愛のない政略結婚なのに、訳ありエリート御曹司に執着愛で囲われています

羽村美海

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1巻

1-2

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 男の迫力に圧倒された美桜は、この場にそぐわないことを思ってしまった。

「……っ、ぅ……尊……」

 佐久間は切れ切れに男の名を口にすると名刺を手にしたままへたり込み、恐怖で血の気の引いた蒼白い顔で呆然としている。
 そしてこの世の終わりだとでもいうように、不意にこう呟いた。

「……いくらだ」

 けれど聞こえなかったようで、尊と呼ばれた男が怪訝けげんそうに問い返す。

「何か言ったか?」

 すると佐久間は、開き直ったように不遜な声を放った。

「金が目当てなんだろう? いくら出せば気が済む?」

 どうやら金銭で解決するつもりらしい。

(――解決したら、今度こそきっと……)

 美桜が落胆しかけたとき、佐久間の正面にいる尊から、威圧感満載の決然とした言葉が広い和室にこだました。

「金なんて必要ない。今後一切、うちとは関わらないでいただきたい。それだけですよ。さもないと、これをメディアに公表させていただきます」

 尊が懐から取り出したスマホからは、美桜が佐久間に襲われそうになっていたときの音声が流れた。目論見が外れ、尊を驚愕の表情で凝視し肩を落とした佐久間だったが、尊は無情にも部下らしき二人に淡々と命令を下すのだった。

「先生がお帰りだ。送って差し上げろ」
「ほら、立て。行くぞ」
「はっ、離せっ!」

 佐久間が暴れるも、慣れた様子の優男と大柄の男にあっさりと両側から拘束され連行されていく。
 一見すると愼と同年代のようだが、甘い顔立ちの愼とは違ってまとっている独特のオーラと凄まじい威圧感に鋭い眼光のせいか、端正な相貌はとても凜々しく、どこか危うさを孕んでいるように見える。
 美桜は、眉目秀麗、容姿端麗の言葉を体現したかのような尊にすっかり魅入られていた。
 そんな美桜の元へ、尊が悠然と歩み寄ると、思いのほか優しい声で話しかけた。

「怖がらせて悪かったな」

 驚きのあまり、心臓と身体とがビクンッと大きく跳ね上がる。
 その様子に、僅かに目を見開いた尊がどうしたことか、急に美桜から顔を背けて肩をふるふると震わせはじめる。

(――ん? どうしたんだろう、急に……)

 美桜がキョトンとしていると、とうとう我慢しきれないとばかりに男が笑い声を漏らす。
 美桜が気づいて顔を赤らめると、そこには目尻に涙を浮かべた尊の無邪気な笑顔があった。美桜はまたもやその笑顔に惹きつけられ、目が離せなくなった。
 それだけではない。初対面のはずなのに、なぜだか懐かしさを覚えてしまった自分に対しても戸惑うばかりだ。
 美桜の心情を知ってか知らずか、ようやく笑いを収めた尊が、今度は目の前に大きな手をスッと差し出してきた。

「ほら」

 意図が掴めず尊の顔と手とに視線を交互に行き来させていると、ふっと柔らかい笑みを零した男が思わず漏らしたのだろう小さな呟きに、美桜はますます首を傾げるしかなかった。

「ぼうっとしてるのは相変わらずだな」

 尊の笑顔に見惚れ、呟きを聞き逃したというのもある。
 だがそれよりも、畏怖を抱かせるほどの威圧感をまとう男が垣間見せる優しい表情にいちいち惹きつけられ、苦しいほど胸を高鳴らせてしまう自分が不可解でならなかった。

(――私ってば、さっきからどうしちゃったんだろう)

