17日後

月波結

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第2章 要の17日

5日前 要

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「おはよう」
「おはよう……」
 今朝も由芽より早く目が覚めて、由芽の寝顔を眺めていた。
 思えば2年間、見つけ続けた風景……。慣れる、を通り越すくらい長い間こうして来たのにどうしてそれを忘れていたのか、不思議に思う。
 由芽の、自然に流れる髪に指を通して耳にかけてやる。すべてがやさしい時間で、彼女しか目に入らない。
「……本物の要?」
「本物だよ。本物の由芽?」
「もちろん本物だよ」
 バカなことを確かめあってくすくす笑う。彼女の素肌をそのまま感じる。二人はゼロ距離だ。
 いつまでも裸で転がっている「玲香流」の生活はできないので、由芽といつも通りの生活を規則正しく始める。手始めに昨日、約束した通りゴミを出しに行く。それを見て由芽が笑う。今までもゴミ出しくらいは手伝っていたのに。
 その間に昨日食べなかった例の生姜焼きと味噌汁を彼女が温め直してくれて、朝ご飯ができた。
「せっかく作ったのに、食べ忘れるなんておかしいよなぁ。由芽に食べてほしかったのに」
「結局こうしてわたしの中に吸収されてるんだからいいんだよ」
「美味しい? 『生姜焼きの素』」
「美味しい。今まで熱心に生姜をすりおろしていたのがバカに思えるくらい」
「……もう、すりおろさないの?」
「心配しなくても、まだすりおろすと思うよ」
 大げさに「よかった」とため息をついて、由芽を笑わせる。彼女の何気ない自然な笑顔がまぶたの裏に焼き付く。
「あのね」
「ん?」
「……実はタマネギもすりおろしてるんだよ? すごく涙が出ちゃうんだけどお肉がやわらかくなるんだって」
 オレがきょとんとすると、由芽がくすくす笑い出す。
「ね、気づかなかったでしょう? ショウガだけじゃないの」
「ちっとも気がつかなかったよ」
 二年もべったり一緒にいても、まだまだ知らないことがある。たかが「生姜焼き」のことでも。その事に驚く。

「わたしが本当はこんなにバカで、だらしない人間だって知って幻滅しなかった? もしもまだ別れ話が出る前、知ってしまっていたら、それでも好きでいてくれた?」
「……由芽はなんでも完璧なんだから、これくらいでちょうどいいんだよ。いつだってオレに見えないところで努力してくれてたんだなぁって、昨日、初めてそう思った。部屋はいつもキレイに片づいていて、毎日美味しいご飯が出てくる……。それが当たり前だと思って、オレはその上に胡坐をかいてたんだ。だから、由芽はもっと肩の力を抜いて、自分のために時間を使っていいと思うよ」
 むしろ、完璧な彼女に自分はそぐわないと、そう思っていたのかもしれない。
 由芽は今までどんなときでも泣き叫んだりすることもなかった。ただいつも静かに微笑んで、悲しみはささやかな涙で流して堪《こら》えていた。そんな彼女を物足りないと思っていた自分を今、遠くから見つめる。なんてバカげていたんだろう……。何も見えていなかった。

「わたしが完璧?」
「だってオレに弱いところをほとんど見せないじゃん」
 オレじゃ頼りにならなかったのかもしれない。彼女を悲しみから守れなかったどころか、悲しみに突き落としてしまったのだから。だからこそ、恩返しがしたい。こんなオレをずっと待ち続けてくれる彼女に返せるだけの何かを、持ち合わせているだろうか? オレにしかできない、何か。

「もっと甘えていいんだよ。むしろ、もっと甘えて」
 あとたった五日しかない。悲しませてしまったオレはもう、由芽に顔向けができない。五日間だけ、恋人の顔をしていてもかまわないんだろうか? 約束を盾にしてもいいんだろうか? 
 もしそうなら、今までの分も甘えてほしい。由芽の苦手なたっぷり甘いスイーツより、もっと「もういらない」って言う程、甘やかしてみせるから。
 由芽が、言いにくそうに言葉をこぼす。
「あのね……わたしのセックスじゃ、ダメだった?」
「気にしてるの?」
「それは……それがいちばんの理由だったみたいだから」
 ぎゅっと抱きしめると小動物のように小さな鼓動と温もりが伝わる。
「難しいな……。彼女はそもそもオレたちと考え方が違うんだよ。彼女にとってセックスは楽しい遊びで、毎日の刺激なんだ。でも、オレたちは違うだろ? 由芽は初めてだったから、オレたちはオレたちのセックスを作ったじゃん。それは、根本的に比べようがないから」
 玲香のセックスは刹那的だ。彼女自身が、明日に繋がるものを望んでいない。その時、その場での快楽に身を委ねて、飽きてしまうとまた次の快楽を求める。
 由芽はオレの答えに納得がいかないようだった。オレだって立場が逆なら納得がいくはずがない。何しろそのせいで散々泣いて、納得のいく答えももらえない……。クッションでめちゃくちゃに殴られる。
 
「遊び、とか、刺激、とか。そんなんでこんな思いさせられて……」
 刺激的なセックスに惹かれて玲香とつき合い始めたけれど……セックスだけじゃ恋愛はできないってことになんで気がつかなかったんだろう? それともつき合うって決めた時には、玲香との生活が成り立つと自分は思っていたんだろうか? ただ後戻りができなかった、ただの卑怯者なのかもしれない。由芽の顔を真っすぐに見られなくなっていった。
 由芽を割れ物を扱うように抱きかかえる。あんなに泣いていたのに、腕の中に包むと落ち着いてただ静かに泣いた。オレの肩が、由芽の嗚咽に合わせて一定のリズムで揺れる。
「由芽、明日の月曜日から十七日目まで、あと五日、学校休んじゃおうか?」
 何度数えても、与えられた残り日数はたった五日だった。
「……どうして?」
「由芽と二人っきりの時間が欲しいんだ。もう一度、二人の二年間を見直したい」
 その五日で何ができるのか、漠然と考える。

