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第四話
しおりを挟む王宮の西棟、最上階。
宰相執務室の重厚な扉は固く閉ざされ、近衛騎士すらも近づくことを許さない静寂が漂っていた。
重厚な机の向こうで、ダルトン・グレイモアは書類から目を上げることなく、息子の報告を聞いていた。窓の外には夕暮れの王都が広がり、オレンジ色の光が執務室を染めている。
「父上、エリアーナ・ハーヴェストの行方は依然として不明です」
フェリックスの声には、焦りが滲んでいた。
ダルトンは羽根ペンを置き、冷たい視線を息子に向けた。
「無能め。たかが一人の令嬢を見つけられんのか」
「しかし、ハーヴェスト家の使用人たちは口が堅く……田舎の別荘に静養に行ったと言い張るばかりで……」
「嘘に決まっている」
ダルトンは椅子から立ち上がり、窓辺へと歩いた。王宮の尖塔が、血のような夕日を背景に黒い影となって浮かび上がる。
「レオンハルト殿下が婚約を破棄したのは三週間前。あの令嬢が社交界で恥をかかされた直後だ。そんな娘が悠々と静養などするものか」
「では……」
「隠れているのだ。恥辱から逃れるために。あるいは……」
ダルトンは薄く笑った。
「復讐を企んでいるのかもしれんな」
フェリックスは唇を噛んだ。エリアーナ・ハーヴェスト。結界魔術という稀少な才能を持つ、美しい令嬢。彼女のことを思い浮かべると、胸の奥が疼く。
「父上は……本当に、あの令嬢を道具としか見ていないのですか」
「当然だ」
ダルトンは振り返り、息子を見下ろした。
「お前は甘い。女への執着など、力の前では無意味だ」
「しかし……」
「フェリックス」
低く、冷たい声。フェリックスは背筋を伸ばした。
「お前は私の息子だ。グレイモア家の跡取りだ。感傷に溺れる暇があるなら、もっと有益なことに頭を使え」
「……はい」
ダルトンは再び机に戻り、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。複雑な魔法陣が描かれた設計図。
「これを見ろ」
フェリックスは父の隣に立ち、羊皮紙を覗き込んだ。
「これは……魔法兵器の設計図、ですか」
「その通り。隣国との戦争が近い。この兵器さえ完成すれば、我が国は圧倒的な軍事力を手に入れる」
魔法陣の中央には、大きな結界の図が描かれている。
「だが、この兵器には致命的な弱点がある。敵国の魔術師による妨害だ。どれほど強力な魔法も、結界魔術によって無効化されてしまう」
ダルトンは指で羊皮紙を叩いた。
「だからこそ、結界使いが必要なのだ。味方の魔法兵器を守り、敵の魔術を封じる。そのためには……」
「エリアーナ・ハーヴェストの力が」
「そうだ」
ダルトンの目が、冷酷な光を帯びた。
「結界魔術の使い手は極めて稀少だ。王家にすら、もはや一人もいない。レオンハルト殿下の母君が最後の使い手だったが、五年前に病死した。今、この国で結界魔術を使えるのは、ハーヴェスト家の令嬢ただ一人」
フェリックスは喉が渇くのを感じた。
「では、殿下の婚約破棄は……」
「好都合だった」
ダルトンは不敵に笑った。
「あの令嬢が王妃となれば、手を出すのは困難だった。だが今は違う。婚約者でもない、ただの侯爵令嬢。社交界で恥をかかされ、行方をくらました娘だ。誰も気にかけまい」
フェリックスの拳が、わずかに震えた。
「父上は……最初から、あの婚約破棄を利用するつもりだったのですか」
「馬鹿を言え。あれは殿下の判断だ。だが、結果的に我々にとって好都合だったということだ」
ダルトンは羊皮紙を丸め、息子に押し付けた。
「お前の役目は一つ。エリアーナ・ハーヴェストを見つけ出し、私のもとへ連れてくることだ。手段は問わん。説得でも、脅迫でも、拉致でも構わん」
「……父上」
「何だ」
フェリックスは唇を開きかけ、しかし何も言えずに視線を逸らした。心の中で渦巻く感情。エリアーナへの執着、父への恐れ、そして……歪んだ愛情。
ダルトンは息子の表情を一瞥し、鼻で笑った。
「お前はまだ、あの令嬢に未練があるのか」
「……いいえ」
「嘘をつくな。お前の目を見れば分かる」
ダルトンは息子の肩を掴んだ。力強く、容赦なく。
「いいか、フェリックス。お前があの令嬢を手に入れたいなら、力ずくで奪い取れ。だが忘れるな。彼女の価値は、結界魔術にある。その力を我が家のものにできれば、お前の望みも叶うだろう」
フェリックスは父を見上げた。
「私の……望み、ですか」
「そうだ。あの令嬢を妻にしたいのだろう? ならば、まずは父である私に従え。彼女を見つけ出し、力を我が家のために使わせる。そうすれば、後は好きにすればいい」
ダルトンの言葉は、甘い毒のようだった。
フェリックスは、ゆっくりと頷いた。
「……分かりました、父上。必ず、エリアーナを見つけ出します」
「よろしい」
ダルトンは満足げに息子の肩を離し、再び椅子に座った。
「さあ行け。時間は限られている。戦争は刻一刻と近づいている。魔法兵器の完成を急がねばならん」
フェリックスは一礼し、執務室を後にした。
扉が閉まると、ダルトンは一人、窓の外を見つめた。夕日はすでに地平線に沈みかけ、王都は薄闇に包まれ始めている。
「結界魔術……古代から伝わる、最強の防御魔法か」
彼は呟いた。
「ならば、それを攻撃に転用すればどうなる? 敵の魔法を封じ、味方の魔法を守る。最強の盾を、最強の矛に変える。そうすれば……」
ダルトンの唇が、冷酷な笑みを形作った。
「この国は、私のものになる」
執務室の暗がりの中、宰相の野望が、静かに膨れ上がっていった。
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