 戸惑いを隠せないでいると、再び尊の声が割り込んでくる。

「おい。腰が抜けて立てないのか? それとも、俺に抱き起こしてもらいたいのか?」

 揶揄い混じりの尊の声音に、今度こそムッとした美桜が尊の手を無視して立ち上がろうとしたときのことだ。
 振袖の上前が乱れ、襦袢までが下前もろとも大胆にはだけてめくれ上がっていたことに、今更ながらに気づいた。

「――キャッ!?」

 おそらく尊からは下着までが見えていたに違いない。
 とんでもない羞恥に見舞われた美桜が真っ赤になりつつも、大慌てで乱れた身なりを正していると――

「そんなに慌てなくても、それぐらいで欲情しないから安心しろ」
「――っ!?」

 尊が揶揄うように笑い、その言葉に羞恥心を煽られた美桜は顔を真っ赤にして両手で覆い隠し、身悶えるしかなかった。
 ややあって、不本意ながらも尊の手を借りて立ち上がったところで、男に礼を告げていなかったことを思い出す。
 成り行きとはいえ、貞操の危機を救ってくれたこの男に、誠心誠意、礼を尽くさなければならない。
 天澤家の娘である以上、家の名を汚すようなことがあってはならない。
 幼い頃より薫に幾度となく言い聞かされてきたことだ。
 今まさに立ち去ろうとする、尊の広い背中に真っ直ぐ言い放つ。

「あのっ、先程は助けていただき、ありがとうございました」
「別にあんたを助けようと思ってたわけじゃない。ただの偶然だ」

 尊は足を止めることも振り返ることもなく、背中越しにそれだけ言い置くと、そのまま出ていこうとする。
 そんな尊の姿からは、先程まで美桜が感じていた懐かしさも優しい雰囲気も、一切感じられない。
 美桜に見せていた優しい表情など、幻だったのかと思ってしまうほどに。
 自分とは一線を画すような態度を見せる尊のありように、美桜は言いようのない寂しさを覚えてしまう。
 そのせいか、気づいたときには立ち去ろうとする尊を大きな声で引き止めてしまっていた。

「待ってください。せめてお礼をさせてくださいっ!」
「あんたに礼なんてされる筋合いはない」

 けれど尊からはやはり頑なな言葉が返されるだけで、美桜はますます引くに引けなくなっていく。

「何でもしますっ!」
「そんなことを簡単に口にするな。まったくこれだから、世間知らずなお嬢様は」

 いつも家族に言われるがままの自分がこんなにも頑なになって、スーツの袖まで掴んで男を引き止めるなんて、それだけでも驚きなのに。それがまさか……

「どういうつもりだ」
「……た、助けていただいたのに、何のお礼もできないままだなんて、それでは私の気が収まりません」
「だったら、何をしてくれると言うんだ?」
「やれと言われれば何でもします。本気ですっ!」
「だったら脱げよ」
「……え?」
「何でもすると言ったのはおまえだ。だったら、脱いで俺のことをたのしませてみろ」

 尊との間で繰り広げた押し問答の末にこんな展開が待っていようとは、誰が予想できただろう。
 少なくとも美桜には、何もかもが思ってもみないことだった。




    第三章 鳥籠から出るために


 身動き一つ取れずに瞠目どうもくしたままの美桜の目に映る尊は、依然、こちらの出方を見定めるように、凄まじい威圧感と鋭い眼光を放ち続けていた。
 美桜は今一度、ゴクリと喉を鳴らして唾を飲み下し、覚悟を決めた。一瞬でも気を抜けば震えてしまいそうな手を着物の襟元に引っかけ、そのまま豪快にくつろげようとした刹那、廊下からこちらに近づく足音が響き始めた。
 おそらく二人の男が戻ってきたのだろう。
 途端に言いようのない羞恥に襲われ、身がすくみそうになったが、ここでやめるわけにはいかない。
 ギュッと瞼を閉ざし、ひと思いに襟元の手を引き下げようとしたそのとき――

