17日後

月波結

文字の大きさ
30 / 35
第2章 要の17日

5日前 要

しおりを挟む
「おはよう」
「おはよう……」
 今朝も由芽より早く目が覚めて、由芽の寝顔を眺めていた。
 思えば2年間、見つけ続けた風景……。慣れる、を通り越すくらい長い間こうして来たのにどうしてそれを忘れていたのか、不思議に思う。
 由芽の、自然に流れる髪に指を通して耳にかけてやる。すべてがやさしい時間で、彼女しか目に入らない。
「……本物の要?」
「本物だよ。本物の由芽?」
「もちろん本物だよ」
 バカなことを確かめあってくすくす笑う。彼女の素肌をそのまま感じる。二人はゼロ距離だ。
 いつまでも裸で転がっている「玲香流」の生活はできないので、由芽といつも通りの生活を規則正しく始める。手始めに昨日、約束した通りゴミを出しに行く。それを見て由芽が笑う。今までもゴミ出しくらいは手伝っていたのに。
 その間に昨日食べなかった例の生姜焼きと味噌汁を彼女が温め直してくれて、朝ご飯ができた。
「せっかく作ったのに、食べ忘れるなんておかしいよなぁ。由芽に食べてほしかったのに」
「結局こうしてわたしの中に吸収されてるんだからいいんだよ」
「美味しい? 『生姜焼きの素』」
「美味しい。今まで熱心に生姜をすりおろしていたのがバカに思えるくらい」
「……もう、すりおろさないの?」
「心配しなくても、まだすりおろすと思うよ」
 大げさに「よかった」とため息をついて、由芽を笑わせる。彼女の何気ない自然な笑顔がまぶたの裏に焼き付く。
「あのね」
「ん?」
「……実はタマネギもすりおろしてるんだよ? すごく涙が出ちゃうんだけどお肉がやわらかくなるんだって」
 オレがきょとんとすると、由芽がくすくす笑い出す。
「ね、気づかなかったでしょう? ショウガだけじゃないの」
「ちっとも気がつかなかったよ」
 二年もべったり一緒にいても、まだまだ知らないことがある。たかが「生姜焼き」のことでも。その事に驚く。

「わたしが本当はこんなにバカで、だらしない人間だって知って幻滅しなかった? もしもまだ別れ話が出る前、知ってしまっていたら、それでも好きでいてくれた?」
「……由芽はなんでも完璧なんだから、これくらいでちょうどいいんだよ。いつだってオレに見えないところで努力してくれてたんだなぁって、昨日、初めてそう思った。部屋はいつもキレイに片づいていて、毎日美味しいご飯が出てくる……。それが当たり前だと思って、オレはその上に胡坐をかいてたんだ。だから、由芽はもっと肩の力を抜いて、自分のために時間を使っていいと思うよ」
 むしろ、完璧な彼女に自分はそぐわないと、そう思っていたのかもしれない。
 由芽は今までどんなときでも泣き叫んだりすることもなかった。ただいつも静かに微笑んで、悲しみはささやかな涙で流して堪《こら》えていた。そんな彼女を物足りないと思っていた自分を今、遠くから見つめる。なんてバカげていたんだろう……。何も見えていなかった。

「わたしが完璧?」
「だってオレに弱いところをほとんど見せないじゃん」
 オレじゃ頼りにならなかったのかもしれない。彼女を悲しみから守れなかったどころか、悲しみに突き落としてしまったのだから。だからこそ、恩返しがしたい。こんなオレをずっと待ち続けてくれる彼女に返せるだけの何かを、持ち合わせているだろうか? オレにしかできない、何か。

「もっと甘えていいんだよ。むしろ、もっと甘えて」
 あとたった五日しかない。悲しませてしまったオレはもう、由芽に顔向けができない。五日間だけ、恋人の顔をしていてもかまわないんだろうか? 約束を盾にしてもいいんだろうか? 
 もしそうなら、今までの分も甘えてほしい。由芽の苦手なたっぷり甘いスイーツより、もっと「もういらない」って言う程、甘やかしてみせるから。
 由芽が、言いにくそうに言葉をこぼす。
「あのね……わたしのセックスじゃ、ダメだった?」
「気にしてるの?」
「それは……それがいちばんの理由だったみたいだから」
 ぎゅっと抱きしめると小動物のように小さな鼓動と温もりが伝わる。
「難しいな……。彼女はそもそもオレたちと考え方が違うんだよ。彼女にとってセックスは楽しい遊びで、毎日の刺激なんだ。でも、オレたちは違うだろ? 由芽は初めてだったから、オレたちはオレたちのセックスを作ったじゃん。それは、根本的に比べようがないから」
 玲香のセックスは刹那的だ。彼女自身が、明日に繋がるものを望んでいない。その時、その場での快楽に身を委ねて、飽きてしまうとまた次の快楽を求める。
 由芽はオレの答えに納得がいかないようだった。オレだって立場が逆なら納得がいくはずがない。何しろそのせいで散々泣いて、納得のいく答えももらえない……。クッションでめちゃくちゃに殴られる。
 
