公爵家の次女ですが、静かに学園生活を送るつもりでした

佐伯かなた

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第十八話 再会の余白

 王立学園では、学年ごとに使用する校舎が分かれている。

 一年生は東棟。
 二年生は中央棟。
 三年生は西棟。

 普段の授業の多くは、それぞれの棟の中で行われる。そのため他学年と顔を合わせる機会はそれほど多くないが、図書館や講堂などの共用施設だけは中央棟に置かれていた。

 その朝、東棟の廊下はまだ穏やかな空気に包まれていた。

 高い窓から差し込む光が石の床に淡い影を落とし、生徒たちはそれぞれの教室へと向かって歩いている。挨拶や短い会話が控えめに交わされ、朝の校舎には落ち着いたざわめきが広がっていた。

 レーネもその中を歩いていた。

 急ぐ様子はなく、足取りはいつも通り静かである。背筋は自然に伸び、視線はまっすぐ前へ向けられていた。

 すれ違う生徒たちの声が、ふと耳に入る。

「作法の授業で……」

「ええ、アルヴィス家の」

 小さな声だった。

 しかし、その話題はここ数日で何度か耳にしたものでもある。

 作法の授業の出来事は、どうやら一年生の間で少しずつ広がっているらしかった。

 もっとも、誰かが騒ぎ立てているわけではない。興味を持った者が隣の者へ伝える程度の、ささやかな噂にすぎない。

 レーネ自身はそれを気にする様子もなく、廊下を歩き続けていた。

 そのとき、後ろから声がかかる。

「アルヴィス様」

 振り返ると、ミレイユが近づいてくるところだった。

 栗色の髪を揺らしながら、少し急いだ様子で隣へ並ぶ。

「ごきげんよう」

「ごきげんよう、ミレイユ様」

 軽く礼を交わす。

 ミレイユは周囲をちらりと見てから、小さく声を落とした。

「聞きました」

「何をでしょう」

「作法の授業のお話です」

 栗色の瞳が興味深そうに細められる。

「ナイフのことや、先生が驚いていたこと……色々と」

 レーネはわずかに首を傾けた。

「そうなのですね」

 それだけの返事だった。

 ミレイユは一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑う。

「やはり気にしていらっしゃらないのですね」

「特には」

「アルヴィス様らしいです」

 そう言ってから、ミレイユは少し考えるように窓の外へ視線を向けた。

 まだ授業まで少し時間がある。

「もしよろしければ」

 小さく言う。

「図書館へ行きませんか」

「図書館ですか」

「ええ。少し本を探したいのです」

 中央棟にある図書館は、学園の中でも特に静かな場所である。朝の時間帯なら、利用している生徒もそれほど多くない。

 レーネは軽く頷いた。

「構いません」

「ありがとうございます」

 二人は東棟を出て、中央棟へ続く渡り廊下へ向かった。

 廊下の窓からは庭園が見える。朝の光が芝生の上に広がり、遠くで数人の生徒がゆっくりと歩いていた。

 中央棟へ入り、重い扉を押して図書館へ入る。

 中はひんやりとした静かな空気に包まれていた。

 高い天井まで届く本棚が整然と並び、窓から差し込む光が机の上にやわらかな影を落としている。ページをめくる微かな音だけが、広い室内に静かに響いていた。

「やはり落ち着きますね」

 ミレイユが声を落として言う。

「そうですね」

 二人は棚の間をゆっくり歩く。

 ミレイユは途中で足を止め、本棚を見上げた。

「王国史の本を探しているのですが……」

 そのときだった。

「ミレイユ様?」

 明るい声が後ろからかかる。

 二人が振り向くと、そこには一人の令嬢が立っていた。

 淡い金茶の髪を肩のあたりでまとめた少女で、瞳にはどこか楽しげな光がある。

「あら、本当にいらっしゃいましたのね」

 ラフィネ・ベルクレアだった。

 ミレイユの顔がぱっと明るくなる。

「ベルクレア様」

「ごきげんよう」

 三人は軽く礼を交わした。

 ラフィネは楽しそうに言う。

「新入生茶会のとき、図書館でお会いするかもしれませんね、とお話ししましたでしょう?」

 ミレイユがくすりと笑う。

「ええ、覚えています」

「本当にそうなりましたわ」

 ラフィネの視線が棚の上段へ向いた。

「実は私も王国史の本を探していたのです」

 レーネは本棚へ目を向ける。

「でしたら、こちらの上段にあります」

 示された場所を見ると、確かに目的の書物が並んでいた。

 ラフィネは少し驚いたように目を瞬かせる。

「まあ」

 そして小さく笑った。

「やはりアルヴィス様は図書館にお詳しいのですね」

 三人は自然と棚の前に並ぶ形になった。

 窓から差し込む光が、本棚と床に静かな影を落としている。

 ラフィネは本を一冊取り出しながら言った。

「図書館は静かで良い場所ですわ」

 ミレイユも頷く。

「ええ」

 レーネは棚の本を眺めながら、静かに答えた。

「そうですね」

 ページをめくる音が、穏やかに響いていた。
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