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第十三話
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訓練場の砂埃が朝日に照らされて、金色の粒子のように舞っていた。
剣を振る音、掛け声、足音。騎士たちの息遣いが訓練場全体に満ちている。私は他の新人騎士たちと並んで、オスカー団長の指示に従って基本の型を繰り返していた。額から汗が流れ落ちる。男装用の布で胸を押さえつけているせいで、呼吸が苦しかった。
「もう一度! 防御から反撃への移行を意識しろ!」
団長の声が響く。私は剣を構え直した。防御の構え。祖母が幼い頃に教えてくれた型。魔術の才能はあっても、剣の才能はなかった私に、祖母は「ならば守りを極めなさい」と言った。攻撃より防御。反撃より受け流し。
「エリアス、良い構えだ。その調子だ」
団長の言葉に、周囲の新人騎士たちが私を見た。羨望と嫉妬の入り混じった視線。私は表情を変えずに型を続けた。
突然、訓練場の空気が変わった。
「殿下のご視察です! 全員、整列!」
副団長の声。騎士たちが一斉に動き、整列する。私も慌てて列に加わった。心臓が跳ねる。
レオンハルト殿下が訓練場に姿を現した。
深い青のマントを纏い、金色の髪が風に揺れる。端正な顔立ちに、威厳と優しさが同居している。婚約していた頃、何度も見た横顔。あの日、冷酷に私を切り捨てた人。
胸が苦しくなった。憎しみか、それとも......
「皆、訓練を続けてくれ」
穏やかな声が訓練場に響く。騎士たちが姿勢を正したまま、訓練を再開する。私も剣を握り直した。手が震えている。
レオンハルト殿下が訓練場を歩く。騎士たちの動きを観察し、時折言葉をかける。その足音が、少しずつこちらに近づいてくる。
まさか......
「君」
声が、すぐ隣から聞こえた。
振り向くと、レオンハルト殿下が私のすぐ横に立っていた。距離にして、一歩半ほど。あまりにも近い。琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
息が止まった。
「君の剣技を見せてもらったが、興味深い防御の構えだった」
心臓が暴れている。落ち着け。バレてはいけない。私はエリアス。男性騎士。ただの新人。
「......恐れ入ります、殿下」
低く、抑えた声で答える。訓練で身につけた男性の話し方。だが喉が渇いて、声がかすれた。
「その防御の構えは、誰に習った?」
質問が、優しい口調で投げかけられる。
誰に? 祖母に。エリアーナ・ハーヴェストの祖母に。
だが、それは言えない。言葉を探す。頭が回らない。殿下の視線が、あまりにも近くて、あまりにも優しくて......
「......独学です。幼い頃、病弱で屋敷に引きこもっておりましたので、本を読んで学びました」
嘘を重ねる。舞踏会の時に殿下が庇ってくれた言い訳を、そのまま使った。
「そうか。独学でここまで......」
殿下が小さく微笑んだ。その笑顔に、胸の奥が熱くなる。
婚約していた頃。午後の庭園で、二人で茶を飲んでいた時。殿下はこんな風に微笑んでいた。優しくて、穏やかで、まるで春の陽だまりのような笑顔。
あの日、全てが変わった。
「君は退屈だ」
冷たく、容赦なく突き放された。社交界の貴族たちの前で、婚約を破棄された。
なぜ。
なぜ、今、こんな優しい顔をする。
「防御に特化した剣技は珍しい。だが、護衛騎士には向いている。これからも精進してくれ」
殿下の言葉が、胸に突き刺さる。護衛騎士。王子を守る役目。私は復讐のために、この場所に来た。殿下を見返すために、騎士になった。なのに......
「エリアス」
名前を呼ばれた。偽りの名前。
「はい」
「無理はするな。君の体格では、訓練は辛いだろう。しっかり休息を取るように」
気遣いの言葉。体を案じる優しさ。
わからない。わからない。
頭の中が混乱する。あの冷酷な婚約破棄は何だったのか。今の優しさは何なのか。演技なのか、それとも......
「......ありがとうございます」
絞り出すように、礼を言った。
レオンハルト殿下は満足そうに頷き、他の騎士たちの方へ歩いて行った。
私は剣を握ったまま、その場に立ち尽くしていた。手が震えている。汗なのか、涙なのか、わからない何かが頬を伝った。
オスカー団長が私の肩を叩いた。
「殿下に褒められるとは、大したものだ」
「......はい」
視線の先で、レオンハルト殿下が他の騎士たちに声をかけている。穏やかな笑顔。誰に対しても分け隔てなく、優しく接している。
あの人は、本当は......