「遊び、とか、刺激、とか。そんなんでこんな思いさせられて……」
 刺激的なセックスに惹かれて玲香とつき合い始めたけれど……セックスだけじゃ恋愛はできないってことになんで気がつかなかったんだろう? それともつき合うって決めた時には、玲香との生活が成り立つと自分は思っていたんだろうか? ただ後戻りができなかった、ただの卑怯者なのかもしれない。由芽の顔を真っすぐに見られなくなっていった。
 由芽を割れ物を扱うように抱きかかえる。あんなに泣いていたのに、腕の中に包むと落ち着いてただ静かに泣いた。オレの肩が、由芽の嗚咽に合わせて一定のリズムで揺れる。
「由芽、明日の月曜日から十七日目まで、あと五日、学校休んじゃおうか?」
 何度数えても、与えられた残り日数はたった五日だった。
「……どうして?」
「由芽と二人っきりの時間が欲しいんだ。もう一度、二人の二年間を見直したい」
 その五日で何ができるのか、漠然と考える。

 愛おしい、という気持ちを受け渡したくてキスをする。初めてキスしたとき、繋いだ由芽の手が震えていて、それがいっそうかわいくて、二度唇を奪った。
 今日もまた緊張しているな、と思う。長くつき合ったのに、まだキスひとつにこんなに緊張するなんて。愛しくて、愛しくて本当は噛みつきたいほど好きだけど、深いキスで我慢する。何かを受け渡したくて、それでいて奪ってしまいたいような。
 ――ああ、やっぱりこんなに好きなんじゃないか。
 胸の中のつかえが取れて、5日後に由芽に呆れられて別れるとしても、女々しく由芽を思っていればいいや、と思う。 
 由芽のことだけを思っていればいい、例え離れても。

「一度だけ、本気で抱いてもいい?」

 言えなかった言葉を口にする。
 だってどうせ5日なんだし、由芽もそれを望んでるんだし、オレだって本当は……。大切にしたい気持ちと、もっと愛したいと思う気持ちをいつも天秤にかけていた。めちゃくちゃに愛してしまうのが怖くて、それで引かれたらと思うと怖くて、そうできなかったけど。
 でも好きだってこと、全部、まだ伝え終わってない。どれだけ好きだったのか伝えたい。

「……本当のことを言うと、ずっと由芽を男として本気で抱きたかった。由芽をオレの好きにしてみたかった。でも、由芽のこと大事にしたかったし、傷つけたくなかったんだよ」
「わたしを……?」
「そう、オレの彼女を」
 彼女は即答はしなかった。
 好きなだけ、という言葉にピンと来なかったのかもしれないし、何を今更、と思ったのかもしれない。
「わたしは、要がそうしたいならそうしてほしい。もしそうしてもらえたら……うれしい」

「怖がらないで、オレはオレのままだから」
 キスにキスを重ねて行って、戻れないところまで求め合う。ただ唇を重ねていくだけでこんなに安心するのは何故だろう? 由芽はいつもびくびくしながらキスを受けるので、ついこっちも引き気味になってしまう。でも今日は多少彼女に怖い思いをさせてでも、思いをぶつけたい。「愛してる」って、言葉で伝えるのがもう遅すぎるなら、このチャンスにすべて伝えたい。
 ……キスだけじゃ足りなくなってくる。

「大丈夫?」
 由芽の顔を見る。目をぎゅっとつむって、背中に強くしがみついている。
「まだ怖くない?大丈夫……?」
「要が、欲しいの。もっと続けて……」
 彼女の言葉にほっとする。受け入れられていると思うと、もっと欲しくなって、止まらなくなってくる。
「怖くなったら、言って」
 こくん、と小さくうなずくのを確かめてから彼女のすべてを、ひとつひとつ愛していく。時折、今までなら飲み込んでいた声がため息のようにかわいく聞こえて、またそれを求めて少しだけ意地悪をする。
「声、出ちゃうのが嫌なら、オレの指、噛んでもいいよ。……でも、オレ、由芽の声好きだけど。いつも我慢してるでしょう?」
 由芽はもう涙目だった。かわいそうなはずなのに、かわいくて仕方がない。泣かせているのが自分だと思うとたまらない。「お行儀のいい」セックスはどこかに消えて、由芽のすべてが丸ごとオレのものになる。そう、今になって初めて本当に彼女と繋がれた気がした。
 繋がったまま、お互いの息が上がってくる。由芽も眉根を寄せて苦しそうに顔を歪めている。塞いでいない口から、いつもは聞けない形にならない声が漏れる。口づけを交わす。ふたりが今、ひとつになる約束。
「……ごめん、余裕ないや」
 約束を果たす。



「体、大丈夫?    痛いところない? 無理しなかった?」
「うん、あっても大丈夫……」
「それ、大丈夫って言わないだろ」
「だって……」
 恥ずかしそうに布団を顔まで被って隠れた彼女の額にキスする。オレの彼女は思っていたのと全然違って、壊れ物なんかじゃなかった。それどころか、「女の子」でさえなくてしっかり「女」だった。今まで何を見てきたのか……?
 
