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第二章 追憶と真実
新しい友達
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その後、ブラウが到着するまで持ちこたえたフレデリク達は、一連の騒動を説明し終えると、そのまま帰寮を余儀なくされた。討伐訓練自体も中止となって、詳しいことは学校側で調べてから、処罰を下すとのことらしい。
魔呼玉を手に入れることなど、武器を管理するヘルマン家からすれば造作もないことなのかもしれないが、意図して生徒を危険な目に合わせた以上、厳重な処罰は免れないだろう。
それが謹慎であれ、退学であれ、騎士を目指す身としては正直落第も同然だ。オーディスにはきちんと反省してもらって、もう二度とこのようなことはしないと、心に誓ってほしかった。
「はあ……」
帰ってきて早々、ベッドの背に身体を預けてへたり込んだフレデリクは、深いため息を吐いた。
(疲れた……)
初めての魔物討伐に、予想外のハプニング。
何もかもがフレデリクの脳内で処理するには重たすぎて、知恵熱でも出そうな勢いだ。
魔物への恐怖心も、結局は忘れられておらず、命を投げ出すようなことをしてしまって。ブラウを待つ間だけはなんとか応戦できたものの、耳にこびりついた魔物の雄叫びを思い出すと、今でも少し手が震える。
(怖がってるようじゃ、立派な騎士にはなれない……)
テオドアにあれ程怒鳴られたのは、稽古を受けている時でさえも、なかったように思う。
彼はもしかすると、自分が助けた人間が、簡単に命を放り出すような人に育って、怒りが湧いたのかもしれない。手塩にかけて面倒を見てやったのに、こうも命を蔑ろにされて、許せなかったのかもしれない。
俺の苦労を返せよ――と、言われてもないのに、想像の中のテオドアが言っている気がした。あれだけ教えてやったのに、剣を握ることもできないなんて。ガッカリされて、見放されて当然だ。
(嫌われたくない。呆れられたくない……。謝ったら、テオは許してくれる……?)
身体を丸めて、自分自身を抱きしめる。そうでもしないと怖くて怖くて、仕方がなかった。
「…………?」
その時、ふとベッドのスプリングが軋んだ音を立てて、シーツが沈む。フレデリクの隣に、誰かが腰を下ろしたのだ。
「イ、イアン殿下……」
横顔しか見えない彼の表情は、相変わらず何を考えているのか汲み取れなかった。ただ何か言いたいことでもあるのか、頻りに眉根を寄せ、膝の上で指を何度も組み替えている。
(どうしたんだろう……)
フレデリクも心なしか緊張し始めて、姿勢をそっと正す。いつもと変わらない無言の空間なのに、居心地が悪いどころか、一生懸命言葉を探しているイアンを見ていると、なんとなくソワソワとしてしまう。
そんな状態が続いたまま、数分が経過した頃。
「俺は……」
ようやく決心がついたイアンが、吐露するように話し始めた。
「あんな風に、誰かに守ってもらえたのは……初めてだった」
「は、初めて……?」
「いや、正確にはいたか。俺のうわべだけの身分と、顔に惹かれて、近づいてくる卑しい女どもが。子供の頃の俺は、それにも気づかず、まんまと騙されて……」
言いながら嫌な記憶を思い出したのか、イアンはグッと拳を握りしめる。
「だから、勘違いしていた。君もそいつらと同じ、何か思惑があって、俺に近づいてくる一人にしか過ぎないのだと。……俺は信じるのが怖くて、そう、思い込むようにしていたんだ」
一言一言、自分の気持ちを確かめるように彼は語る。
「でも、君が必死に助けようと走ってくる姿を見て、目が覚めた。あれは、偽善心からできる行動じゃない。君は他の奴らとは違うのだと、あの時やっと俺は理解した」
そうしてイアンは、フレデリクの方へ顔を向けると、目を伏せ、頭を下げた。
