89 / 109
#8 寝ても醒めても〜窪塚視点〜
#9
しおりを挟む
長年、あんなにも恋い焦がれてきた高梨に対して、犯してしまった自分のとんでもないやらかしに気づいてしまってからというもの、俺は心ここにあらず。
藤堂との会話も耳に何一つとして留まることなく、右から左で素通りしてしまっていた。
けれどもそれを藤堂に気取られまいと、見た目的には、お得意のポーカーフェイスを決め込むことができているはずだ。
ーーていうか、そうであってほしい。
正面の藤堂は、急に青ざめてしまった俺の様子に、しばし怪訝そうな表情をチラつかせてはいたが、藤堂の関心事は他のところにあったようだ。
バーテンに新しく作ってもらったギムレットの入ったグラスに口をつけ一口含んでから、藤堂が思いがけないことを言ってきた。
「なぁ、窪塚。前々からちょっと気になってたことがあるんだけどさ。訊いてもいい?」
俺の頭の中は、まだまだ大混乱で、とてもじゃないが他のことなど考えているような余裕なんてなかったけれど。
「……ん? なんだよ? 改まって」
さもなんでもない風を装って平然と返事を返したというのに。
「いやさぁ。窪塚には、高梨のことも含めて何一つ勝てた試しはなかったけど、もしかしたら一つだけ勝ててるかもって思って。ちょっと確かめたくなってさぁ」
藤堂からの返事は、相変わらず前置きが長くて、焦れったく思えてならなかった。
「なんだよ? ハッキリ言えよ。気になるだろ」
当然、焦れた俺はすぐにそう言って先を促したのだが、直後そのことを猛烈に後悔することになる。
「じゃあ訊くけどさ。もしかして窪塚にとっても高梨が初めての相手、つまりはDTーー」
「ーーブッ!?」
「ハハッ……やっぱりな。ハハハッ」
「////……うっせーよっ。お前のせいでもあるんだからなッ!」
「ハハッ、そんな昔のこと、もうとっくに時効だろ。ハハハッ」
「……フンッ!」
結果として、藤堂の狙い通りだった俺は、口に含んでいたマティーニを危うくぶちまけそうになった。
それをすんでのことろで口を掌で覆うことにより防げはしたが、代わりに藤堂に腹を抱えて馬鹿笑いされるというなんとも情けなく格好悪いにもほどがあるという有様だった。
厳密にいえば、途中までの経験はある。
医大生の頃、高梨が藤堂と付き合うようになってからというもの、高梨のことをなんとか吹っ切ろうと、それまで興味もなかった合コンにも参加するようになった。
その時に知り合った相手には失礼な話だが、高梨に髪型や雰囲気が似ていたりすると、誘われるままに何度かホテルに行ったこともあった。
自慢じゃないが、医大生だったし、今と変わらず一八〇センチの高身長で、その頃には身体も鍛えていたし、見かけもそこそこだったこともあり、それなりにモテてもいたため、まったくその機会がなかったわけでは断じてない。
ただ、事に及んで、いよいよとなると、決まってそこで、高梨のあの可愛らしい顔が、あたかも呪縛のように脳裏にチラついてしまって、目の前の相手が高梨じゃないことに落胆でもするかのように、途端に高まっていたはずの気持ちが急激に冷めて、アレまで萎えてしまい、一度として最後まで成し遂げた試しがなかったせいだ。
オマケに、相手には不能扱いされた挙げ句に、腫れ物にでも触れるようにあからさまに気まで遣われ、次の機会は二度と訪れることもなく、次第とそういうことからも遠ざかっていった。
長年、高梨のことを踏ん切れずにいたのには、そういうデリケートな事情もあったのだ。
そう、あの夜まで、俺は正真正銘のDTだった。
だから、高梨がまさか処女だなんて思いもしなかったし、気づけるはずもなかったということにはなるが、俺がやらかしてしまったことには違いない。
思い返してみれば、俺、知らなかったとはいえ、これまで高梨に対して、相当酷いこと言っちゃってるよな。
あの頃の俺は、高梨に嫌われていたことで望みなんかないと思って、だったらとことん嫌われて諦めざるを得ない状況に自ら追い込もうとしていた。
ーーなのに、高梨は本当に俺のこと好きになってくれてんのか?
