300年狩られ続けた《禁忌》持ちの令嬢は、三日で処刑を覆す。

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第二話

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翌朝、地下牢に予想外の来客があった。

石造りの廊下に響く規則正しい足音で、私は浅い眠りから目を覚ました。冷たい石床に体を横たえていた私は、全身が強張って痛んでいた。昨夜は結局ほとんど眠れず、明け方近くになってようやくうとうとしたばかりだった。

足音が近づいてくる。看守ではない。もっと丁寧で、落ち着いた歩調だ。

私は藁にしがみつくようにして身を起こした。薄暗い地下牢の廊下に、松明の炎が揺れている。その橙色の光に照らされて、白髪を綺麗に撫でつけた老人の姿が浮かび上がった。

「エリーズ様、差し入れを持ってまいりました」

その声を聞いた瞬間、私の胸が熱くなった。

「オリバー......」

王立魔導書庫の主席侍従、オリバー・ハミルトンだった。
七十を過ぎてなお背筋を伸ばし、書庫で働き続けている老紳士。いつも穏やかな微笑みを浮かべて、若い職員たちの相談に乗ってくれる人だ。

私が書庫に配属された初日、緊張で震えていた私に、温かい紅茶を淹れてくれたのもオリバーだった。

「温かいスープとパンです。それから、清潔な毛布も」

老侍従は手にした籠を持ち上げて見せた。編み込まれた籠の中から、焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂ってくる。スープの湯気が立ち上り、地下牢の冷たく湿った空気を一瞬だけ温めた。

オリバーは鉄格子越しに看守を呼び、懐から革の財布を取り出した。銀貨が数枚、看守の手に渡る。金属の触れ合う乾いた音が響く。

看守は小さく頷くと、鍵束をじゃらじゃらと鳴らしながら格子の錠を開けた。鉄の軋む音が、石壁に反響する。わずかに開いた隙間から、オリバーは籠を差し入れてくれた。

「ありがとうございます」

私は震える手で籠を受け取った。ずっしりとした重み。温かな器の感触。それらが現実のものだと信じられないほど、私の心は荒んでいた。

籠の中には、陶器の椀に注がれた野菜のポタージュ、焼きたての小麦パン、そして柔らかな羊毛の毛布が入っていた。スープからは湯気が立ち上り、バターとハーブの香りが鼻をくすぐる。昨夜から何も口にしていなかった私の胃が、小さく鳴った。

格子が再び閉じられる。看守は銀貨を懐にしまうと、興味を失ったように立ち去っていった。

「信じておりますよ、エリーズ様。あなたが無実だということを」

オリバーは鉄格子に手を置き、優しげな茶色の瞳で私を見つめた。深い皺の刻まれた顔に、穏やかな微笑みが浮かんでいる。その表情には、一片の疑いもなかった。

その言葉に、私の目頭が熱くなった。喉の奥が詰まって、声が出ない。

「オリバー......」

ようやく絞り出した声は、かすれていた。

「あなたは三年間、誰よりも真面目に書庫の仕事をこなしてこられた。古文書の修復も、蔵書目録の整理も、全て完璧にこなされた。そんなあなたが、禁書を盗むなど考えられません」