「もう、よせ」

 威圧感満載で無表情を決め込んでいた尊から、制止の声が掛かった。

「……え?」

 驚いた美桜の口から間抜けな声が飛び出した。すると、ここぞとばかりに、尊が意味深な言葉で攻め立ててくる。

「どうした? ガッカリしてるのか? それとも、二人の前で俺に抱かれたいのか?」

 羞恥に駆られ真っ赤になった美桜は、絶句しその場で固まってしまう。
 あからさまな反応を見せる美桜のことを満足そうに見遣みやった尊が再び声を放つ。

「言っとくが、俺は女を輪姦する趣味はないから安心しろ。帰ったらたっぷりとたのしませてもらう。ぼーっと突っ立てねえで行くぞ」
「――へっ⁉」

 今度は違った意味で目を丸くした。

(――行くって、どこへ?)

 混乱する美桜の思考に尊の声が飛び込んでくる。

「助けた礼をしてくれるんだろう?」
「……は、はいっ」

 混乱しつつも、礼をしたい気持ちはあるので、美桜は反射的に返答していた。

「だったら俺についてこい。飽きるまで傍に置いてやるから、精一杯励め。嫌ならここに残ればいい。これまで通り家の駒として、あの変態代議士の家に嫁に出されて、いいようにもてあそばれるだろうがな。俺はどちらでも構わない。どうするかは自分で決めろ」

 尊の言葉は、抑揚のない淡々とした声と同様に、一切の感情がこもらない、冷淡とも取れるものだった。
 美桜の境遇を把握していたのには驚かされたが、そんなことよりも、どうしたいかを自分の意思で決められるように導いてくれている、そんな気がしてならない。
 とはいえ、初対面で素性も知らないこの男にこのまますがっていいものかと躊躇する気持ちもある。
 だが、どこか懐かしさを感じた彼とこのまま別れたくないと心が訴えかける。葛藤していた美桜の口からは、思ったままの言葉が自然と零れ落ちていった。

「……でも……迷惑になるんじゃ」

 そこまで口にしてから、ハッとする。
 自身の言動に驚きを隠せない美桜を、尊は口元に笑みをたたえ、その鋭い眼差しで射抜くように見据えながら問いかけた。

「ということは、俺についてくる気があるってことだな」

 コクンと僅かに顎を引いて意思表示した美桜に、尊が更に言葉を重ねる。

「だったら、ゴチャゴチャ言ってねえで、さっさと行くぞ」

 そうして、そのまま美桜の身体を軽々ひょいと左肩にかつぎ上げてしまう。

「……え? ちょ、キャッ!?」
「暴れるな。でないと落ちるぞ」
「――っ!?」

 驚愕して手足をばたつかせる美桜を笑み混じりにとがめ、羞恥に見舞われ真っ赤になった美桜が身を縮めたところで、尊は今度こそ和室を後にしたのだった。
 尊の肩にかつがれた美桜は、部下を従えた尊によって駐車場へ運ばれた。
 そこから黒塗りの大型高級セダンに乗り込み、到着したのは都心の複合商業施設内にある五つ星ホテルのスイートルームだった。
 尊は施設内のタワー棟にあるオフィスに立ち寄るとのことで、部下のヤスと兵藤ひょうどうに託された美桜は、天澤家の数寄屋造りを彷彿とさせる和風モダンな部屋に一人残された。
 道中は驚きの連続だった。
 それもそのはず、尊が泣く子も黙る日本最大の極道組織「龍神りゅうじん会」の若頭だというのだから。――しかも、今一番勢いがあると言われているIT企業「T&Kシステムズ」の経営者でもあるというのだ。美桜が驚くのも無理はない。
 いくら世間知らずな美桜でも、「極道」が何かの認識はあったが、ドラマや映画などで知り得た知識ばかり。ヤスから正体を明かされるまで気づかないはずである。
 尊には、呆れを孕んだ声で馬鹿にされてしまった。