否、でも、セミナー当日に久々に逢った時には、以前までとはまったくといっていいほど醸し出す空気感が違っていて、雰囲気も柔らかで優しかったし、俺の我が儘も快く聞き入れてくれたし、朝までずっと傍にもいてくれた。
ーー藤堂の言葉を信じてもいいんだよな。
高梨は俺のことをずっと意識してたらしいのに、その自覚がなかったらしいし。
確かに、高梨は昔から俺のことを敵視してたし、藤堂のいうように、それが仮に好きの裏返しだったとしても、そのことに本人が気づいていなかったんだから、そんな相手にいきなり、一夜の過ちで処女を奪われたんだ。
そりゃ、あの夜のことを覚えていなかった高梨からすると、相当なショックだったに違いないし、隠しておきたいとも思うよな。
けど、それだけは言って欲しかった。
そしたら、画像なんかで脅して、セフレになれなんて強要しなかったのに。
……なんて、今更そんなこと言ってもな。
お互いにそんな事情なんて知らなかったんだし、今更こんなことでウジウジ悩んでても仕方ない。
覆水盆に返らず。もう取り返しのつかないことだ。
ーーもうここまできたら、いい加減、腹をくくるしかない。
俺はここへきて、今度こそ、高梨とちゃんと向き合う覚悟を決めたのだった。
腹をくくったことで、パニックだった頭の中もようやく落ち着きを取り戻した俺の元に、笑いが収まったらしい藤堂から打って変わって真剣な声音が放たれて。
「窪塚」
俺が意識を向けると、怖いくらいに真剣な面持ちで俺のことを射抜くようにして見据えている藤堂の姿が待ち構えていた。
「これで昔の借りはきっちり返したからな。これから先、もしも高梨を泣かせるようなことがあったら、今度こそ遠慮なんてしない。勿論、同じ脳外科医としても、いつかきっとお前を超えてみせる」
「ああ。望むところだ。お前なんかの出る幕なんてねーよ。高梨は、この俺が絶対に幸せにしてみせる。勿論、脳外科医としても絶対に天辺までのし上がってみせる」
俺も、正面の藤堂と真っ向から向き合って、お互い宣戦布告し合うようにして、男同士の固い約束を交わしあった。
医大生の頃から、恋敵としてずっと捉えてきた藤堂と、こんな風に腹を割って語り合ったのは初めてかもしれない。
あれからほどなくしてバーを出て駅前で藤堂と別れてから、ふとそんなことを思っていた時のことだ。
何故か不意に、優のことを思い出してしまった俺は、高梨の命の恩人である優と高梨に今も想いを寄せている藤堂のためにもーー今度こそ高梨と向き合って、高梨のことをなにがなんでもこの俺が絶対に幸せにしてみせる。
この夜、俺は、そう心に固く誓ったのだった。
藤堂との会話も耳に何一つとして留まることなく、右から左で素通りしてしまっていた。
けれどもそれを藤堂に気取られまいと、見た目的には、お得意のポーカーフェイスを決め込むことができているはずだ。
ーーていうか、そうであってほしい。
正面の藤堂は、急に青ざめてしまった俺の様子に、しばし怪訝そうな表情をチラつかせてはいたが、藤堂の関心事は他のところにあったようだ。
バーテンに新しく作ってもらったギムレットの入ったグラスに口をつけ一口含んでから、藤堂が思いがけないことを言ってきた。
「なぁ、窪塚。前々からちょっと気になってたことがあるんだけどさ。訊いてもいい?」
俺の頭の中は、まだまだ大混乱で、とてもじゃないが他のことなど考えているような余裕なんてなかったけれど。
「……ん? なんだよ? 改まって」
さもなんでもない風を装って平然と返事を返したというのに。
「いやさぁ。窪塚には、高梨のことも含めて何一つ勝てた試しはなかったけど、もしかしたら一つだけ勝ててるかもって思って。ちょっと確かめたくなってさぁ」
藤堂からの返事は、相変わらず前置きが長くて、焦れったく思えてならなかった。
「なんだよ? ハッキリ言えよ。気になるだろ」
当然、焦れた俺はすぐにそう言って先を促したのだが、直後そのことを猛烈に後悔することになる。
「じゃあ訊くけどさ。もしかして窪塚にとっても高梨が初めての相手、つまりはDTーー」
「ーーブッ!?」
「ハハッ……やっぱりな。ハハハッ」
「////……うっせーよっ。お前のせいでもあるんだからなッ!」
「ハハッ、そんな昔のこと、もうとっくに時効だろ。ハハハッ」
「……フンッ!」
結果として、藤堂の狙い通りだった俺は、口に含んでいたマティーニを危うくぶちまけそうになった。
それをすんでのことろで口を掌で覆うことにより防げはしたが、代わりに藤堂に腹を抱えて馬鹿笑いされるというなんとも情けなく格好悪いにもほどがあるという有様だった。
厳密にいえば、途中までの経験はある。
医大生の頃、高梨が藤堂と付き合うようになってからというもの、高梨のことをなんとか吹っ切ろうと、それまで興味もなかった合コンにも参加するようになった。
その時に知り合った相手には失礼な話だが、高梨に髪型や雰囲気が似ていたりすると、誘われるままに何度かホテルに行ったこともあった。
自慢じゃないが、医大生だったし、今と変わらず一八〇センチの高身長で、その頃には身体も鍛えていたし、見かけもそこそこだったこともあり、それなりにモテてもいたため、まったくその機会がなかったわけでは断じてない。
ただ、事に及んで、いよいよとなると、決まってそこで、高梨のあの可愛らしい顔が、あたかも呪縛のように脳裏にチラついてしまって、目の前の相手が高梨じゃないことに落胆でもするかのように、途端に高まっていたはずの気持ちが急激に冷めて、アレまで萎えてしまい、一度として最後まで成し遂げた試しがなかったせいだ。
オマケに、相手には不能扱いされた挙げ句に、腫れ物にでも触れるようにあからさまに気まで遣われ、次の機会は二度と訪れることもなく、次第とそういうことからも遠ざかっていった。
長年、高梨のことを踏ん切れずにいたのには、そういうデリケートな事情もあったのだ。
そう、あの夜まで、俺は正真正銘のDTだった。
だから、高梨がまさか処女だなんて思いもしなかったし、気づけるはずもなかったということにはなるが、俺がやらかしてしまったことには違いない。
思い返してみれば、俺、知らなかったとはいえ、これまで高梨に対して、相当酷いこと言っちゃってるよな。
あの頃の俺は、高梨に嫌われていたことで望みなんかないと思って、だったらとことん嫌われて諦めざるを得ない状況に自ら追い込もうとしていた。
ーーなのに、高梨は本当に俺のこと好きになってくれてんのか?
