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#29 レオンの正体
しおりを挟む元いた世界のビジネスホテルほどの広さの質素な部屋には、小さな四角いテーブルとふたりがけのソファ、それから木製のベッドが二台並んでおかれている。
宿屋の主にこの部屋に案内されてからというもの、私はさっきの騒動などまるでなかったかのように、一切触れずにいた。それらは。
もしかしたら、レオンが記憶を取り戻したかもしれないだとか……。
もしかしたら、明日にでも家族が待っているであろう隣国に帰ってしまうだとか……。
そういうことから目を背けるための現実逃避に他ならない。
そんなことがいつまでもまかり通るはずがなかった。
レオンは部屋に入ってからずっとソファに腰を落ち着けて難しい表情で何かを考えているようだ。
私はといえば、手持ち無沙汰を解消するためにも、ベッドの上に、さほど多くもない荷物を鞄から引っ張り出しては、入れ直したり、服を畳み直したりを繰り返していた。
するとそこに、ずっと暗い顔で押し黙ったままだったレオンから唐突に声をかけられてしまい、たちまち心臓が嫌な音を立てはじめる。
「……やっぱり、ノゾミも僕のことが怖いんでしょう? だからさっきからそうやって気を紛らわせようとしてるんじゃないの?」
けれども見当違いなものだったために、拍子抜けしてしまった私は、慌てて背後に振り返ろうとして、バランスを崩し、ベッドからすっころびそうになってしまう。
「キャッ!?」
「ノゾミッ!?」
それをいち早く察知したレオンが目を見張る速さで駆け寄ってきて、私の身体を抱き留めてくれたことにより事なきを得た。
「ノゾミ、大丈夫? ケガはない?」
「う、うん。ありがと。レオンのお陰でこの通り、なんともないから」
「よかった。本当に。ノゾミが無事で良かった」
心配するレオンに、明るい声で元気よく応えると、レオンは心底安堵したように、噛みしめるようにして言葉を紡ぎ出し、そのままぎゅっと私のことを胸に抱き寄せたままでいる。
おそらく、今のことも含めて、はぐれた私が無事だったことに、心から喜んでくれているのだろう。
そう思うと、心がぽかぽかとしてきて、幸せな心持ちになってくる。
もうこのままずっとレオンとこうしていたい。そんなことを願ってしまう。
ーーダメダメ。そんなことより、早くレオンの誤解を解かなくちゃ。
「ねえ、レオン。私は全然平気だから。それより、さっきの話だけど。私、レオンがどんな姿であろうが、全然怖くなんかないからね? だって、レオンはどんな姿であろうとレオンなんだもん」
なんとか誤解を解こうと声を紡ぎ出した刹那。
私のことを胸に抱き留めていたレオンが物凄い勢いで顔を上げてきて、私のことを瞠目してくる。
そうして数秒ほどすると、今度はむぎゅうっとさっきよりも強い力で抱きすくめられてしまう。
あんまり強い力だったものだから、息ができないくらいだ。思わず。
「くっ……くるしいぃ」
そう漏らせば、ハッと我に返った様子のレオンが大慌てで私のことを抱きしめていた腕の力を緩めて。
「あっ、ごめん。嬉しかったものだから、つい。ごめんね。大丈夫?」
「うん、平気」
とっても心配そうな顔で私の様子を窺ってくる。
なんだか飼い主に叱られてシュンとした大型犬のようで、とっても可愛く見えて、胸がきゅんとなった。
こういうところが堪らなく可愛いな。けど、男らしいところもあって、ピンチになると必ず駆けつけてくれる。
ーーなんだか本物の王子様みたい。
そこまで思考が及んだ時、以前よく夢に見た王子様の姿が脳裏を過った。
羞恥に襲われ、いたたまれなくなってしまった私は、ホッと安堵の息を漏らしつつ「良かった」と呟きを落とすレオンの胸を両手で押し返しつつ。
「あっ、じゃあ、誤解も解けたようだし。私は、身体でも清めてこようかな。だから放して」