 愛おしい、という気持ちを受け渡したくてキスをする。初めてキスしたとき、繋いだ由芽の手が震えていて、それがいっそうかわいくて、二度唇を奪った。
 今日もまた緊張しているな、と思う。長くつき合ったのに、まだキスひとつにこんなに緊張するなんて。愛しくて、愛しくて本当は噛みつきたいほど好きだけど、深いキスで我慢する。何かを受け渡したくて、それでいて奪ってしまいたいような。
 ――ああ、やっぱりこんなに好きなんじゃないか。
 胸の中のつかえが取れて、5日後に由芽に呆れられて別れるとしても、女々しく由芽を思っていればいいや、と思う。 
 由芽のことだけを思っていればいい、例え離れても。

「一度だけ、本気で抱いてもいい?」

 言えなかった言葉を口にする。
 だってどうせ5日なんだし、由芽もそれを望んでるんだし、オレだって本当は……。大切にしたい気持ちと、もっと愛したいと思う気持ちをいつも天秤にかけていた。めちゃくちゃに愛してしまうのが怖くて、それで引かれたらと思うと怖くて、そうできなかったけど。
 でも好きだってこと、全部、まだ伝え終わってない。どれだけ好きだったのか伝えたい。

「……本当のことを言うと、ずっと由芽を男として本気で抱きたかった。由芽をオレの好きにしてみたかった。でも、由芽のこと大事にしたかったし、傷つけたくなかったんだよ」
「わたしを……?」
「そう、オレの彼女を」
 彼女は即答はしなかった。
 好きなだけ、という言葉にピンと来なかったのかもしれないし、何を今更、と思ったのかもしれない。
「わたしは、要がそうしたいならそうしてほしい。もしそうしてもらえたら……うれしい」

「怖がらないで、オレはオレのままだから」
 キスにキスを重ねて行って、戻れないところまで求め合う。ただ唇を重ねていくだけでこんなに安心するのは何故だろう? 由芽はいつもびくびくしながらキスを受けるので、ついこっちも引き気味になってしまう。でも今日は多少彼女に怖い思いをさせてでも、思いをぶつけたい。「愛してる」って、言葉で伝えるのがもう遅すぎるなら、このチャンスにすべて伝えたい。
 ……キスだけじゃ足りなくなってくる。

「大丈夫?」
 由芽の顔を見る。目をぎゅっとつむって、背中に強くしがみついている。
「まだ怖くない?大丈夫……?」
「要が、欲しいの。もっと続けて……」
 彼女の言葉にほっとする。受け入れられていると思うと、もっと欲しくなって、止まらなくなってくる。
「怖くなったら、言って」
 こくん、と小さくうなずくのを確かめてから彼女のすべてを、ひとつひとつ愛していく。時折、今までなら飲み込んでいた声がため息のようにかわいく聞こえて、またそれを求めて少しだけ意地悪をする。
「声、出ちゃうのが嫌なら、オレの指、噛んでもいいよ。……でも、オレ、由芽の声好きだけど。いつも我慢してるでしょう?」
 由芽はもう涙目だった。かわいそうなはずなのに、かわいくて仕方がない。泣かせているのが自分だと思うとたまらない。「お行儀のいい」セックスはどこかに消えて、由芽のすべてが丸ごとオレのものになる。そう、今になって初めて本当に彼女と繋がれた気がした。
 繋がったまま、お互いの息が上がってくる。由芽も眉根を寄せて苦しそうに顔を歪めている。塞いでいない口から、いつもは聞けない形にならない声が漏れる。口づけを交わす。ふたりが今、ひとつになる約束。
「……ごめん、余裕ないや」
 約束を果たす。



「体、大丈夫?    痛いところない? 無理しなかった?」
「うん、あっても大丈夫……」
「それ、大丈夫って言わないだろ」
「だって……」
 恥ずかしそうに布団を顔まで被って隠れた彼女の額にキスする。オレの彼女は思っていたのと全然違って、壊れ物なんかじゃなかった。それどころか、「女の子」でさえなくてしっかり「女」だった。今まで何を見てきたのか……?
 
「あのね、要がすき」
「知ってるよ」
「……要は?」
「由芽がオレのものになって、すごくうれしいんだけど……気持ちよかった?」
「すごくよかった、って言ったらはしたない?」 
 そんなことを言う彼女を想像したこともなかった。だってほら、あの夏の日の彼女はどう見ても支えが必要な少女に見えたから。
「男にとって、好きな女の子を満足させられるのはすごく光栄なことなんだよ、すごくうれしい」
 苦しいかもしれないな、と思う強さで小さな頭をぎゅっと胸に押しつけた。オレのお姫様は、やっぱり由芽だ。気がつくのが遅くて、迎えに行くのが遅くなったけれど、オレが拾ったガラスの靴の持ち主は由芽で間違いないんだ。
「ずっとずっと、要のものだったし、いつも繋がれればそれで満足してたよ」
「そういう意味じゃなくて、だよ」
 とりあえず由芽の鼻をつまんでおいた。すべてがもう遅いのかと思うと泣けてきた。「十七日後」なんていう縛りを作った自分が恨めしかった。こんなに傷つけて、五日後になっても「好きだ」なんて真正面から言えるはずない。

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