「そんなことも知らず、のこのこ俺についてきたのか?」
(――確かにそうだけど、そんな言い草あんまりだ)

 憤慨して言い返そうとするも、言ったところでどうにもならないと言い淀む。

「……そ、それはだって、突然のことで気が動転していたし。それに……」

 どうにも気持ちが収まらず、尊を恨みがましくじとっと見ていると、美桜にだけ聞こえるように耳元で、面白おかしく茶化されてしまう。

「ああ、俺に無理やりかつがれたことを根に持ってるのか。それはすまなかったな。詫びに尻でも撫でてやろうか」
「――け、結構ですっ!」

 顔を赤く染め、ますますむくれてしまった美桜のことなど尊は歯牙にもかけない素振りで、知らん顔を決め込んでいた。
 それなのに、極道である尊に、美桜は不思議と嫌悪感も恐怖も感じなかった。
 それどころか、気づけば、感情のままに何もかもさらけ出してしまっている。

(やっぱり助けてもらったせいなのかな)

 だからって、尊が極道だとわかった以上、手放しでは喜べない。
 飽きるまで置いてくれると言ってはいたが、その後はどこかに売られてしまうかもしれない。
 一人物思いにふけっていた美桜の脳裏に、別れ際に目にした尊の後ろ姿が浮かんでくる。
 夕焼けに照らされた尊のたたずまいは、抜群なスタイルと長身のせいかとても様になっていて、まるで一枚の絵画でも眺めている心地だった。
 とても洗練されていて、大人の色香も相まって、自然と視線が惹きつけられる。

(――きっと、すごくモテるんだろうなぁ)

 美桜は胸にズキンと不可解な痛みを感じつつ、そのときの光景を思い返していた。
 一方、尊は美桜のことなど少しも気にかけていない様子で、一度も振り返ることなく行ってしまった。
 尊の姿が見えなくなってからも、その面影に囚われてしまったかのように、美桜は一歩も動けずにいた。
 その光景を思い出しただけで、言いようのない寂しさが胸に込み上げてくる。

(ついさっきまで、不安だったはずなのに……。一体、どうしちゃったんだろう)

 美桜が一人で悶々としている間に、障子で覆われた大きな窓には、いつしか煌びやかな夜景が広がっていた。色々あったせいか、ルームサービスが届いてからも食べる気にならず、窓際のソファから景色をぼんやり眺めているうちに物思いにふけっていたようだ。
 不意に物音がしてゆっくり振り返ると、襖の傍でたたずむ尊の姿があり、美桜の鼓動は大きく拍動するのだった。
 しばし見つめ合った後、尊はおもむろに首だけで後ろに振り返った。
 そうしてリビングのテーブルに並べられた手つかずの料理にチラッと目をやってから、口を開く。

「何も食べてないようだが、体調でも悪いのか?」

 感情の読み取れない端正な相貌と同じ、淡々とした抑揚のない、感情が一切こもらない低い声音。
 仕事に戻ると言っていたし、疲れているだけなのかもしれない。もしくは機嫌が悪いのか、どこか怒っているように聞こえる。
 それなのに、耳にするだけでこんなにもホッとするのはなぜだろう。
 尊に見惚れていたせいで、やや出遅れてしまったが、慌てて返事をする。

「……あっ、いえ。そういうわけじゃ……」
「ああ、なるほどな。極道者の施しは受けたくないってことか」

 だが、すぐに返された思いもよらない尊の言葉に面食らうこととなる。

「……え?」

 どういうわけか、尊は美桜が極道者である尊のことを快く思っていないと勘違いして機嫌を損ねているようだ。
 どうしたものかと考えていると、いつの間にか美桜のすぐ傍まで来ていた尊が、重低音で語りかけてきた。

