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レイモンドの危機①
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騒がしいパーティー会場の片隅で男はひとり酒を飲んでいた。グラスの中で葡萄色の液体が、ゆっくりと揺れている。彼は無言でその揺れを見つめ、やがて口元にグラスを運ぶ。ほんの少し目を閉じ、喉を通る感触を確かめるように飲み込むと、ふう、と小さく息を吐いた。
──あまり美味くないな……。
口には出さないが飲む速さは実に緩やかで、その酒の味がどんなものかがそれだけで想像できる。それを表情に出さぬよう、男……フレン伯爵レイモンドはゆっくりとグラスを傾けた。
「これはこれはフレン伯爵閣下、ご機嫌いかがですか?」
ふいに聞こえた声の方にレイモンドは顔を向ける。
そこには、見知らぬ中年の男が明るい笑みを浮かべていた。酒の入ったグラスを片手にまるでずっと前からの知人のように気軽な雰囲気で会話を始める。
「それでは失礼します。ベロア侯爵閣下にどうぞよろしくお伝え下さい」
二言、三言交わすと男は満足したのかその場を離れていった。
その後、一息つく間もなくひっきりなしに挨拶をしてくる者への対応に追われる。
──疲れた……。今すぐ帰ってシスティーナの顔が見たい……。
レイモンドが参加しているパーティーは貴族家主催のものではなく、ベロア家と取引のある平民の富豪主催のものである。今後、共同事業で世話になるとのことでベロア侯爵からレイモンドに出席するよう促され……いや、強制されたのだ。
ベロア侯爵は「いい社会勉強になるだろう」と言っていたが、参加して初めてその意味が分かった。平民主催のパーティーに参加したことのないレイモンドは夜会を縮小したようなものと考えていたが、それとは全く別物であった。
まず、料理と酒の質が悪い。貴族家の夜会と同じような物が出ると疑わなかったのだが、それとは比べ物にならないほど味が落ちる。普段自分達がどれだけ良い物を口にしているかが嫌でも分かった。
それにマナーが貴族のそれとは全く違う。貴族社会では身分が下の者が上の者に許可なく話しかけてはいけない決まりがあるが、平民の社会では通用しないようだ。
平民が貴族相手に軽々しく声をかけるのは無礼ではあるが、これに限っては貴族の権力を振りかざしてはならないとベロア侯爵からきつく言いつけられている。一昔前では平民は貴族の奴隷のような考えが横行していたが、今や取引相手の平民相手に権力を振りかざしては事業がままならなくなり落ちぶれる貴族家も少なくない。
尊重してこない相手を仕事相手に選ぶことは無い。こちらを愚弄されない限りはあちらのやり方を受け入れることが礼儀だと説明されたので、レイモンドは愚直なまでにそれにならっている。
とはいえども、あまりにも作法や考えが違い過ぎて疲れることは確かだ。
いつもの貴族家主催の煌びやかでマナーにうるさいパーティーが懐かしい。
──少し悪酔いしたな……。しばらく何処かで休ませてもらうか。
質の悪い酒と、慣れない環境のせいか酒酔いが酷い。
帰る前に少し休まないと馬車に乗った途端に吐いてしまいそうだ。
主催者にどこか休む場所は無いかと尋ねると、客室に案内してくれた。
ありがたく使わせてもらおうと部屋の中にあるソファーに横になる。
しばらくウトウトしていると、いきなり扉がノックもなしに開け放たれた。
「ん…………? 誰だ…………」
もしや主催者が様子を見に来たのか。それにしてもノックくらいしたらいいのに……と億劫そうに体を起こすと、そこには有り得ない人物が立っていた。
「は…………? どうして、貴女がここに……」
驚愕した顔のレイモンドに向かってその人物はにっこり笑い、頬を染めて胸の前で手を組んだ。
「御機嫌よう、レイモンド様。やっとお会いできましたね……」
うっとりとした声で話す女性……ミスティ子爵夫人エルザの姿を見てレイモンドは一気に血の気が引くのだった……。
──あまり美味くないな……。
口には出さないが飲む速さは実に緩やかで、その酒の味がどんなものかがそれだけで想像できる。それを表情に出さぬよう、男……フレン伯爵レイモンドはゆっくりとグラスを傾けた。
「これはこれはフレン伯爵閣下、ご機嫌いかがですか?」
ふいに聞こえた声の方にレイモンドは顔を向ける。
そこには、見知らぬ中年の男が明るい笑みを浮かべていた。酒の入ったグラスを片手にまるでずっと前からの知人のように気軽な雰囲気で会話を始める。
「それでは失礼します。ベロア侯爵閣下にどうぞよろしくお伝え下さい」
二言、三言交わすと男は満足したのかその場を離れていった。
その後、一息つく間もなくひっきりなしに挨拶をしてくる者への対応に追われる。
──疲れた……。今すぐ帰ってシスティーナの顔が見たい……。
レイモンドが参加しているパーティーは貴族家主催のものではなく、ベロア家と取引のある平民の富豪主催のものである。今後、共同事業で世話になるとのことでベロア侯爵からレイモンドに出席するよう促され……いや、強制されたのだ。
ベロア侯爵は「いい社会勉強になるだろう」と言っていたが、参加して初めてその意味が分かった。平民主催のパーティーに参加したことのないレイモンドは夜会を縮小したようなものと考えていたが、それとは全く別物であった。
まず、料理と酒の質が悪い。貴族家の夜会と同じような物が出ると疑わなかったのだが、それとは比べ物にならないほど味が落ちる。普段自分達がどれだけ良い物を口にしているかが嫌でも分かった。
それにマナーが貴族のそれとは全く違う。貴族社会では身分が下の者が上の者に許可なく話しかけてはいけない決まりがあるが、平民の社会では通用しないようだ。
平民が貴族相手に軽々しく声をかけるのは無礼ではあるが、これに限っては貴族の権力を振りかざしてはならないとベロア侯爵からきつく言いつけられている。一昔前では平民は貴族の奴隷のような考えが横行していたが、今や取引相手の平民相手に権力を振りかざしては事業がままならなくなり落ちぶれる貴族家も少なくない。
尊重してこない相手を仕事相手に選ぶことは無い。こちらを愚弄されない限りはあちらのやり方を受け入れることが礼儀だと説明されたので、レイモンドは愚直なまでにそれにならっている。
とはいえども、あまりにも作法や考えが違い過ぎて疲れることは確かだ。
いつもの貴族家主催の煌びやかでマナーにうるさいパーティーが懐かしい。
──少し悪酔いしたな……。しばらく何処かで休ませてもらうか。
質の悪い酒と、慣れない環境のせいか酒酔いが酷い。
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「は…………? どうして、貴女がここに……」
驚愕した顔のレイモンドに向かってその人物はにっこり笑い、頬を染めて胸の前で手を組んだ。
「御機嫌よう、レイモンド様。やっとお会いできましたね……」
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