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#30 今、この瞬間だけは
しおりを挟むレオンからの思いもよらなかった言葉に、一瞬、時が止まったかのような錯覚に囚われる。
思考も呼吸さえも止まり、声を発するのに数秒の時間を要した。
「……え?」
どうやらそのせいで、レオンは私がレオンの家族に受け入れてもらえるかを不安がっていると思ったらしく。
「大丈夫。心配には及ばないよ。僕の家族は、堅苦しい形式を重んじるような古い人間ではないし。それに獣人の血を受け継いだ僕の元には、誰も嫁ぎたがらないからね。なにより、聖女であるノゾミなら大歓迎だよ」
私の不安をなんとか解消しようと切々と説いてくれている。
けれどどんどん飛躍していく話の内容に、私の頭が追いついていかない。
「……え? それって」
ーーもしかして、私がレオンのお嫁さんになるってこと?
そう聞き返そうにも、レオンの話は止まらない。
止まらないどころか、どんどん先へ先へと進んでいってしまう。
「あっ、でも、だからって誰でもいいっていうわけじゃないんだ。僕が見初めた相手であるノゾミならってことであって。だから、安心して。ね?」
「え? それって、もしかしなくても、私がレオンのお嫁さんになるってことだよね?」
ようやく言い終えたレオンに向けて、吃驚したせいで未だ瞠目したままの私が聞き返すと。
「うん、そうだよ。僕の妻になれば、異世界から召喚されたノゾミにも、僕の妻として爵位が得られるんだよ。そうなったら、もう追われたりすることもなくなる。普通に暮らせるんだよ」
これまた夢にも思っていなかった言葉が返ってきた。
そのどれもこれもが、この異世界に召喚されて追われる身となっている私には、とても魅力的なものばかりだ。
けれどそんな私の脳裏に、この異世界にきて追放されて、行き着いた精霊の森で助けてくれたルーカスさん。それから親友同然のフェアリーとピクシーの姿が浮かび上がってくる。
それだけじゃない。
助けてもらったあの日から、これまでのことが、あたかも走馬灯のように次々に蘇ってくる。
この世界にきてからの、この四ヶ月半の間、ずっと一緒に暮らしてきたのだから、そんなの当然だ。
あの日、ルーカスさんに助けてもらっていなかったら、私は今こうして生きながらえていなかっただろう。
フェアリーやピクシーだってそうだ。
陽気なふたりにどれほど救われたことか。
皆がいなければ、今の私は存在しない。そういっても過言ではない。
それに、ルーカスさんは、半年前に、流行病で奥さんを亡くしている。
だからよく、一緒に暮らすようになって、話し相手ができたお陰で、張り合いができたと言ってくれていた。
あれは、私が居づらくならないための、ルーカスさんの優しさでもあり、本心でもあったのだと思う。
そんな優しいルーカスさんも、寄る年波には勝てないのだろう。
近頃、足腰が弱くなったと零すこともあった。
その矢先に、ぎっくり腰になってしまったのだ。
それなのに……。命の恩人であるルーカスさんを残して、レオンと一緒に隣国になんて行けるわけがない。
なにより、家族同然である皆と離ればなれになってしまうなんて、そんなの絶対に嫌だ。
叶うことなら、精霊の森のルーカスさんの家で、ずっとずっと皆と一緒に暮らしたい。
勿論、レオンも含めてだけど、レオンには帰る場所がある。
それと同じで、私の帰る場所はルーカスさんの家以外に存在しない。
「……とっても有り難い話だけど、レオンとは一緒に行けない。命の恩人であるルーカスさんたちと離ればなれになるなんて考えられない」
「そんなの、いつでも会いに行けばいいじゃないか。隣国なんだから、すぐだよ」
「ごめん。そんなことできない」
「待って? ノゾミ。返事はすぐじゃなくてもいいんだ。ゆっくり考えてみてよ」
「いくら考えても答えは一緒だから」
「じゃあ、こうしよう? 僕のことをもっとよく知って、ゆっくり考えてみてよ。焦らなくていいから。ね?」
「でも、さっきの男の人、知り合いなんでしょう? 記憶を取り戻したんなら、すぐに帰らないといけないんじゃないの?」
「あっ、ああ、あれは、僕のお目付役だから気にしなくていいよ」
「おめつけ……役?」
ーーそれって、貴族の人にはついているものなの? よくわかんないけど。