「これまで、たくさん酷いことを君に言ったと思う。……悪かった。もう遅いかもしれないが、謝罪をさせてくれ」
「いっ……いやっ、ちょ、ちょっと待って……!」
しかしフレデリクは、ドッと冷や汗を滲ませ、首をふるふると振っていた。頭をあげさせようと、イアンの肩に手を置いて、力を込める。
「お、おれは、貴方に頭を下げてもらうほど、大したことはしてない……! 無闇に突っ込んで、馬鹿な真似をしただけなんだ! それもただの自己犠牲で、イアン殿下を庇おうとして――」
「俺に死ぬなと、言ってくれたのにか?」
「え……?」
顔を上げたイアンの瞳に、フレデリクの凡庸な顔が間近に映る。赤みを帯びた金色が、飲み込むように大きく開いて、一瞬足りとも逸らすことを許さない。
「嬉しかった。俺の名前を呼んで、俺を心配して、俺を命懸けで救おうとしてくれたことが。初めて、生きていて良かったとさえ思えたんだ。……例えそれが、褒められた行動でなくとも、あの時の俺は、心から君に掬われた。だからどうか、否定しないでくれ。後悔など、君にだけは絶対にしないでほしい」
「あ……」
フレデリクはそれ以上、何も言うことはできなかった。テオドアに怒られた、あの命を犠牲にする行動が、こうして誰かの救いとなっていたことに、思いがけずほっとしてしまったから。
(正しくはないけど、間違いでもない……)
テオドアに嫌われたらどうしようと不安一色だった気持ちが、少しだけ晴れる。無駄な行いではなくて、意味はあったのだと知って、フレデリクも嬉しかった。
「今さらだが、俺は君と、ちゃんと向き合いたい。……フレデリクに、俺のことを知ってほしい」
イアンの目元が、僅かに緩まる。名前を呼んでもらえるのもそうだが、なんだか気を許されてるみたいだ。
今までの冷たい態度を思うと、一気に距離が縮まった気がして、フレデリクはこそばゆさに心を揺らす。
「イアン殿下が教えてくれるなら、おれはもちろん知りたいよ」
「……じゃあまずは、その敬称を外してくれ」
「えっ、殿下を?」
「ああ。そもそも俺には相応しくないものだから」
「っ、そんな……」
自虐的に笑っていても、彼は誰よりも高貴で、気品高く見えるのに。フレデリクはそれを理解しないイアン自身にもムッとして、割り切れない気持ちを抱く。
「だけど君もよく知ってるだろう。俺が嫌われて、憎まれてるのは」
「……でも、全部噂だよ。本当かどうかも分からない話に、皆面白くなって乗っかってるだけだ」
「真実も混ざってると言ったら?」
「っえ……」
「俺の母親は、王家の血なんて一筋も引いてない。貧しい村の出だ」
あまりにも平然と暴露されたことに、フレデリクは声をあげるのも忘れて、呆然と目を見開く。
「ただ、顔だけは美しかったから。父と偶然出会い、関係を持った母は、俺を産んだ。その後すぐに捨てられることも知らずにな」
「っ!」
「そのおかげで俺は、母から随分と憎まれた。お前がいなければ、あの人は私を捨てなかった。お前さえいなければ、私はあの人とずっと一緒にいられた――そう言いながら、何度も何度も罵声と暴力を浴びせて。……馬鹿だろう。俺がいてもいなくても、結局はただの遊び相手。いつかは絶対に、捨てられる運命だった」
胸が抉られるほど、辛く悲しい話なのに、語るイアンからは悲哀すらも感じさせない。何も映さない瞳にあるのは、長年に渡り染み付いた諦観だけ。
(きっと、諦めるしか……なかったんだ)
フレデリクの心臓が、ナイフを突き立てられたみたいにズキンと痛む。当時のイアンが、この何倍もの苦しみに耐えていたのかと思うと、深海に沈んでいくような重圧感に、押し潰されそうだ。
「でも、イ、イアン……は、今……」
「ああ、俺が王家に名を連ねることになったのは、母が死んだからだ。就寝中に家を燃やされて、業火に焼かれて母は死んでいった。……俺は助ける気もなく、命からがら一人で逃げて、その先にいた父親に拾われた」