「あのね、要がすき」
「知ってるよ」
「……要は?」
「由芽がオレのものになって、すごくうれしいんだけど……気持ちよかった?」
「すごくよかった、って言ったらはしたない?」 
 そんなことを言う彼女を想像したこともなかった。だってほら、あの夏の日の彼女はどう見ても支えが必要な少女に見えたから。
「男にとって、好きな女の子を満足させられるのはすごく光栄なことなんだよ、すごくうれしい」
 苦しいかもしれないな、と思う強さで小さな頭をぎゅっと胸に押しつけた。オレのお姫様は、やっぱり由芽だ。気がつくのが遅くて、迎えに行くのが遅くなったけれど、オレが拾ったガラスの靴の持ち主は由芽で間違いないんだ。
「ずっとずっと、要のものだったし、いつも繋がれればそれで満足してたよ」
「そういう意味じゃなくて、だよ」
 とりあえず由芽の鼻をつまんでおいた。すべてがもう遅いのかと思うと泣けてきた。「十七日後」なんていう縛りを作った自分が恨めしかった。こんなに傷つけて、五日後になっても「好きだ」なんて真正面から言えるはずない。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

十年愛 〜私が愛した人はズルイ人でした。それでも愛するのを止められないのは私の罪ですか?〜

朔良
恋愛
短大を卒業し、新社会人として輸入車ディーラーの営業として入社式に参加した「如月 美咲(きさらぎ みさき)」。 純粋に期待と不安を胸に社会人としての生活が始まる。 まさか、この後の出会いが身を焦がす様な恋をするなんて思いもしなかった。 ✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻ この物語はフィクションです。実際の会社・人物・出来事等とは一切関わりはありません。 ✻✻✻✻✻✻✻✻✻✻ 誤字脱字がありましたら教えて頂けると幸いです。 お気に入りやコメント、エールを頂けますとモチベーションにもなりますので宜しくお願いいたします。

【R18】秘密。

かのん
恋愛
『好き』といったら終わってしまう関係なんだね、私たち。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

こじらせ女子の恋愛事情

あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26) そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26) いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。 なんて自らまたこじらせる残念な私。 「俺はずっと好きだけど?」 「仁科の返事を待ってるんだよね」 宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。 これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。 ******************* この作品は、他のサイトにも掲載しています。

閉じたまぶたの裏側で

櫻井音衣
恋愛
河合 芙佳(かわい ふうか・28歳)は 元恋人で上司の 橋本 勲(はしもと いさお・31歳)と 不毛な関係を3年も続けている。 元はと言えば、 芙佳が出向している半年の間に 勲が専務の娘の七海(ななみ・27歳)と 結婚していたのが発端だった。 高校時代の同級生で仲の良い同期の 山岸 應汰(やまぎし おうた・28歳)が、 そんな芙佳の恋愛事情を知った途端に 男友達のふりはやめると詰め寄って…。 どんなに好きでも先のない不毛な関係と、 自分だけを愛してくれる男友達との 同じ未来を望める関係。 芙佳はどちらを選ぶのか? “私にだって 幸せを求める権利くらいはあるはずだ”

You Could Be Mine ぱーとに【改訂版】

てらだりょう
恋愛
高身長・イケメン・優しくてあたしを溺愛する彼氏はなんだかんだ優しいだんなさまへ進化。 変態度も進化して一筋縄ではいかない新婚生活は甘く・・・はない! 恋人から夫婦になった尊とあたし、そして未来の家族。あたしたちを待つ未来の家族とはいったい?? You Could Be Mine【改訂版】の第2部です。 ↑後半戦になりますので前半戦からご覧いただけるとよりニヤニヤ出来るので是非どうぞ! ※ぱーといちに引き続き昔の作品のため、現在の状況にそぐわない表現などございますが、設定等そのまま使用しているためご理解の上お読みいただけますと幸いです。

同窓会~あの日の恋をもう一度~

小田恒子
恋愛
短大を卒業して地元の税理事務所に勤める25歳の西田結衣。 結衣はある事がきっかけで、中学時代の友人と連絡を絶っていた。 そんなある日、唯一連絡を取り合っている由美から、卒業十周年記念の同窓会があると連絡があり、全員強制参加を言い渡される。 指定された日に会場である中学校へ行くと…。 *作品途中で過去の回想が入りますので現在→中学時代等、時系列がバラバラになります。 今回の作品には章にいつの話かは記載しておりません。 ご理解の程宜しくお願いします。 表紙絵は以前、まるぶち銀河様に描いて頂いたものです。 (エブリスタで以前公開していた作品の表紙絵として頂いた物を使わせて頂いております) こちらの絵の著作権はまるぶち銀河様にある為、無断転載は固くお断りします。 *この作品は大山あかね名義で公開していた物です。 連載開始日 2019/10/15 本編完結日 2019/10/31 番外編完結日 2019/11/04 ベリーズカフェでも同時公開 その後 公開日2020/06/04 完結日 2020/06/15 *ベリーズカフェはR18仕様ではありません。 作品の無断転載はご遠慮ください。

処理中です...