や効能を覚える度にそれを思い知らされる。でもあの方の役に立てる、償いになると思えば嫌な感情を振り切って頑張れた。夢中になれた。
だから、彼の気持ちには気づかなかった。
アンセルム殿下があの方やカール陛下に友情を示す一環として、カルネウス殿下も失われた宮廷医師の穴を一時的に埋めているだけだと思っていた。
ある時、真剣に調合している私に彼はこう呼びかけた。
「シャル」
私は調合に失敗し、落ち込んだ。
誰にも咎められなかったけれど何かとても大きな罪を犯したような気がしてならなかった。
また別の日、彼は言った。
「シャル、君に贈り物がある」
薔薇を象ったブローチだった。私は途方に暮れた。
私はこんなに高価で美しいものには相応しくないと思っていた。
けれど彼の声は日に日に親密さを増していった。
そして昨日、ついに言われたのだ。
「シャル、愛している。どうか一緒に来てほしい」
「……?」
「妻になってくれ」
あまりに衝撃的で、私は頭が真っ白になって立ち尽くしてしまった。私は自分が落とした瓶の音で我に返った。
我に返った私に微笑み、カルネウス殿下は私の足元にしゃがんで瓶を拾った。
「一応、妃でもあるな。三十三番目の」
「あなたは王医になられるのでは……」
「そうだ。王家の健康は王家の人間が守る」
「……私、が、外国に……」
嫁がされるために宮廷へ連れて来られた。
偽りの姫君はその呪いを解かれ、今は強く気高く優しい王妃様の傍に仕えさせてもらえている。今の暮らしは掛け替えのない宝物のようなものだ。
それは彼にも伝わっていたらしい。
立ち上がり間近でこちらを見下ろす表情は、とても思慮深く穏やかだった。
「あなたには辛い選択になる。だから返事は帰国の時でいい」
但し、とカルネウス殿下は続けた。
「あなたへの想いは隠さない。否ならイデア妃の後ろに隠れなさい」
まるで私がそうするわけないとでもいうように、また優しく笑った。
私は一晩考えた。考えずにはいられなかった。
姫君に成りすました私は何のお咎めもなく悠々と宮仕えをさせてもらえている。この恩に報いるには、罪を償うには、一生、あの方にお仕えするのが当然だと思っていた。それは純粋に私の喜びでもある。
だけど……
思い返してみれば、私をダンスに誘ってくれたのはカルネウス殿下だった。
あの男に捕まりそうになった時、逃がしてくれたのもカルネウス殿下だった。
お城に戻って来た私を真っ先に見つけてくれたのもカルネウス殿下だった。
そして、あの方の無実を訴えたいという私を支えてくれたのも、その時にあの方を迅速に手当てしてくれたのもカルネウス殿下だった。
いつも私の傍に現れて助けてくれた。
カルネウス殿下に守られていたのだと気づいた。
すると芽生えたのは感謝の気持ちだけではなく、甘いときめきだった。カルネウス殿下に求められて、嬉しかった。
私の鼻の傷の為に、カルネウス殿下は薬を調合してくれていた。
その事実に突然、心を癒された。
私は愛される幸せと愛する幸せの両方を知ることができた。
王妃様、母、父、私を愛していると言ってくれた異国の王子様。誰かとは別れなければならない。深い幸せはこうやって痛みを伴うのだと思い知る。辛いけれどそれさえ幸せだ。
現在、帰国の目途は立っていない。
アンセルム殿下は元々長期滞在の予定であった上、私の逃亡を始めとする様々な事件に立ち会い、親切心からしばらく留まる旨を自国に伝え、若き国王の下でよく学ぶようにと返事を受け取ったと聞いている。
でも、永遠ではない。
いつか必ず自国へと帰る人たちだ。
私は今日もまた王妃様にお仕えしながら、幸せを噛み締めている。
でもどこか寂しい気持ちに苛まれるのは、きっと……心のどこかで未来を思い描いたからかもしれない。
チチェスター伯爵夫人が大らかに笑いながら着替え用のドレスの襞を整えている。
私は丁寧に王妃様の顔から仮面を外す。
「ありがとう、シャーロット」
「拭きますね」
「ええ、お願い」
薬湯に浸して置いた布を絞り、ほとんど傷の癒えた美しい顔面をそっと拭っていく。
あの忌まわしい男によって傷つけられた王妃様の肌は、リムマーク大公国の第三十三王子カルネウス次期王医によって癒された。
私は約束通り、鼻の傷痕に薬を塗り始めた。