「そう。わかりやすく言えば、僕専用の執事ってところかな。さっき話したように、うちの家系は王家の血筋でね。古い家だから、色々あるんだよ。あっ、でも、元々しばらくはこの国に留まる予定だったから、すぐに帰らなくても大丈夫だよ」
「……そ、そうなんだ」
レオンとの押し問答の末、私には考えの及ばない話題になったところにきてのレオンの『すぐに帰らなくても大丈夫』という言葉に、頑なだった心がふっと緩んで人知れず安堵していた、その不意を突くように核心を突かれてしまい。
「それより、ノゾミの気持ちを聞かせて欲しい。さっき泣いてくれたのは、ただの同情から? それとも、僕のことを想ってくれているから?」
「////ーーじ、自分でもよくわからないんだけど、気づいたらレオンのことばっかり考えてしまってて。感情がコントロールできないっていうか。それってつまり、その、レオンのことが……好、き……だから、だと……思う……けど……」
自分の気持ちを正直に説明していくにつれて、これって、『まんま告白じゃないか』そう思うと、段々恥ずかしくなってきて、終いの方は尻すぼみになってしまった。
そんな私のことを、やっぱり蕩けるような甘い微笑を浮かべているレオンは、じっと熱い眼差しで見つめたままでいる。
お陰で、ますます恥ずかしさが募っていく。
そこへ、レオンからなんとも甘やかな声音での甘い台詞が投下された。
「ノゾミにそんな風に想ってもらえて、とっても嬉しいよ。僕もノゾミのことがどうしようもなく、好きで堪らないよ。ノゾミ、今すぐ、僕のものになってほしい。駄目かな?」
優しい蕩けるような甘い表情をしたレオンが私のことを熱い眼差しで見つめてくる。
私は、そんなレオンに釘付け状態だ。
夢現でぽーっとしている私に、レオンがにこやかに微笑んでゆっくりと近づいてくる。
ーーなんだか夢みたい。もしかしてあの夢って予知夢だったのかなぁ。
ふとそんなことを頭の片隅で思っていたせいか、夢に出てきた王子様の姿が鮮明に蘇ってくる。
そこでハッとした私は我を取り戻した。
ーー違う。これは夢じゃない。現実だ。
このまま流されたら後戻りできなくなってしまう。
今まさに私に口づけようとしているレオンに向けて、必死に声を紡ぎ出す。
「やっぱりダメッ、待って!」
「ノゾミの気持ち、僕は理解しているつもりだよ。あとのことは、これから一緒にゆっくり考えていこう? きっといい方法が見つかるはずだよ。だから、今だけは、なにも考えずに、僕のことだけを見ていて欲しい。僕はノゾミのことをもっともっと知りたいんだ。それでも駄目?」
「……え」
「やっぱり、僕のことがそれほど好きじゃない? それとも獣人の血を受け継いだ僕のことは受け入れられない?」
けれども、首の皮一枚でどうにか繋ぎ止めている頼りない理性に、揺さぶりでもかけるようにして、レオンの揺るぎのない声音が畳みかけてくる。
好きな人にそこまで言われて、拒否できる人がいるなら、お目にかかってみたいものだ。
もしかしたら広い世の中には、そういう人もいるのかもしれないが、私には無理だった。
「そ、そんなことない。私だって、レオンのこと、もっともっと知りたいって思ってる」
気づけば、心のままに応えていて。私の言葉を聞き届けたレオンは。
「ノゾミが僕と同じ想いでいてくれたなんて。本当に、夢みたいだ。ノゾミにならなんだって教えてあげるよ。だから、今だけは、僕が何処の誰とかいうのも忘れて、ノゾミが名付けくれた、レオンである僕のことだけを見ていて欲しい」
心底嬉しそうに、蕩けるような微笑を綻ばせ、甘やかな声音で囁いてくれた。
この世の者とは思えないほどに美しい妖艶なレオンの姿に魅入られたように、私は、素直にコクンと顎を引くことしかできないでいる。
そんな私は、心のなかで……。
レオンの言葉同様、今この瞬間だけは、自分が追われる身だとか、レオンが誰であるだとか、そんなことなど関係なく、お互いを想い合っているこの気持ちを大事にしたい。
これからなにがあったとしても、この夜の想い出さえあれば、乗り越えていける。
ーーたとえひとりになったとしても、きっと。
そういって、ひっそりと自分に言い聞かせていたのだった。
応援ありがとうございます!
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