いや。考えてはいけない。
私はエリアス。復讐のために、王子に近づいた騎士。それ以外の何物でもない。
だが、胸の奥で、何かが軋む音がした。憎しみが、少しずつ、形を変えていく。
訓練が再開された。私は剣を振り続けた。汗が流れ落ちる。呼吸が荒くなる。体が悲鳴を上げている。
それでも、剣を振り続けた。
考えないために。揺れる心を、無理やり押さえつけるために。
訓練場の隅で、レオンハルト殿下が立ち止まった。視線が、一瞬だけ、こちらを向いた気がした。
錯覚かもしれない。
だが、その琥珀色の瞳に映った優しさは、確かに、婚約していた頃と同じだった。
剣を振る音、掛け声、足音。騎士たちの息遣いが訓練場全体に満ちている。私は他の新人騎士たちと並んで、オスカー団長の指示に従って基本の型を繰り返していた。額から汗が流れ落ちる。男装用の布で胸を押さえつけているせいで、呼吸が苦しかった。
「もう一度! 防御から反撃への移行を意識しろ!」
団長の声が響く。私は剣を構え直した。防御の構え。祖母が幼い頃に教えてくれた型。魔術の才能はあっても、剣の才能はなかった私に、祖母は「ならば守りを極めなさい」と言った。攻撃より防御。反撃より受け流し。
「エリアス、良い構えだ。その調子だ」
団長の言葉に、周囲の新人騎士たちが私を見た。羨望と嫉妬の入り混じった視線。私は表情を変えずに型を続けた。
突然、訓練場の空気が変わった。
「殿下のご視察です! 全員、整列!」
副団長の声。騎士たちが一斉に動き、整列する。私も慌てて列に加わった。心臓が跳ねる。
レオンハルト殿下が訓練場に姿を現した。
深い青のマントを纏い、金色の髪が風に揺れる。端正な顔立ちに、威厳と優しさが同居している。婚約していた頃、何度も見た横顔。あの日、冷酷に私を切り捨てた人。
胸が苦しくなった。憎しみか、それとも......
「皆、訓練を続けてくれ」
穏やかな声が訓練場に響く。騎士たちが姿勢を正したまま、訓練を再開する。私も剣を握り直した。手が震えている。
レオンハルト殿下が訓練場を歩く。騎士たちの動きを観察し、時折言葉をかける。その足音が、少しずつこちらに近づいてくる。
まさか......
「君」
声が、すぐ隣から聞こえた。
振り向くと、レオンハルト殿下が私のすぐ横に立っていた。距離にして、一歩半ほど。あまりにも近い。琥珀色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
息が止まった。
「君の剣技を見せてもらったが、興味深い防御の構えだった」
心臓が暴れている。落ち着け。バレてはいけない。私はエリアス。男性騎士。ただの新人。
「......恐れ入ります、殿下」
低く、抑えた声で答える。訓練で身につけた男性の話し方。だが喉が渇いて、声がかすれた。
「その防御の構えは、誰に習った?」
質問が、優しい口調で投げかけられる。
誰に? 祖母に。エリアーナ・ハーヴェストの祖母に。
だが、それは言えない。言葉を探す。頭が回らない。殿下の視線が、あまりにも近くて、あまりにも優しくて......
「......独学です。幼い頃、病弱で屋敷に引きこもっておりましたので、本を読んで学びました」
嘘を重ねる。舞踏会の時に殿下が庇ってくれた言い訳を、そのまま使った。
「そうか。独学でここまで......」
殿下が小さく微笑んだ。その笑顔に、胸の奥が熱くなる。
婚約していた頃。午後の庭園で、二人で茶を飲んでいた時。殿下はこんな風に微笑んでいた。優しくて、穏やかで、まるで春の陽だまりのような笑顔。
あの日、全てが変わった。
「君は退屈だ」
冷たく、容赦なく突き放された。社交界の貴族たちの前で、婚約を破棄された。
なぜ。
なぜ、今、こんな優しい顔をする。
「防御に特化した剣技は珍しい。だが、護衛騎士には向いている。これからも精進してくれ」
殿下の言葉が、胸に突き刺さる。護衛騎士。王子を守る役目。私は復讐のために、この場所に来た。殿下を見返すために、騎士になった。なのに......
「エリアス」
名前を呼ばれた。偽りの名前。
「はい」
「無理はするな。君の体格では、訓練は辛いだろう。しっかり休息を取るように」
気遣いの言葉。体を案じる優しさ。
わからない。わからない。
頭の中が混乱する。あの冷酷な婚約破棄は何だったのか。今の優しさは何なのか。演技なのか、それとも......
「......ありがとうございます」
絞り出すように、礼を言った。
レオンハルト殿下は満足そうに頷き、他の騎士たちの方へ歩いて行った。
私は剣を握ったまま、その場に立ち尽くしていた。手が震えている。汗なのか、涙なのか、わからない何かが頬を伝った。
オスカー団長が私の肩を叩いた。
「殿下に褒められるとは、大したものだ」
「......はい」
視線の先で、レオンハルト殿下が他の騎士たちに声をかけている。穏やかな笑顔。誰に対しても分け隔てなく、優しく接している。
あの人は、本当は......
いや。考えてはいけない。
私はエリアス。復讐のために、王子に近づいた騎士。それ以外の何物でもない。
だが、胸の奥で、何かが軋む音がした。憎しみが、少しずつ、形を変えていく。
訓練が再開された。私は剣を振り続けた。汗が流れ落ちる。呼吸が荒くなる。体が悲鳴を上げている。
それでも、剣を振り続けた。
考えないために。揺れる心を、無理やり押さえつけるために。
訓練場の隅で、レオンハルト殿下が立ち止まった。視線が、一瞬だけ、こちらを向いた気がした。
錯覚かもしれない。
だが、その琥珀色の瞳に映った優しさは、確かに、婚約していた頃と同じだった。
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