王妃様の回復に伴い身代わりという役目がなくなった私は、チチェスター伯爵夫人の手伝いをしながらレースのマスクを作ったり、カルネウス殿下に頼まれて調合の際に助手をしていた。特にあの男の仕事場へ出入りする助手の役目は、贖罪になればという思いから取分け真剣に臨んでいた。
嫌だったのは、覚えられるという事だった。
耳、鼻、そして手が薬を覚えていく。私が姫君として教育されていた時、イデア先生は私を物覚えがいいと言って褒めてくれた。嬉しかった。恐ろしい嘘の中で息をしていても、あの方に認められる事は純粋な喜びだった。
今回もそう。
私にはあの忌まわしい男の血が流れている。薬の種類や効能を覚える度にそれを思い知らされる。でもあの方の役に立てる、償いになると思えば嫌な感情を振り切って頑張れた。夢中になれた。
だから、彼の気持ちには気づかなかった。
アンセルム殿下があの方やカール陛下に友情を示す一環として、カルネウス殿下も失われた宮廷医師の穴を一時的に埋めているだけだと思っていた。
ある時、真剣に調合している私に彼はこう呼びかけた。
「シャル」
私は調合に失敗し、落ち込んだ。
誰にも咎められなかったけれど何かとても大きな罪を犯したような気がしてならなかった。
また別の日、彼は言った。
「シャル、君に贈り物がある」
薔薇を象ったブローチだった。私は途方に暮れた。
私はこんなに高価で美しいものには相応しくないと思っていた。
けれど彼の声は日に日に親密さを増していった。
そして昨日、ついに言われたのだ。
「シャル、愛している。どうか一緒に来てほしい」
「……?」
「妻になってくれ」
あまりに衝撃的で、私は頭が真っ白になって立ち尽くしてしまった。私は自分が落とした瓶の音で我に返った。
我に返った私に微笑み、カルネウス殿下は私の足元にしゃがんで瓶を拾った。
「一応、妃でもあるな。三十三番目の」
「あなたは王医になられるのでは……」
「そうだ。王家の健康は王家の人間が守る」
「……私、が、外国に……」
嫁がされるために宮廷へ連れて来られた。
偽りの姫君はその呪いを解かれ、今は強く気高く優しい王妃様の傍に仕えさせてもらえている。今の暮らしは掛け替えのない宝物のようなものだ。
それは彼にも伝わっていたらしい。
立ち上がり間近でこちらを見下ろす表情は、とても思慮深く穏やかだった。
「あなたには辛い選択になる。だから返事は帰国の時でいい」
但し、とカルネウス殿下は続けた。
「あなたへの想いは隠さない。否ならイデア妃の後ろに隠れなさい」
まるで私がそうするわけないとでもいうように、また優しく笑った。
私は一晩考えた。考えずにはいられなかった。
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だけど……
思い返してみれば、私をダンスに誘ってくれたのはカルネウス殿下だった。
あの男に捕まりそうになった時、逃がしてくれたのもカルネウス殿下だった。
お城に戻って来た私を真っ先に見つけてくれたのもカルネウス殿下だった。
そして、あの方の無実を訴えたいという私を支えてくれたのも、その時にあの方を迅速に手当てしてくれたのもカルネウス殿下だった。
いつも私の傍に現れて助けてくれた。
カルネウス殿下に守られていたのだと気づいた。
すると芽生えたのは感謝の気持ちだけではなく、甘いときめきだった。カルネウス殿下に求められて、嬉しかった。
私の鼻の傷の為に、カルネウス殿下は薬を調合してくれていた。
その事実に突然、心を癒された。
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王妃様、母、父、私を愛していると言ってくれた異国の王子様。誰かとは別れなければならない。深い幸せはこうやって痛みを伴うのだと思い知る。辛いけれどそれさえ幸せだ。
現在、帰国の目途は立っていない。
アンセルム殿下は元々長期滞在の予定であった上、私の逃亡を始めとする様々な事件に立ち会い、親切心からしばらく留まる旨を自国に伝え、若き国王の下でよく学ぶようにと返事を受け取ったと聞いている。
でも、永遠ではない。
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