老侍従の言葉は、凍えた私の心に染み入った。

昨夜から今まで、私を信じてくれる人などいないのだと思っていた。同僚たちの冷たい視線。姉の勝ち誇った笑み。騎士たちの容赦ない手錠。全てが私を罪人として扱っていた。

でも、オリバーは違った。
この老人は、ただ私を見て、信じると言ってくれた。

「それに」

オリバーは周囲を確認すると、声を潜めた。身を乗り出すようにして、鉄格子に顔を近づける。

「昨夜、妙なことがありましてね。オデット様が深夜に書庫の禁書室に入られたのを目撃したのです。ジャン殿も一緒でした」

私の心臓が激しく跳ねた。

「本当ですか!」

思わず声が大きくなり、オリバーが「しっ」と人差し指を唇に当てた。私は慌てて口を押さえる。

「ええ。不審に思って後をつけようとしたのですが、魔法で扉に鍵をかけられてしまい......」

オリバーの声は、さらに小さくなった。囁くような声。

「ただ、中から何やら焦ったような話し声が聞こえました。オデット様の『これで完璧』という言葉と、ジャン殿の『本当に大丈夫でしょうか』という声を」

証拠隠滅。
私の頭の中で、パズルのピースが嵌まっていく。

おそらく姉たちは、私を陥れた証拠を消しているのだ。呪詛人形を私の机に置いたこと、禁書の台帳を偽造したこと、その全ての痕跡を。

「オリバー、そのことを誰かに......」
「既に然るべき方に報告済みです」

老侍従は、にっこりと笑った。深い皺がさらに深くなり、目尻が下がる。その笑顔は、まるで孫を見守る祖父のようだった。

「アクセル様にお伝えしました。あの方なら、きっとエリーズ様をお救いくださる」

アクセル。
昨夜、地下牢を訪れた北方辺境伯。冷たい灰色の瞳で私を見下ろし、助けると言った男。

「あの方を、ご存じなのですか」
「ええ。アクセル様は五年前、書庫の特別閲覧許可を得て、北方の古文書を調査されていました。その時、私が案内係を務めたのです」

オリバーは懐かしそうに目を細めた。松明の光が、老人の横顔を優しく照らしている。

「実に誠実で、頭脳明晰な方でした。一度見た文献は全て記憶され、古代語の解読も正確。それでいて、決して驕ることなく、書庫の職員一人一人に丁寧に接してくださった」

老侍従の語る辺境伯の姿は、昨夜の無表情で冷たい印象とは少し違っていた。

「それに、アクセル様はあなたのお母様、イザベル様とご縁があったとか」

母の名前。
久しぶりに聞いたその響きに、私の胸が締め付けられた。
イザベル・ド・モンフォール。私が三歳の時に病で亡くなった母。優しい声と、柔らかな腕の温もりだけが、ぼんやりとした記憶として残っている。

「母を、ご存じなのですか」
「詳しいことは私も知りませんが......」

オリバーは少し躊躇うように言葉を選んだ。

「イザベル様は特別な方でした。この国の王家に連なる、古き血を持っておられたとか。それも、ずっと昔に途絶えたはずの、伝説の一族の血を」

古き血。
伝説の一族。
それは、私が持つ「真実ノ眼」と関係があるのだろうか。

頭の中で様々な考えが渦巻いた。母が特別な血を持っていたなら、この力は母から受け継いだものなのかもしれない。でも、なぜ父も姉も、そのことを私に話してくれなかったのだろう。

考える間もなく、オリバーは立ち上がった。膝を軽く叩いて埃を払い、背筋を伸ばす。

「では、私はこれで。アクセル様が午後に来られるそうです。それまで、お休みになってくださいね」
「ありがとう、オリバー」

私は心からの感謝を込めて、老侍従に頭を下げた。

「どういたしまして、エリーズ様。必ず、真実は明らかになります」

オリバーは優しく微笑むと、廊下を歩き去っていった。規則正しい足音が遠ざかり、やがて静寂が戻ってくる。
私は籠の中の陶器の椀を手に取った。まだ温かい。両手で包み込むと、その熱が凍えた指先に染み渡っていく。
椀を口に運び、一口スープを含んだ。
温かかった。

人参とセロリ、タマネギの甘み。バターの濃厚な風味。ローズマリーの爽やかな香り。舌の上で広がる優しい味わいに、涙が溢れそうになった。
こんな状況でも、こんな地下牢という場所でも、誰かが私を思ってくれている。

信じてくれている人がいる。
希望が、少しずつ見えてきた気がした。
私はスープを飲み干し、柔らかなパンを一口齧った。小麦の香ばしい香りと、ほのかな甘み。噛みしめるごとに、体に力が戻ってくるようだった。

昨夜の絶望から一転、今は戦う準備が整いつつある。
私は毛布を肩に掛け、石壁に背を預けた。羊毛の温かさが、冷え切った体を包み込む。

オデット、ジャン。
あなたたちの企みは、必ず暴いてみせる。

深夜に禁書室で交わされた会話。『これで完璧』という姉の声。『本当に大丈夫でしょうか』というジャンの不安げな声。
それらは全て、真実への手がかりだ。
そして私は、この無実を証明する。
たとえ「真実ノ眼」を使わずとも。
いや、使わずに証明してみせる。
私は拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込む。

午後にアクセルが来る。
それまでに、頭を整理しておかなければ。
姉の動機。ジャンが協力した理由。禁書『深淵ノ契約』の意味。そして、母の血と私の力の関係。

全てを繋げて、真実を掴むのだ。
地下牢の冷たい空気の中で、私は静かに目を閉じた。
松明の炎が、規則正しく揺れている。
その小さな光が、闇を照らし続けていた。

まるで、私の心に灯った希望の火のように。
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