「……どういうこと? なんでそこにお父さんが?」
「母が邪魔になったから殺そうとしたんだろう。王族というのは、冷淡で薄情な奴らの集まりだからな。……それよりもフレデリクは、俺が母を見殺しにしたことについて、何か思ったりはしないのか?」
声が一段下がり、イアンは恐る恐る問う。
正直なところ、フレデリクにとっては衝撃的な話ばかりで、理解が追いついていないというのが正しかった。過酷な生い立ちから、現在に至るまで、その何もかもが。
ただ一つ確かなのは、イアンが母親を助けなかったからといって、フレデリクが彼を嫌う要因にはなりえないということ。気持ちはどうであれ、フレデリクもまた、目の前で母親を殺されながら、なす術なく逃げた一人だったのだから。
「おれは家族を……魔物に殺された。母さんはおれを逃がそうとして、魔物の餌食になったんだ。それでおれは、何もできずに、逃げ出して……」
唇を強く噛み、震えそうになる声を抑える。魔物と相対したばかりだからか、今日は一段と鮮明に、あの日のことが脳裏に甦ってくる。
「おれも一緒なんだ。おれも母さんを置き去りにして、一人で逃げた……。だからそのせいで、おれはイアンを避けたりはしないし、嫌いになったりもしないよ」
静かに、けれどはっきりと話すフレデリクを、イアンは食い入るように見つめていた。雛鳥が初めて見たものを親だと認識するように、イアンの淀みきった心が、唯一の理解者となりうるフレデリクを向いて、惹かれて止まない。どこまで自分を受け入れてくれるのか、その判断を見極めようと、期待で喉を鳴らす。
「でも、俺とは全然違うだろう」
「……違う?」
「フレデリクの状況は、そうするしか方法がなかった。でも俺は、助けられたかもしれないのに、あえて置いていったんだ。……自分の意思で見捨てた俺と、そうせざるを得なかった君とでは、全く意味が違う」
「……そう……かな。おれはそれでも、変わらないと思う。だって、あの場で逃げるっていう選択肢を取ったのはおれなんだ。弱くたって、戦おうと思えば戦えた。それなのに立ち向かわずに逃げたのは、結局のところ、おれの意思だ」
「っだけど、君みたいに俺は後悔してない。もう一度あの日に戻れたとしても、きっと俺は同じ行動を取る。根本的に、本質的に、俺達は違うだろう」
「……じゃあさ、イアンはどうしてこんなことを聞いてきたの? 少しでも罪悪感があって、悪いと思ってたから、貴方は今聞いてきたんじゃないの? どうでもいいことなら、わざわざこうやっておれに確認してこようとしないだろ」
ヒュッ……、と息を吸う音がした。こぼれ落ちそうなほどに目を瞠り、身体を硬直させるイアンがそこにはいた。
「それは……考えも、しなかった。俺は、母が、憎かったから。見殺しにするのは、当然の報いだと、そう思って……」
額に手を当て、ゆっくりと項垂れる彼は、放心するように呟く。
「……ああ、なるほどな。俺は、赦されたかったのかもしれない。母さんを殺した俺は、化け物だと罵られて、嫌われて、当たり前なんだと思い込もうとしていた。それが贖罪になると、無意識に信じて……」
数分の沈黙があった。
しかし再び面を上げた彼の表情は、憑き物が落ちたかのようにスッキリとして、敬虔深い信徒のように、フレデリクへと魅入る。
「凄いな、君は。俺を掬ってくれるだけでなく、受け入れて、理解しようとしてくれるのか」
「えっ? いやっ、おれはただ、思ったことを言っただけで……」
大層なことはしてない、と顔の前で振った手のひらが、イアンの両手に包み込まれる。
「君にとってなんでもないことが、俺にとっては救いの言葉なんだ」
「……!」
「ありがとう、フレデリク」
雪解けの蕾が花開くように、目尻を下げ、口元を綻ばせるイアンは、一銭の値もつけられないほどに美しかった。
(テオみたいに、格好よく助けられはしなかったけど……。でも、こんな風に笑ってくれるなら、あの時手を伸ばしてよかった)