否、でも、セミナー当日に久々に逢った時には、以前までとはまったくといっていいほど醸し出す空気感が違っていて、雰囲気も柔らかで優しかったし、俺の我が儘も快く聞き入れてくれたし、朝までずっと傍にもいてくれた。
ーー藤堂の言葉を信じてもいいんだよな。
高梨は俺のことをずっと意識してたらしいのに、その自覚がなかったらしいし。
確かに、高梨は昔から俺のことを敵視してたし、藤堂のいうように、それが仮に好きの裏返しだったとしても、そのことに本人が気づいていなかったんだから、そんな相手にいきなり、一夜の過ちで処女を奪われたんだ。
そりゃ、あの夜のことを覚えていなかった高梨からすると、相当なショックだったに違いないし、隠しておきたいとも思うよな。
けど、それだけは言って欲しかった。
そしたら、画像なんかで脅して、セフレになれなんて強要しなかったのに。
……なんて、今更そんなこと言ってもな。
お互いにそんな事情なんて知らなかったんだし、今更こんなことでウジウジ悩んでても仕方ない。
覆水盆に返らず。もう取り返しのつかないことだ。
ーーもうここまできたら、いい加減、腹をくくるしかない。
俺はここへきて、今度こそ、高梨とちゃんと向き合う覚悟を決めたのだった。
腹をくくったことで、パニックだった頭の中もようやく落ち着きを取り戻した俺の元に、笑いが収まったらしい藤堂から打って変わって真剣な声音が放たれて。
「窪塚」
俺が意識を向けると、怖いくらいに真剣な面持ちで俺のことを射抜くようにして見据えている藤堂の姿が待ち構えていた。
「これで昔の借りはきっちり返したからな。これから先、もしも高梨を泣かせるようなことがあったら、今度こそ遠慮なんてしない。勿論、同じ脳外科医としても、いつかきっとお前を超えてみせる」
「ああ。望むところだ。お前なんかの出る幕なんてねーよ。高梨は、この俺が絶対に幸せにしてみせる。勿論、脳外科医としても絶対に天辺までのし上がってみせる」
俺も、正面の藤堂と真っ向から向き合って、お互い宣戦布告し合うようにして、男同士の固い約束を交わしあった。
医大生の頃から、恋敵としてずっと捉えてきた藤堂と、こんな風に腹を割って語り合ったのは初めてかもしれない。
あれからほどなくしてバーを出て駅前で藤堂と別れてから、ふとそんなことを思っていた時のことだ。
何故か不意に、優のことを思い出してしまった俺は、高梨の命の恩人である優と高梨に今も想いを寄せている藤堂のためにもーー今度こそ高梨と向き合って、高梨のことをなにがなんでもこの俺が絶対に幸せにしてみせる。
この夜、俺は、そう心に固く誓ったのだった。
1
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
【完結】溺愛予告~御曹司の告白躱します~
蓮美ちま
恋愛
モテる彼氏はいらない。
嫉妬に身を焦がす恋愛はこりごり。
だから、仲の良い同期のままでいたい。
そう思っているのに。
今までと違う甘い視線で見つめられて、
“女”扱いしてるって私に気付かせようとしてる気がする。
全部ぜんぶ、勘違いだったらいいのに。
「勘違いじゃないから」
告白したい御曹司と
告白されたくない小ボケ女子
ラブバトル開始
あまやかしても、いいですか?
藤川巴/智江千佳子
恋愛
結婚相手は会社の王子様。
「俺ね、ダメなんだ」
「あーもう、キスしたい」
「それこそだめです」
甘々(しすぎる)男子×冷静(に見えるだけ)女子の
契約結婚生活とはこれいかに。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる