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本編

23.幸か不幸か、興味の向かうその先は

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 幸か不幸か、幼い私は王太子の顔を知らなかった。
 ……まぁ、二十歳になった私も王太子の顔を知らなかったのだから当然だろう。


『悲しいことがあったの?』
『痛いところがあるの?』

 どんな質問にも彼は答えず俯くばかり。
 必死に耳を傾けてみるが、聞こえるのは鼻を啜る音だけで。


“だから私は、自分の話をしたんだわ”

 それは寂しいという本音を隠した小さな愚痴だった。
 深い意味はない、何も話してくれないから自分の話をしただけ。

 子供だって大変よね、という大人の真似事。


『お母さんがすぐに行っちゃうの。ご飯を食べる時と夜ご飯の後と、寝る前しか一緒にいてくれないの』

 どこか同情を誘うような、そんな言葉。
 それは寂しいね、なんて、言って貰うための言葉。

 けれど――


『帰ってきてくれるだけでいいだろ、僕にはもういないんだから……!』


 ――母を喪ったばかりの幼い少年の心を傷付けるには十分だった。


 再びぼろっと涙を溢れさせた彼を唖然として見上げる。
 何を失敗したかはわからなかったが、とにかく謝らないとと思った私は怒鳴った勢いのまま走り去ろうとしたその少年へと手を伸ばして。


 ――バシッ

 手を弾かれる乾いた音だけがその場に響いた。


「私の手を払った時に見た、あの傷付いた顔……。浴室で見た顔と同じだったな」

 はらりはらりと少しずつ積もる記憶。
 思い出す度に今の彼と重なり溶けて、胸の奥がただただ痛い。



 一瞬傷付いた顔をしたその少年はすぐに眉をひそめ、そして何も言わずに走り去った。
 私はそんな彼の背中をただ見送るしか出来なかった。

 その後どうやって帰ったのかまでは思い出せない。

 適当に歩いていたら偶然家路についたのかもしれないし、さ迷っていたところを帰ってきた母が見つけてくれたのかもしれない。
 
 ハッキリ思い出せないのは記憶が全て甦ってないからではなく、彼の顔が焼き付いて離れなかったからだった。


 何を失敗したかはわからなくても、私が傷付けたということは理解していた私は、その日からその男の子を探すようになった。

 傷付けたのは私なのに、私の手を払ったことにショックを受けた彼。
 最初から傷付いていたのは彼の方だった。

 だから、謝りたかったのだ。
 そして伝えたかった、傷付けたのは私だと。

 ――だから貴方は傷付けてはいないのだと。


 その機会は意外にも早く訪れて。


『あの時はごめん』

 先に謝ったのは私ではなく彼の方だった。


 
「お互い謝り合いっこをしたんだわ。段々何に謝ってるのかもわからなくなって、それがなんだか可笑しくて。思わず吹き出して笑い始めたのは私の方が早かったかも」


 始まりがそんなだったのに、いや、始まりがそんなだったからこそ親しくなるのは早かったのかもしれない。

 
“沢山話したわ、お互いをよく知らないからこそ軽口が言えた”

「……いや、違うわね。今も敬語とか使えてないもの」


 そしてそれを彼は許してくれているのだ。
 今も、そして、あの頃も――

 
 会うのは基本あの森の外れだった。
 最初こそ場所がわからなくなったものの、案外母と住んでいた家から近かったこともあり迷うことはなくて。

『明日は沢山の人と会うんだ』
『偉い人?』
『そうかもね』
『会いたくないの?』
『上手くできるか心配なんだ』
『失敗したらダメなの?』
『そう。僕は失敗したらダメなんだ』

