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一章
8話目
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窓の外には雪が積もって、地面も草木も、全部が白く染まっている。雪が音を吸い込むせいで、小さな小屋の中はいつもよりずっと静か。暖炉の火が爆ぜるぱちぱちという音と、お湯の沸いたヤカンが蒸気を吐き出す音だけが響く。しんしんと降り続ける雪は地面を覆い隠しても、心に溜まった澱は隠してくれない。
背後から聞こえてくる衣擦れの音に、ヤカンを見つめていた目を閉じた。後ろから抱き締められて、後頭部に柔らかな口づけが落とされる。
「何してるの」
「お茶をね、淹れようと思ってたの」
「見てるだけじゃお茶は淹れられないだろ」
「それは、そうなんだけど」
言葉が喉につかえて出て来ない。言いたいことと言わなければいけないことがごちゃごちゃにこんがらがって、何を言うべきか分からなくなった。開きかけた唇を閉じ、きゅっと横に引き結ぶ。労わるように頬に触れた指が、離れていく。背中に感じていた体温が無くなって、寒さに小さく身震いをした。
「お茶なら俺が淹れるから、あんたはそれに包まってベッドにでも入ってろよ」
寒いのは苦手だろと、ルドルフがショールでメアリーの身体を包む。ショールの上からは、毛布が。ぐるぐる身体に巻き付けられて、苦しさに喘いだ。
「ルディ、これじゃ動けないわ」
「仕方ないな」
仕方ないなんて言いながら、ルドルフは分かってやっているのだ。だって、悪戯に成功した子供のような顔をしているから。ひょいと簡単に抱き上げられて、ベッドまで運ばれる。暖炉の火は相変わらずぱちぱち音を立てているし、ヤカンは蒸気を吐き出し続けている。さっきまでと違うのは、ルドルフが機嫌よく鼻歌を歌っていること。メアリー譲りの下手な鼻歌を、下手なことに気づかないまま上機嫌で歌っている。
軋むベッドに座らされ、大きな手のひらに前髪を搔き上げられる。剥き出しになった額に、キスが降る。柔らかくて少しかさついた唇が触れる。すぐに離れて行こうとする人の服を、無意識のうちに掴んでいた。
「何?」
ルドルフの口元が緩んで、甘い声が紡がれる。ちりちりと胸が焦げる。暖炉の火ではなく、ルドルフに焦がされる。いつもそう。嬉しくて、寂しくて、悲しくて、幸せで――愛しい気持ちは、彼がくれる。
「また、お出かけ?」
「ああ。……すぐに戻るよ」
「そう……」
最近のルドルフは、よくメアリーを置いて町へ出かけて行く。雪の降る中危ないわと引き止めても、言う事を聞いてくれない。寒い冬は、一緒に毛布に包まって、温め合って。ずっとそうやって過ごしてきたから、一人で身体を温める方法なんて忘れてしまった。
ルドルフだって、いくら寒さに強いと言っても寒さを感じない訳ではないだろう。外から帰って来たルドルフの鼻も耳も、いつも赤く染まっているから。
「そうだわ」
タンスの中に仕舞いこんでいた物の存在を思い出し、俯けていた顔を上げる。ルドルフを押し退けてベッドから下り、タンスを開けて目当ての物を取り出した。
エドワードから貰ったマフラーは、久しぶりに触れても滑らかで触り心地がとても良い。きっと、とても高価なものなのだろう。メアリーが全財産はたいたとしても、買えるとは思えない。気後れして使えないまま仕舞っていたけれど、ルドルフのためなら使っても許される気がした。
「ルディ。外は寒いから、これ使って」
背伸びをして、広げたマフラーをルドルフの首にかける。喜ぶと思ったのに、ルドルフは浮かべていた笑みを引っ込めてしまった。
「……何?」
鼻に皺を寄せたルドルフが、低い声を出す。
「マフラー。ふわふわできっと温かいわ」
「いらない」
「わがまま言わないの。風邪引いてからじゃ遅いのよ」
「いらないって言ってるだろ!」
振り払われたマフラーが、音もなく床に落ちる。メアリーは声も出せないまま、床に広がるベージュの布を見つめた。
「なんなんだよ。他の男の匂いが染み付いたマフラーなんか渡して、あんたは俺をどうしたいんだ?」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ……そんなに怒ると思わなくて」
「ああそうだろうな。どうせあんたは、俺がなんで怒ってるのかも分かってないんだ」
「……ごめんなさい」
「分からないなら謝るなよ」
深いため息を落としたルドルフが、上着を脱いでベッドの上に放り投げた。大きな手のひらが、短い黒髪をがしがしとかき混ぜる。
「ルディ、お出かけはいいの?」
「やめた。今日はあんたと一緒にいる」
「ほんと?」
思いの外ぱっと明るい声が出て、恥ずかしくなって両手で口を覆った。ルドルフはそんなメアリーを見て、複雑な笑みを浮かべる。
「そんな可愛い反応するくせに、隠れて他の男に会うんだな」
わずかに棘を含ませた言葉に、上を向きかけた耳がへたりと垂れ下がった。情けなく下を向いた耳に、ルドルフの手が伸ばされる。耳朶に優しく触れられて、身体が小さく揺れた。触れられた場所が、燃えるように熱い。
