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本編

3.借りは返さないと気持ちが悪いから

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“そんなの、絶対嫌!”

 そう強く思った私は、万一にもそんな風に思われないように平然と装った。
 何より男性に負けた、なんて思いたくなかったのもある。

 後から考えればそもそも勝ち負けではなかったし、万が一があってからでは遅く自己防衛の意識が高いことは正しいのだと断言するが、少なくとも熱に浮かされた私はそう思ってしまい――


 
「久保さん、家、着きましたよ」
「ふぇっ?」


 そして本当に寝てしまったらしかった。

“危機意識!!”

 寝落ちする前は確かにそんなことを考えていたのに、実際のこの体たらくに思わず頭を抱えてしまう。
 
 まだ寝起きでかつ熱で意識がぼんやりしつつも周りを見回すと、そこは紛れもなく私の一人暮らしをしているマンションの前だった。

「本当に家に着いてる……」

 車から降りながら思わず溢した一人言。
 その言葉をすかさず拾ったのはもちろん水澄さんである。
 
 
「流石に病人……以前に同意のない相手に何かしたりしませんよ。しかも社用車ですし」
「え……、あ」

 言われてさっきまで乗っていた車を振り返ると、確かにドアのところにはKANGAWAカンパニーの文字があった。

“やだ、乗る時全然気付かなかった……”

「もちろんナビの住所も、はい。消しましたよ。確認されますか?」
「えぇっと」

 話しながらナビを操作する水澄さんを見ながら自分の勘違いで頬が熱くなる。

 社名が刻まれた社用車では、人の目もあり変なところどころかスーパーにだって行けないだろう。
 それも大手企業として名の通っているKANGAWAカンパニーならば尚更だ。

“自意識過剰、本当のことじゃない”

 思わず恥ずかしくなった私が俯くと、そんな私の様子に気付いたのか水澄さんが安心させるようににこりと微笑みながら後部座席から荷物を出し渡してくれた。

「許可して貰えるなら部屋までお持ちしますが」
「いえ、その……、ありがとう」

 私に疑われていたことに気付いてるはずの水澄さんは、それ以上その部分に触れることも怒って追及することもなくただただ心配そうに微笑んでいて。
 彼のこの気遣いも私の羞恥と罪悪感を煽り、気付けば私は差し出された荷物ではなく彼の腕を掴んでしまっていた。


「何か、何かお詫びをするわ!」
「え?」

 私の言葉が意外だったのか、きょとんとした顔を返される。
 けれど、そんなこと気にせず私は彼に詰め寄った。

「なんでも言って!」

“散々疑った上にこれだけ迷惑かけたんだもの、このままなんて完璧美人の名が廃るわ”

 「なんでもって言われても……」

 明らかに戸惑った様子を見せる水澄さんを、私はじっと見上げる。
 このまま借りを作っておくなんて絶対にしたくなく、そしてそんな私の意思に気付いたのだろう。


「じゃあ、コーヒーを奢ってください」
「コーヒー?」
「えぇ。そもそもこういう時ってお互い様ですし、見返りが欲しくてしたわけじゃないのでそれで十分ですよ」

 流石にそんなのお礼にならないと思ったが、彼も引くつもりがないのか私の方へ微笑んだまま動かない。
 私は仕方なく曖昧に頷きながら、差し出されていた荷物を受け取るしかなかったのだった。


 その後一人部屋に戻った私は、やはり熱の影響かそのまま眠り、土日も買い置きだけでなんとかして存分に体を休めた。
 そのお陰もあり週明けには完全復活し、月曜日を迎えて。


「美月先輩のせいで私がサボってたの、バレたんですけど」
「あら。まぁ受付に私しかいなかったからそう勘違いされたのね。貴女も正直に言えばよかったじゃない? 自分も体調不良だって」

 なんていうやり取りもこなせるようになっていた。

“というか、自業自得じゃない”

 突然持ち場を抜けたのだから、本来ならば迷惑をかけたと謝罪するべきだとわかっていたが、彼女の第一声がそれだったのでこのままスルーすることにする。
 そもそも自称体調不良で同僚も持ち場にいなかったのだからお互い様だろう。

 
 受付に立っている時間は横から刺々しい気配を感じていたが、その気配も流した私は昼休みに総務部へと向かった。
 もちろん金曜日の早退届を出すためである。

「確か総務部長に話を通しておくって話だったわよね」

 水澄さんの上司である盛岡部長の言葉に甘えて総務部を訪れた私が総務部長を呼んでもらうと、確かに話を通しておいてくれたらしく早退届を手にして出て来てくれた。
 ありがたくその場で記入するとすぐに受理して貰え、これが連携というものだと改めて感動する。

“現在の受付にはないものね”

 そんな考えが頭を過り、思わず苦笑すると総務部の盛岡部長が少し怪訝そうな顔をした。

 
「すみません、お手間おかけし申し訳ありませんでした」
「いや、構わない。理香子も心配していたし、今後は倒れる前に休むようにしてくれ」
「はい」

 
 盛岡部長にペコリと頭を下げてから総務部を出た私は、ロビーに設置された紙コップ式の自販機に目を止める。

“コーヒー……”

 奢ると約束したコーヒー。
 出社時に声をかけようと思ったが他の出勤者に紛れて気付かなかったのかそれとも直行で得意先に向かったのか、水澄さんは見つからなかった。

「そもそもあの時声をかけてくれたのは私の顔が赤くなっていたからだし」

 それまで名前は知っていたが接点はなかった事を考えると、このままだとどこかで意図的に彼を捕まえなくては約束が果たせないだろう。
 
“このままは流石にないわね”

 あれだけ迷惑をかけ、疑いまでもをかけたのだ。
 それなのに彼は嫌な顔ひとつ見せなくて。

 はぁ、とため息を吐いた私は、その自販機に向かって足を進めたのだった。


“いないわね”

 自社ビルだが食堂はないため、昼は外に食べに行くか自分のデスクで取ることになる。
 そのため昼休みも残りわずかとなったこの時間ならいるかと思ったのだが、残念ながら水澄さんはいないようだった。
 
 外回りの多い営業部は基本外出ついでに食事を取ることが多いため、今日の彼もそのまま外で食事し次の得意先へ向かうのかもしれない。

 
「すみません」
「あ、はい。……て、え? 久保さん?」

 仕方なく社内に残っていた営業の男性に声をかけると、少し驚いた顔をしたその男性の頬が少し赤らみ内心うんざりとした。

「水澄さんの席を知りたいのですが」
「えっ、水澄ですか」

 私の言葉を聞き、さっきまで頬を染めていた彼の顔ががっかりしたものに変わったが、その事実には気付かないフリをして笑顔を向ける。

「先日少しご迷惑をおかけしたので」
「あ、そうだったんですか。あいつの席はあそこです、あの端」
「ちなみに昼食後戻られますか?」
「いや、確かそのまま外回りだったかと」
「そうですか」

 彼の指さした方を確認し、教えてくれた男性へお礼を言い教えられた席へと向かう。

 
 そしてあらかじめ用意していたふせんをポケットから取り出した。
 いなかった時のことを考えそのふせんの一枚目には、簡単に先日のお礼と自分の名前と電話番号を書いておいたのだ。

“すぐ戻るようならこのふせんを貼った紙コップに貼ったんだけど”

 残念ながらいつ戻るがわからない以上このコーヒーを置いておくわけにもいかないので、仕方なく捲ったふせんを机の端に貼る。

「連絡、来るといいんだけど」

 このままお礼も言わないのは気持ちが悪いし借りを作ったままというのも気になる。
 だからこそ私はついそんなことを呟きながら、手に持ったコーヒーを口に運んだのだった。
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