 哀しそうに笑った彼のその言葉になんて返したらいいのかわからなかった。
 子供だとか大人だとか関係なく、人は失敗する生き物なのに。

“そんなことないよ”と、“失敗してもいいんだよ”と伝えたかったが、どう言えばいいかがわからなくて。
 
 
『失敗して、落胆されるのが怖いんだ。期待外れだったとそう思われるのが怖いんだ』

 それがきっと彼の本音で、その小さな体に隠した真実。
 まるでひび割れたカップから少しずつ中身が滲み漏れるように、じわりと溢れるその本当を守ってあげたくて。



「じゃあ、私は期待しない。私だけは期待してないからねって」

『だから、そのままの君でいていいんだよ』って。

 
 最初から期待されてないなら気負う必要もないからと。寄りかかってもいいのだと。


「私、メルヴィにそう言ったんだわ――……」



 私が確かに幼い彼に言ったんだ。
 私たちは幼い頃に会っていたんだ。


「気になる、ねぇ、気になるの」

 貴方を抱きしめた後私たちはどうなったの?
 最後に会ったのはいつだったの?
 私は何の記憶を魔法で消してしまったの?

 
 気になって気になって仕方がない。
 抗うことが出来ないほどの強い欲求。

 知ることへの興味と探求。
 だってこれは魔女の性だから。

「だから、教えて。きっと今も私を大好きな、そして私の大好きな泣き虫王子様」

 
 薬草の本を抱えたままその部屋を飛び出す。
 下腹部に違和感はあるが、自分で思っていた以上に時間がたっていたのか小走り程度ならできるまでに回復していた。


“でも、どこにいるのかしら”

 執務に戻る、と言っていたメルヴィ。

「でもそれ、絶対嘘なのよね」

 この国唯一の王太子、それもかなり期待され、そしてその期待に応えてきたことを考えると、きっといくらでも仕事は見つかるだろう。
 考えることを拒絶して仕事のスケジュールを詰める可能性だってあるけれど。


「……一人でこっそり泣いていた、あの子が?」

 きっと今頃どこか一人で落ち込み泣いているのではないかとそう思った。


“メルヴィが一人で泣ける場所はどこかしら”


 きっと幼い頃一緒に過ごしたあの森にはいない。
 だって私が今ここにいるのだから。

「薬草畑? ううん、あそこは外から丸見えだし」

 ならあの迷路はどうか、と考えたが、ピンとはこなかった。

「流石に屋根に引っかかったままのソファじゃないわよね」

 想像し、一瞬あり得そうな気もするが、慌てて頭を左右に振りその考えを追い出す。
 万一落下すれば大変なことになるあの場所に、責任感の強い彼が一人で行くことはないだろう。


“私の部屋も、彼の部屋も違う、執務室にはいないだろうし……じゃあ、どこに行っちゃったの?”

 私が魔法をかけた街も考えたが、警備的な部分できっとその場所も選ばない。


 気になる。
 どうしても気になるの。
 どうしても知りたいの、貴方の側に行きたいの。

 だから、お願い。


「メルヴィのいる場所が知りたい、どうしても行きたい」

 両手をぎゅっと強く握る。
 メルヴィのことだけを考え、彼のいる場所をただただ求めて。
 
 私は強く強く、乞うように願ったのだった。




「こんなところにいたんだ」
「……」
「ねぇ、こっちにきたら?」
「……」
「じゃあ私がこの窓を飛び越えようか」

 
 ある廊下の奥まった突き当たり。
 パッと見では気付かないような、どこか素朴でこぢんまりとした雰囲気のある小さめの扉。

 隠す意図はなさそうだが、それでも人目にはつきにくいその扉は大きな通路側からは死角になっているものの、扉の近くにある窓からは太陽の光が射し込み決して嫌な雰囲気には感じない――そんな小部屋の、扉の近くにある窓の外。

 まるであの頃の幼い少年のように縮こまって座るのは、探し求めていたメルヴィだった。


「見つかってよかったわ。あ、なんで見付けられたかわかる?」
「……」
「魔法を使ったの。凄いでしょ、これで成功したの、四回目だわ」
「……」
「メルヴィの場所が知りたいって強く願ったらね、なんだかあったかい空気みたいなものを感じたの。その方向に進んだらここに辿り着いたのよ」

 聞いているのかいないのか、一言も返事がもらえない。
 怒ってるのだと、ならそっとしておいた方がいいかもしれないと、私がただの人間だったらそう思ったのかもしれないけれど。


“お生憎様。私は魔女なのよ”

 知りたいことを、気になることを目の前にして我慢なんてできない。
 それが魔女の性で、習性で。


 私という存在だから。

 
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