姉ちゃんの失恋

月波結

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第7話 屈服させたい――カエデ

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 門戸が開くキィッという金属が軋む音がする。それからパタンという傘を畳む音。シュルシュルシュルと傘を巻く。
 暑い中、具合が悪くならないように日傘をさして彼女は歩いている。玄関の扉に鍵が差し込まれる。ドアノブを引く音がして、「ただいまぁ」という乾いた声が聞こえてくる。
「おかえり」
 僕はあわてて立ち上がるとリビングの入口までツバキを迎えに出た。ツバキは興味なさそうに、来てんの、と一言いった。僕は何と答えたものかと一瞬考えてから、答えようもなくて、ごめん、と一言謝った。
「アオイ、姉ちゃん帰ってきたから帰って」
 あ、うん、待って、とアオイはいつもしている。言われたことを行動するまでにワンテンポ遅れる。
 立ち上がってから忘れたようにバッグを取り上げる。勉強しに来たと言いながら持ってきたのは、教師が夏休み用にわざわざ作り上げた刷られた問題用紙1部のみだった。それをかごバッグの中に丸めて突っ込んで、もう一度立ち上がる。
 ガン見される。
 キスを要求されているのだ。
 頭を少しだけ仰け反らせて、口を軽く開けている。姉ちゃんがいつ下りてくるかわからないのに、長くキスしろって言うのか。大したもんだ。
 仕方がないので唇から攻める。ぐるりと舐めてやると身をよじる。腰の力ががくっと抜けるのがわかるけど知ったこっちゃない。そっちが納得するまで攻めるのみだ。ほんのちょっと首を傾けて口の奥を目指す。長く長く舌を伸ばして、口の中の異物感を感じさせる。短い舌で、反抗するように僕の舌をねじ伏せようとするけれど、そんなものに意味は無い。アオイだってねじ伏せられて巻かれ取られたいんだから。

「じゃ、またね」
と暑い中顔を紅潮させてアオイは真夏の空の下に出て行った。もう夕方と言える時間だけど十分、蒸し暑い。こんな中、歩いて帰るなんてお疲れ様だ。
 玄関から一歩も出ることなく、僕は彼女を送り出した。

「帰ったのー?」
「うん」
 もう下りて平気? と言いながら階段を下りてくる。ぺたん、ぺたんと足音が響く。
「あー、だる。アイスあったっけ」
 ちょっと待って、と答える。ツバキは肩甲骨までは確実にある、長くてしっとりとした重みのある髪を解いて、俯きながらリビングに下りてきた。三つ編みにしてあった髪が、自然にウェーブを作っている。
「髪、ウェーブ、キレイにかかってる」
「そう? ……あ、わたしクーリッシュのカルピス。さっぱりしてて最高」
「これか、どうぞ」
「カエデも同じのにしなよ」
「ストック無くなっちゃうよ」
「いーの、いーの。後で一緒にコンビニに行こ」
 カチカチに冷えたクーリッシュを渡す時、長い髪の隙間からツバキの目元がはっきり見えた。腫れていた。
「どうしたの、カエデ?」
 先に食べてて、と言ってタオルを取りに行く。水道の水を目いっぱい出して、できるだけ冷たい水でタオルを冷やす。
 無言でそれを差し出す。
 しばらくツバキはタオルを見つめていた。クーリッシュは開けたばかりのようで、左の手の中にキャップが入っているのが見えた。
「そんなに汗かいてる? ごめん、見た目にも汚かった?」
「……違う、目の周り……」
 あ……、とツバキは言った。それは肯定だった。
 どうして夏の集中講義に予備校に通うツバキが泣きながら帰ってきたのか、訳がわからなかった。
「ありがとう」
 ツバキは器用に、右手で目元を押さえながら、左手でクーリッシュを持って飲んだ。そうして、
「目で見てないと味がよくわからないって本当なんだね」
と全然関係の無いことを言って、僕をぽかんとさせた。
「カエデ……食べ終わった?」
「まだ開けてない」
「キスしてくれる?」
 そう言ったツバキの目はまだタオルで閉ざされたままだった。もしかしたら、見えない方が都合がいいのかもしれない。見えなければ、自分の都合のいいヤツとすり替えてキスできる。それは先輩なのかもしれない。
 つまり、何故だかすごく嫉妬した。見えない誰かに嫉妬するのはバカげている。ツバキは用心深い性格だが、もしうっかり柳先輩から何らかの連絡が来たりしたら泣くかもしれない。それなら涙の訳も理由がたつし、僕にキスの代役を求めるのもわかる気がした。
 どっちみち、この人を泣かせられるのは僕じゃない、柳先輩だ。
「ん……」
 ツバキの薄くて紅い唇から侵入すると、口の中はひんやり冷たかった。ツバキがうっかり声を出したのもわかる気がした。どっちがカエデでどっちがツバキかわからなくなるような行為をしながら、互いの温度差を感じていた。僕は冷たいプールの中に身を沈みこませた時のような気持ちになって、たっぷり酸素を吸い込もうと何度も繰り返し息継ぎをした。
「ん……カエデ……」
 ツバキが僕の胸に手をやって、僕を突き放す。そこまで行って初めて、やり過ぎたことに気がつく。うっかり、意識が遠いプールの中から出られなくなるところだった。片手がツバキのスカートの裾をたくし上げようとしていた。
「あんたっていつも、そんなに長くキスするの?」
 もうタオルは外されて、ツバキは強い瞳で僕を見た。恥じらっている、とそう感じた。
 たった1つしか年の違わない姉に対して、強く頭を押さえられているという感じを受けたことはなかった。ツバキは言葉こそ乱暴だが、2つの飴玉をもらえば1つは必ず僕にくれる、そんな姉だった。だから、屈服させたいと思ったことなどなかったのに――。
「そんなことないよ」
 ツバキとしたキスが気持ち良かったから、とは言えずにいた。
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