イアンの晴れ晴れとした表情を見て、フレデリクの心も満たされるようだ。緩んだ唇に、心からの安堵を合わせて、フレデリクもそっと微笑みをお返しした。
魔呼玉を手に入れることなど、武器を管理するヘルマン家からすれば造作もないことなのかもしれないが、意図して生徒を危険な目に合わせた以上、厳重な処罰は免れないだろう。
それが謹慎であれ、退学であれ、騎士を目指す身としては正直落第も同然だ。オーディスにはきちんと反省してもらって、もう二度とこのようなことはしないと、心に誓ってほしかった。
「はあ……」
帰ってきて早々、ベッドの背に身体を預けてへたり込んだフレデリクは、深いため息を吐いた。
(疲れた……)
初めての魔物討伐に、予想外のハプニング。
何もかもがフレデリクの脳内で処理するには重たすぎて、知恵熱でも出そうな勢いだ。
魔物への恐怖心も、結局は忘れられておらず、命を投げ出すようなことをしてしまって。ブラウを待つ間だけはなんとか応戦できたものの、耳にこびりついた魔物の雄叫びを思い出すと、今でも少し手が震える。
(怖がってるようじゃ、立派な騎士にはなれない……)
テオドアにあれ程怒鳴られたのは、稽古を受けている時でさえも、なかったように思う。
彼はもしかすると、自分が助けた人間が、簡単に命を放り出すような人に育って、怒りが湧いたのかもしれない。手塩にかけて面倒を見てやったのに、こうも命を蔑ろにされて、許せなかったのかもしれない。
俺の苦労を返せよ――と、言われてもないのに、想像の中のテオドアが言っている気がした。あれだけ教えてやったのに、剣を握ることもできないなんて。ガッカリされて、見放されて当然だ。
(嫌われたくない。呆れられたくない……。謝ったら、テオは許してくれる……?)
身体を丸めて、自分自身を抱きしめる。そうでもしないと怖くて怖くて、仕方がなかった。
「…………?」
その時、ふとベッドのスプリングが軋んだ音を立てて、シーツが沈む。フレデリクの隣に、誰かが腰を下ろしたのだ。
「イ、イアン殿下……」
横顔しか見えない彼の表情は、相変わらず何を考えているのか汲み取れなかった。ただ何か言いたいことでもあるのか、頻りに眉根を寄せ、膝の上で指を何度も組み替えている。
(どうしたんだろう……)
フレデリクも心なしか緊張し始めて、姿勢をそっと正す。いつもと変わらない無言の空間なのに、居心地が悪いどころか、一生懸命言葉を探しているイアンを見ていると、なんとなくソワソワとしてしまう。
そんな状態が続いたまま、数分が経過した頃。
「俺は……」
ようやく決心がついたイアンが、吐露するように話し始めた。
「あんな風に、誰かに守ってもらえたのは……初めてだった」
「は、初めて……?」
「いや、正確にはいたか。俺のうわべだけの身分と、顔に惹かれて、近づいてくる卑しい女どもが。子供の頃の俺は、それにも気づかず、まんまと騙されて……」
言いながら嫌な記憶を思い出したのか、イアンはグッと拳を握りしめる。
「だから、勘違いしていた。君もそいつらと同じ、何か思惑があって、俺に近づいてくる一人にしか過ぎないのだと。……俺は信じるのが怖くて、そう、思い込むようにしていたんだ」
一言一言、自分の気持ちを確かめるように彼は語る。
「でも、君が必死に助けようと走ってくる姿を見て、目が覚めた。あれは、偽善心からできる行動じゃない。君は他の奴らとは違うのだと、あの時やっと俺は理解した」
そうしてイアンは、フレデリクの方へ顔を向けると、目を伏せ、頭を下げた。
「これまで、たくさん酷いことを君に言ったと思う。……悪かった。もう遅いかもしれないが、謝罪をさせてくれ」
「いっ……いやっ、ちょ、ちょっと待って……!」
しかしフレデリクは、ドッと冷や汗を滲ませ、首をふるふると振っていた。頭をあげさせようと、イアンの肩に手を置いて、力を込める。
「お、おれは、貴方に頭を下げてもらうほど、大したことはしてない……! 無闇に突っ込んで、馬鹿な真似をしただけなんだ! それもただの自己犠牲で、イアン殿下を庇おうとして――」
「俺に死ぬなと、言ってくれたのにか?」
「え……?」
顔を上げたイアンの瞳に、フレデリクの凡庸な顔が間近に映る。赤みを帯びた金色が、飲み込むように大きく開いて、一瞬足りとも逸らすことを許さない。
「嬉しかった。俺の名前を呼んで、俺を心配して、俺を命懸けで救おうとしてくれたことが。初めて、生きていて良かったとさえ思えたんだ。……例えそれが、褒められた行動でなくとも、あの時の俺は、心から君に掬われた。だからどうか、否定しないでくれ。後悔など、君にだけは絶対にしないでほしい」
「あ……」
フレデリクはそれ以上、何も言うことはできなかった。テオドアに怒られた、あの命を犠牲にする行動が、こうして誰かの救いとなっていたことに、思いがけずほっとしてしまったから。
(正しくはないけど、間違いでもない……)
テオドアに嫌われたらどうしようと不安一色だった気持ちが、少しだけ晴れる。無駄な行いではなくて、意味はあったのだと知って、フレデリクも嬉しかった。
「今さらだが、俺は君と、ちゃんと向き合いたい。……フレデリクに、俺のことを知ってほしい」
イアンの目元が、僅かに緩まる。名前を呼んでもらえるのもそうだが、なんだか気を許されてるみたいだ。
今までの冷たい態度を思うと、一気に距離が縮まった気がして、フレデリクはこそばゆさに心を揺らす。
「イアン殿下が教えてくれるなら、おれはもちろん知りたいよ」
「……じゃあまずは、その敬称を外してくれ」
「えっ、殿下を?」
「ああ。そもそも俺には相応しくないものだから」
「っ、そんな……」
自虐的に笑っていても、彼は誰よりも高貴で、気品高く見えるのに。フレデリクはそれを理解しないイアン自身にもムッとして、割り切れない気持ちを抱く。
「だけど君もよく知ってるだろう。俺が嫌われて、憎まれてるのは」
「……でも、全部噂だよ。本当かどうかも分からない話に、皆面白くなって乗っかってるだけだ」
「真実も混ざってると言ったら?」
「っえ……」
「俺の母親は、王家の血なんて一筋も引いてない。貧しい村の出だ」
あまりにも平然と暴露されたことに、フレデリクは声をあげるのも忘れて、呆然と目を見開く。
「ただ、顔だけは美しかったから。父と偶然出会い、関係を持った母は、俺を産んだ。その後すぐに捨てられることも知らずにな」
「っ!」
「そのおかげで俺は、母から随分と憎まれた。お前がいなければ、あの人は私を捨てなかった。お前さえいなければ、私はあの人とずっと一緒にいられた――そう言いながら、何度も何度も罵声と暴力を浴びせて。……馬鹿だろう。俺がいてもいなくても、結局はただの遊び相手。いつかは絶対に、捨てられる運命だった」
胸が抉られるほど、辛く悲しい話なのに、語るイアンからは悲哀すらも感じさせない。何も映さない瞳にあるのは、長年に渡り染み付いた諦観だけ。
(きっと、諦めるしか……なかったんだ)
フレデリクの心臓が、ナイフを突き立てられたみたいにズキンと痛む。当時のイアンが、この何倍もの苦しみに耐えていたのかと思うと、深海に沈んでいくような重圧感に、押し潰されそうだ。
「でも、イ、イアン……は、今……」
「ああ、俺が王家に名を連ねることになったのは、母が死んだからだ。就寝中に家を燃やされて、業火に焼かれて母は死んでいった。……俺は助ける気もなく、命からがら一人で逃げて、その先にいた父親に拾われた」
「……どういうこと? なんでそこにお父さんが?」
「母が邪魔になったから殺そうとしたんだろう。王族というのは、冷淡で薄情な奴らの集まりだからな。……それよりもフレデリクは、俺が母を見殺しにしたことについて、何か思ったりはしないのか?」
声が一段下がり、イアンは恐る恐る問う。
正直なところ、フレデリクにとっては衝撃的な話ばかりで、理解が追いついていないというのが正しかった。過酷な生い立ちから、現在に至るまで、その何もかもが。
ただ一つ確かなのは、イアンが母親を助けなかったからといって、フレデリクが彼を嫌う要因にはなりえないということ。気持ちはどうであれ、フレデリクもまた、目の前で母親を殺されながら、なす術なく逃げた一人だったのだから。
「おれは家族を……魔物に殺された。母さんはおれを逃がそうとして、魔物の餌食になったんだ。それでおれは、何もできずに、逃げ出して……」
唇を強く噛み、震えそうになる声を抑える。魔物と相対したばかりだからか、今日は一段と鮮明に、あの日のことが脳裏に甦ってくる。
「おれも一緒なんだ。おれも母さんを置き去りにして、一人で逃げた……。だからそのせいで、おれはイアンを避けたりはしないし、嫌いになったりもしないよ」
静かに、けれどはっきりと話すフレデリクを、イアンは食い入るように見つめていた。雛鳥が初めて見たものを親だと認識するように、イアンの淀みきった心が、唯一の理解者となりうるフレデリクを向いて、惹かれて止まない。どこまで自分を受け入れてくれるのか、その判断を見極めようと、期待で喉を鳴らす。
「でも、俺とは全然違うだろう」
「……違う?」
「フレデリクの状況は、そうするしか方法がなかった。でも俺は、助けられたかもしれないのに、あえて置いていったんだ。……自分の意思で見捨てた俺と、そうせざるを得なかった君とでは、全く意味が違う」
「……そう……かな。おれはそれでも、変わらないと思う。だって、あの場で逃げるっていう選択肢を取ったのはおれなんだ。弱くたって、戦おうと思えば戦えた。それなのに立ち向かわずに逃げたのは、結局のところ、おれの意思だ」
「っだけど、君みたいに俺は後悔してない。もう一度あの日に戻れたとしても、きっと俺は同じ行動を取る。根本的に、本質的に、俺達は違うだろう」
「……じゃあさ、イアンはどうしてこんなことを聞いてきたの? 少しでも罪悪感があって、悪いと思ってたから、貴方は今聞いてきたんじゃないの? どうでもいいことなら、わざわざこうやっておれに確認してこようとしないだろ」
ヒュッ……、と息を吸う音がした。こぼれ落ちそうなほどに目を瞠り、身体を硬直させるイアンがそこにはいた。
「それは……考えも、しなかった。俺は、母が、憎かったから。見殺しにするのは、当然の報いだと、そう思って……」
額に手を当て、ゆっくりと項垂れる彼は、放心するように呟く。
「……ああ、なるほどな。俺は、赦されたかったのかもしれない。母さんを殺した俺は、化け物だと罵られて、嫌われて、当たり前なんだと思い込もうとしていた。それが贖罪になると、無意識に信じて……」
数分の沈黙があった。
しかし再び面を上げた彼の表情は、憑き物が落ちたかのようにスッキリとして、敬虔深い信徒のように、フレデリクへと魅入る。
「凄いな、君は。俺を掬ってくれるだけでなく、受け入れて、理解しようとしてくれるのか」
「えっ? いやっ、おれはただ、思ったことを言っただけで……」
大層なことはしてない、と顔の前で振った手のひらが、イアンの両手に包み込まれる。
「君にとってなんでもないことが、俺にとっては救いの言葉なんだ」
「……!」
「ありがとう、フレデリク」
雪解けの蕾が花開くように、目尻を下げ、口元を綻ばせるイアンは、一銭の値もつけられないほどに美しかった。
(テオみたいに、格好よく助けられはしなかったけど……。でも、こんな風に笑ってくれるなら、あの時手を伸ばしてよかった)
イアンの晴れ晴れとした表情を見て、フレデリクの心も満たされるようだ。緩んだ唇に、心からの安堵を合わせて、フレデリクもそっと微笑みをお返しした。
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