「ルディ、くすぐったい」
「うん」
「ね、恥ずかしいわ」
「うん……」
裏返した耳の内側――薄桃色に色付く場所に唇を寄せられる。柔らかな唇が、吐息が触れた場所がひりひりと痛い程の熱を持った。
背後から聞こえてくる衣擦れの音に、ヤカンを見つめていた目を閉じた。後ろから抱き締められて、後頭部に柔らかな口づけが落とされる。
「何してるの」
「お茶をね、淹れようと思ってたの」
「見てるだけじゃお茶は淹れられないだろ」
「それは、そうなんだけど」
言葉が喉につかえて出て来ない。言いたいことと言わなければいけないことがごちゃごちゃにこんがらがって、何を言うべきか分からなくなった。開きかけた唇を閉じ、きゅっと横に引き結ぶ。労わるように頬に触れた指が、離れていく。背中に感じていた体温が無くなって、寒さに小さく身震いをした。
「お茶なら俺が淹れるから、あんたはそれに包まってベッドにでも入ってろよ」
寒いのは苦手だろと、ルドルフがショールでメアリーの身体を包む。ショールの上からは、毛布が。ぐるぐる身体に巻き付けられて、苦しさに喘いだ。
「ルディ、これじゃ動けないわ」
「仕方ないな」
仕方ないなんて言いながら、ルドルフは分かってやっているのだ。だって、悪戯に成功した子供のような顔をしているから。ひょいと簡単に抱き上げられて、ベッドまで運ばれる。暖炉の火は相変わらずぱちぱち音を立てているし、ヤカンは蒸気を吐き出し続けている。さっきまでと違うのは、ルドルフが機嫌よく鼻歌を歌っていること。メアリー譲りの下手な鼻歌を、下手なことに気づかないまま上機嫌で歌っている。
軋むベッドに座らされ、大きな手のひらに前髪を搔き上げられる。剥き出しになった額に、キスが降る。柔らかくて少しかさついた唇が触れる。すぐに離れて行こうとする人の服を、無意識のうちに掴んでいた。
「何?」
ルドルフの口元が緩んで、甘い声が紡がれる。ちりちりと胸が焦げる。暖炉の火ではなく、ルドルフに焦がされる。いつもそう。嬉しくて、寂しくて、悲しくて、幸せで――愛しい気持ちは、彼がくれる。
「また、お出かけ?」
「ああ。……すぐに戻るよ」
「そう……」
最近のルドルフは、よくメアリーを置いて町へ出かけて行く。雪の降る中危ないわと引き止めても、言う事を聞いてくれない。寒い冬は、一緒に毛布に包まって、温め合って。ずっとそうやって過ごしてきたから、一人で身体を温める方法なんて忘れてしまった。
ルドルフだって、いくら寒さに強いと言っても寒さを感じない訳ではないだろう。外から帰って来たルドルフの鼻も耳も、いつも赤く染まっているから。
「そうだわ」
タンスの中に仕舞いこんでいた物の存在を思い出し、俯けていた顔を上げる。ルドルフを押し退けてベッドから下り、タンスを開けて目当ての物を取り出した。
エドワードから貰ったマフラーは、久しぶりに触れても滑らかで触り心地がとても良い。きっと、とても高価なものなのだろう。メアリーが全財産はたいたとしても、買えるとは思えない。気後れして使えないまま仕舞っていたけれど、ルドルフのためなら使っても許される気がした。
「ルディ。外は寒いから、これ使って」
背伸びをして、広げたマフラーをルドルフの首にかける。喜ぶと思ったのに、ルドルフは浮かべていた笑みを引っ込めてしまった。
「……何?」
鼻に皺を寄せたルドルフが、低い声を出す。
「マフラー。ふわふわできっと温かいわ」
「いらない」
「わがまま言わないの。風邪引いてからじゃ遅いのよ」
「いらないって言ってるだろ!」
振り払われたマフラーが、音もなく床に落ちる。メアリーは声も出せないまま、床に広がるベージュの布を見つめた。
「なんなんだよ。他の男の匂いが染み付いたマフラーなんか渡して、あんたは俺をどうしたいんだ?」
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ……そんなに怒ると思わなくて」
「ああそうだろうな。どうせあんたは、俺がなんで怒ってるのかも分かってないんだ」
「……ごめんなさい」
「分からないなら謝るなよ」
深いため息を落としたルドルフが、上着を脱いでベッドの上に放り投げた。大きな手のひらが、短い黒髪をがしがしとかき混ぜる。
「ルディ、お出かけはいいの?」
「やめた。今日はあんたと一緒にいる」
「ほんと?」
思いの外ぱっと明るい声が出て、恥ずかしくなって両手で口を覆った。ルドルフはそんなメアリーを見て、複雑な笑みを浮かべる。
「そんな可愛い反応するくせに、隠れて他の男に会うんだな」
わずかに棘を含ませた言葉に、上を向きかけた耳がへたりと垂れ下がった。情けなく下を向いた耳に、ルドルフの手が伸ばされる。耳朶に優しく触れられて、身体が小さく揺れた。触れられた場所が、燃えるように熱い。
「ルディ、くすぐったい」
「うん」
「ね、恥ずかしいわ」
「うん……」
裏返した耳の内側――薄桃色に色付く場所に唇を寄せられる。柔らかな唇が、吐息が触れた場所がひりひりと痛い程の熱を持った。
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