そう言って、宿屋の裏手にあるらしい大浴場に向かおうとした私の目論見は、すかさず返されたレオンからの真剣な声音によって、物の見事に外れることとなった。
「待ってノゾミ。その前に、ノゾミには僕のことをちゃんと話しておきたいんだ。だから、あとにしてくれないかな?」
思わず喉をゴクリと鳴らしてしまった私は、とうとうその時がきてしまったのかと、覚悟を決めて。
「……わかった。聞かせて」
返答を返し、レオンに促されるままに、ふたりがけのソファにレオンと隣り合って腰を落ち着けた。
覚悟を決めたつもりが、いよいよだと思うと、怖じ気づきそうになってしまう。
私が無意識に膝上でぐっと拳を握りしめたところで、思い切るようにして短く息を吐いたレオンがゆっくりと語りはじめた。
「僕の母は、人間である祖父と狼獣人である祖母の間に授かった子供。つまり人間と狼獣人のハーフなんだよ。そして母が貴族である父と出会って結婚し、僕が生まれた。僕には兄も妹もいるんだけど、その血を受け継いだのは僕だけなんだ」
その昔、この国にも隣国にも、人間と妖精だけでなく、獣人もたくさんいて、種族関係なく仲良く暮らしていたらしい。
けれど長い年月が流れていく中で、いつしかその見かけから、獣人は粗暴だとか野蛮だとかいうイメージが定着するようになっていった。
そのきっかけとなった、百年ほど前に起こったある悲劇が元で、獣人は迫害されるようになっていったのだという。
ある悲劇とは、人間が獣人に殺されてしまうという、痛ましいものだったらしいが、それは事故だったことがあとになって判明したらしい。
それど事件を機に、獣人が野蛮で危険だという概念がいつしか人々に根づいてしまったというのだ。
それ以来、獣人らは海を超え遠い東の大国に移住するようになったことで、現在はその姿は見かけなくなったらしい。
なので現在、実物の獣人を知らない人たちにとっては、恐怖の対象でしかないそうで。
それは、かつては狼を神聖な神として崇めていたという、レオンの故郷であるモンターニャ王国にもいえるそうだ。
王家の血筋である貴族の家系に生を受けたものの、獣人の血を引く祖母からその血を受け継いだレオンの存在は、家族以外の使用人や周囲の人からは、忌み畏れられてきたようだった。
それがさっきの誤解に繋がったようだ。
そのことを話してくれていたレオンは、終始淡々と語っていたけれど、時折、綺麗な蒼い瞳を悲しげに潤ませていた。
そういえば、以前にも、悲しげに『こういうことには慣れているから』そう言ってたことがあったっけ。
きっと獣人の血を受け継いだことで、たくさん悲しい思いをしてきたのだろう。
なんだか、聖女として召喚されたと思ったらいきなり追放されて、今では追われる身になってしまっている自分とが重なってしまい、切なくなってくる。
胸がキュウーッと締めつけられるような心地だ。
それと同様に、腹立たしい気持ちにもなってくる。
見かけだけで判断するなんて酷すぎる。昔は神として崇めたり、仲良くしてたクセに、そんなのあんまりだ。
そんな私の元に、レオンから優しい声音が届いて。
「どうしてノゾミが泣くの?」
そこで初めて、自分が泣いていることに気づかされた。
けれども感情が高ぶってしまっている私は涙もそのままに、思ったことを放つのだった。
「昔は仲良くしていたのに、そんなの勝手すぎる。レオンはなにも悪くないのに。見た目だけで勝手に怖がったりして。そんなの酷すぎる」
そうしたら、隣のレオンにふわりと腕の中に囲い込むようにして抱きしめられていて。
「ノゾミは本当に純粋で、とても心が綺麗だね。僕、やっぱりノゾミとは離れたくないよ。ねえ、ノゾミ。僕と一緒に隣国にきてくれない?」
隙なく密着した互いの身体を通して、レオンのとびきり甘やかな優しい声音がじんわりと伝わってくるのだった。
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