「隠さなくてもいい。俺についてきたことを後悔してるんだろう」

 そこでようやく、尊が何に対して思い違いをしているかが判明する。
 確かに尊が極道だと知って驚きはしたが、ついてきたことを後悔しているわけではない。
 食欲がなかったのは、広い部屋に一人取り残されて心細かったのと、尊に飽きられたその後、どうなってしまうかが不安だったからだ。

(――どうしよう。私のせいで怒らせてしまったんだ。早く、誤解を解かないと)

 美桜は慌てて立ち上がり、尊に飛びかからんばかりの勢いで必死に言い募る。

「あのっ、違うんです、誤解です! 私、後悔なんかしてませんっ!」

 だが再び、尊から意外すぎる言葉が返されて、美桜が抱いていた不安は全て杞憂だったことを知る。

「無理するな。怖がるのは当然だと思うが、礼なんて返してもらうつもりはない。おまえには指一本触れるつもりもない」

 それだけでも驚きだというのに、続けて美桜の心の内を見透かしたかのような言葉を放った。

「もちろん、売り飛ばしたりするつもりもない。様子を見に来ただけだから安心しろ。じゃあな」

 相変わらず素っ気ない声でそう言い置くと、きびすを返して美桜の元から立ち去ろうとする。
 意味がわからず、美桜は困惑するばかり。
 その間にも、尊は歩みを進めていて、美桜からどんどん離れて行ってしまう。
 それがどうしようもなく、寂しく思えてならない。
 自分でも自分の気持ちがよくわからない。
 ただはっきりしているのは、尊と離れてしまうのがどうしても嫌だということ。
 そして、その衝動を自分ではコントロールできないということ――
 今まさに部屋から立ち去ろうとする尊の腰元に抱きついて引き留めてしまった美桜は、そのことを身をもって実感することとなった。

「私、本当に後悔なんかしてません! どういうわけか尊さんと離れたくないって思っちゃうんです。何でもしますから、飽きるまで傍に置いてください! お願い、一人にしないでっ!」

 そう美桜が言い切った刹那、尊は酷く驚いているのか、全ての動きをピタリと停止させた。
 当の美桜はといえば、慌ててまくし立てたせいか、全力疾走したときのように呼吸は乱れ、鼓動も加速し、胸まで苦しくなってくる。
 けれどここで引き下がったら、尊は今度こそ部屋から出て行ってしまう。また一人にされてしまう。

(――そんなの絶対嫌だ。ずっと傍にいてほしい)

 そんな思いに突き動かされて、美桜はなおも尊の腰にぎゅうぎゅうとしがみつくのだった。
 そこに尊から意外にも狼狽えたような声音が届く。

「……お、おまえ、どういうことか、わかって言ってるのか?」
「――へ!?」

 尊からの問い掛けに、美桜は虚を突かれたように頓狂な声を発していた。
 美桜は必死だったがために、思ったままを口にしたに過ぎない。
 他意などまったくなかった。

「だから、わかって言ってるのかと聞いてる」

 まさか念押しされるとは思わず面食らう。

「……は、はい。思ったことを口にしただけなので」

 美桜はキョトンとしたままそう答えるしかなかった。
 それに対し尊は僅かに瞠目どうもくしてから、今度は違った質問を投げかけてくる。

「だったら、おまえは俺に惚れてるってことなのか?」

 しかし、これまで男性と付き合った経験のない美桜にそんな自覚などあるはずもなく、自信満々に言い切ってしまう。

「まさか、初対面でそんな、ドラマや小説じゃありませんし」

 それが意外だったのか、しばし尊は目を点にしていたが、すぐに途轍もなく低い声音を響かせた。

「……俺のことを揶揄うとはいい度胸だな」
「――へっ!?」

 言葉の真意がまったく掴めず、美桜は見開いた目をパチパチと瞬かせることしかできないでいる。

(ど、どういうこと?) 

