巻き込まれた薬師の日常

白髭

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2C-幹果と油脂

2C-02 トリニタの記憶

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 会話が一段落し、自室に戻った。リンネはどうやら女子同士で話すことがあるらしい。最近では、この部屋にいる時間が唯一の「一人の時間」となっていた。寂しいわけではない。むしろ近くにいてくれることで、献身的に助けてもらえるのはありがたい。しかし、自分には静かに考えを巡らせる時間が必要だった。冷静に、自分を見つめ直すために。
 先ほどの家族との会話を思い返す。思いがけずトリニタの話題になったが、どうにか過去の商取引の話に落ち着かせることができた。地図を見られたのは収穫だ。加工については、近々試作が必要だろう。母の女性としての勘と、商人としての嗅覚はやはり鋭い。
 自分は製薬スキルを用い、過去の知識を呼び起こす。キーワードは「Theobroma」。古語でトリニタを指す言葉だ。

 ======
 USP:Cocoa Butter is the fat obtained from the seed of Theobroma cacao L.
 JP:本品はカカオTheobroma cacao L.の種子から得た脂肪である.
  ~(略)融点:31 ~ 35℃ ~(略)~
 ======

 ――スキルから得られたのは「カカオ脂」の記述だけ。融点の数値や薬用基材としての用途は分かったが、製造法は断片的で、試行錯誤が必要になりそうだ。

 そこで記憶をさらに掘り下げる。かつて旅先で訪れた工場見学の光景が蘇る。夏の北の大地、一面の畑に建つ青と白の工場。見学路には模型や展示が並び、カカオの果実から豆を取り出し、発酵させ、乾燥させる工程が再現されていた。さらに工場内部では、豆を加熱し、破砕し、胚乳を取り出して磨砕し、カカオマスを作る。そこから圧搾してカカオバターとココアパウダーに分ける――。その技術を編み出した人物の名も思い出す。

 さらに学生時代の実習の記憶。カカオ脂の結晶多型――I型からVI型まで存在し、温度によって安定性が変わる。V型結晶を得るためには温度管理が必須で、36℃を超えてはならない。温度を誤れば固まらず、液状のままになる。座薬の実習で失敗した友人の姿まで思い出し、思わず苦笑した。

 この結晶多型を制御する技術は、薬にも食品にも応用できる。温度を操作し、結晶の種を作り直すことで、常温で固形となり、口どけの良い形を得られる。――つまり、チョコレートを作るための「テンパリング」の技術だ。

 机の上に置いたトリニタ豆を見つめ、どう加工すべきか思案していると、コンコン、と扉が叩かれた。

「兄様、入ってもいい?」
「ああ、いいぞ」

 入ってきたのはマリンとリンネ。二人揃っているあたり、相談事だろう。

「兄様、今日はお願いがあって来ました」
「何の話かな?」

「ほら、マリン。言わないと」
「……兄様。この前、言っていたよね。魔術を教えてくれるって。もうそろそろかなって」

 妹のよそよそしい口調に、思わず苦笑する。確かに約束した。パラケル爺さんを説得し、教会で皆に魔術を教えると。妖精ローセアに「ロセアスティル」と銘を付けられたアクアヴィーテを取引材料にし、その見返りにパラケル爺さんに魔術を施してもらう――。証人は父サルタン、アゼル爺、サーカエ村長。氾濫前の話で、後回しになっていたのだ。

「たしかに約束したね。父さんに話してみよう。サーカエ村長も同席していたから」
 居間に行くと、父と母が軽く酒を酌み交わしていた。

「父さん、この前の魔術の授業。準備はどれくらい進んでますか?」
「ああ、あれか。村長と教会の司祭には声をかけてある。後はお前とパラケル爺との打ち合わせ次第だ」

「村の子供たちはどのくらい受ける予定ですか?」
「全員だな」

「全員……自分を入れて十三人ですね」
 週二回の講義なら負担は少ない。三日後に司祭と相談し、内容を詰めることになった。

「やった!楽しみ~。ローズちゃんとフローラちゃんにも言っておかないと」
「よかったですね、マリン」

「リンネ、あなたはこちら側だからね。一緒に教師役をやろう」
「えっ!? わ、私もですか? 教えるのは苦手かも……」

 リンネは少し戸惑いを見せたが、その表情には確かに期待も混じっていた。
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