 美桜を一瞥いちべつした尊は、口元に怪しい笑みを僅かに浮かべ、何かを呟くように独り言ちた。

「いや、自覚がないだけか」

 尊の声を拾うことができなかったので、相も変わらず美桜はキョトンとしたままだ。
 しばらくして、不意に尊が動く気配がしたかと思えば、美桜の身体がグラリと傾いていく。

(――な、何? もしかして地震?)

 そんなことを考えていると、尊の肩にかつがれてしまう。
 そうしてスタスタと歩き始めた尊に寝室の大きなベッドの上へと下ろされ、あっという間に組み敷かれてしまった。
 突然の出来事に、美桜は目を丸くすることしかできずにいる。

「俺を煽ったのはおまえだ。男を煽ったらどうなるか、今からたっぷりと身体に教え込んでやる。覚悟はできてるんだろうな?」

 妖艶な色香をまとい、不遜な微笑をたたえた尊の言葉と尊のただならぬ色香にあてられた美桜は、夢現ゆめうつつでコクンと顎を引いていたのだった。
 美桜が呆然としていると、ふっと軽く笑った尊から笑み混じりの低い声音が降ってきた。

「呆けてる場合じゃないだろ。俺をたのしませてくれるんじゃなかったのか」

 ハッとした美桜は、ようやく正気を取り戻す。

「――あっ、は、はいっ!」

 脳裏に、昼間に尊から言い渡された言葉が蘇ってくる。

「何でもすると言ったのはおまえだ。だったら、脱いで俺のことをたのしませてみろ」

 瞬く間に美桜は羞恥に見舞われる。だが、何でもすると言ったのは自分だ。飽きるまで傍に置いてもらうには、精一杯励むしかない。覚悟はとっくにできている。
 ゴクリと喉を鳴らした美桜は、おずおずと振袖の襟元へと手を添えた。そうしてゆっくりとくつろげていく。
 その様を無表情を決め込んだ尊に、射貫くように見据えられている。
 どうにも恥ずかしくて仕方ない。顔どころか、身体中が熱くてどうしようもない。火でも噴いてしまいそうだ。
 手まで震えてしまうが、それでも何とかゆっくり引き下げかけた刹那。尊から声を掛けられた。

「俺が怖いならやめてもいいんだぞ」

 どういうわけか、そう告げた尊の声が悲しげに聞こえ、たちまち美桜の胸がキューッと締めつけられる。
 美桜は羞恥も忘れ、感情の赴くままに心の内を吐露してしまう。

「さっきも言いましたけど、尊さんとは離れたくないって思うくらいです。怖くなんてありません。ただ恥ずかしいだけです」

 尊は、にわかに信じられないというような顔をしたが、すぐにその表情を消した。
 そうして妖艶な微笑を微かにたたえた口元をゆっくり引き上げる。
 その表情はどこか怪しく危うげで、途轍もなく艶めいている。男性なのに色っぽいなどと思ってしまう。
 それに香水でもつけているのか、ふんわりと甘い香りが微かに漂ってくる。
 全てにあてられた美桜は、くらくらとして今にも酔ってしまいそう。

「そうか。なら、俺の好きなようにさせてもらう。今からおまえは、俺だけのものだ。いいな?」

 そのせいか、尊からかけられた言葉は、とても傲慢なものなのにどこか優しい響きを孕んでいるように聞こえて。

(――尊さんだけのものにしてくれるんだ)

 そう思うと、嬉しくてどうしようもない。
 胸がいっぱいで、泣いてしまいそうだ。
 助けてもらったからだろうか。
 それとも、どこか懐かしさを感じてしまったからだろうか。

(どれも違う気がする。もしかして、これって……)

 美桜が結論に辿り着こうとしていたそのとき、尊から焦れたような声音が届いた。

「おい、聞こえなかったのか?」

 慌てて頭を振った美桜は、今度こそ尊にしっかりと応えてみせる。

「早く尊さんだけのものにしてください」

 これは、尊に言われて仕方なく言ったのではない。紛れもない自分の意思だ。

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