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レイモンドの危機②
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「ミスティ子爵夫人……何故、ここに……」
思考が一瞬、凍りついた。口元がかすかに開いたまま、レイモンドはその場に立ち尽くす。鼓動の音だけが耳に響き、周囲の音がすべて消えたかのようだった。
彼の表情は恐怖で歪み、体はまるで凍り付いたように動かない。
あの晩餐会の日、まるで人形のように瞬きすらせずじっとこちらを見つめ続けていた不気味な女が目の前にいる。
もう二度と会いたくないと思うほどに気味の悪い女が、どうして今目の前にいるのかと困惑して声が上手く出てこない。
「うふふ……そんなことはどうでもいいのです。やっと、誰からも邪魔されない場所で二人きりになれたのですから……」
静かな声だった。だが、それがかえって不気味に響く。
夫人の頬はほんのりと紅く染まり、瞳は潤んでいる。嬉しそうに微笑んでいるのに、どこか正気ではない。まるで、夢でも見ているかのような表情だった。
それを見たレイモンドの背筋に冷たい汗がつっと流れる。理屈ではない、本能が告げていた。いや、以前会った時からそうは思っていたが、改めて今確信した。
この女はおかしい、と。
「…………私に何の用です」
喉がひりついてそれだけ言うのが精一杯だった。
男の自分が非力な女性相手にここまで怯える必要はないのだが……怖いと思う感情が拭えない。
足が震えてソファーから立ち上がることが出来ない。それでも彼は逃げ道を探して背後をちらりと見た。
視線を戻すと、なんと相手はゆっくりとこちらに近づいてくるではないか。
「まあ、そんなつれないことをおっしゃらないで……。ようやく二人きりになれたのに、嬉しくありませんの?」
冗談ではなく、本気でそう思っているのか夫人は不思議そうな顔で小首を傾げた。
その反応にゾッと背筋が寒くなる。
──駄目だ、まともに話が通じそうにない……。
彼女が何を目的として自分の前に現れたのか、想像するだけで鳥肌が立つ。
このまま力づくで彼女を押しのけて外へ出ることも可能だが、騒ぎを聞きつけて人が集まってきたら妻以外の女性と個室で二人きりだったことが周囲に知られてしまう。やましいことはしていなくとも、貴族はそういった醜聞が命取りになる。何よりシスティーナに誤解されてしまったら……と考えるだけで恐ろしい。
「……子爵は一緒ではないのですか……?」
極力相手を刺激しないよう、努めて冷静に話をした。
隙をついてどうにか逃げ出すために目線はドアを捉えておく。
「ええ、今日は私一人です。あの人がいると貴方とゆっくり話もできませんから……。ねえ、レイモンド様、私はもうすぐ夫と離婚するの。そうしたら私を貴方の妻に迎えてくれませんか?」
「は…………?」
夫人がいったい何を言っているのか分からない。
言葉は確かに耳に届いているのに、意味がまるで頭に入ってこない。
「何を言っているんですか? 私には妻がいます。それ以前に貴女と私は個人的に話したこともない間柄だ。なのに、何故……そのような話になるのです?」
「そんなの……私が貴方をお慕い申し上げているからに決まっているではありませんか? 初めてお会いした時からずっと貴方のことを思い続けておりました……」
夫人の絡みつくような視線にレイモンドは肌をぞくりと肌を粟立たせた。
じわじわと言いようのない恐怖が胸の底から這いあがってくる。
「貴女と私が顔を合わせる際は必ず子爵が隣にいたはずだ……。ご夫君がいながら他の男に懸想するなど、どうかしている。そのような不誠実なことは好きではない」
刺激しないようにしていたはずなのに、嫌悪感と恐怖で頭が混乱し、うっかり心の声が漏れてしまった。逆上してくるかと怯えた目で夫人を見たレイモンドだが、彼女は何故かうっとりとしていた。
「まあ……誠実なのですね。そんなところも素敵ですわ……。私が貴方の妻になっても、そんなふうに誠実に愛してくれるのかしら……?」
駄目だ、何を言っても自分の都合がいいように解釈されてしまう。
打開策が全く見つからずレイモンドは途方に暮れた。
「あの小娘より、私の方が貴方に似合っております。今の妻なんて、また捨ててしまえばいいではありませんか? 今までのように……」
夫人がそう言った途端、レイモンドの瞳が鋭く細まり空気が一瞬で張り詰めた。
「──ふざけるな……」
「え……?」
低く押し殺した声が、かえって怒りの深さを物語っている。彼の拳はゆっくりと握り締められ、関節が白く浮き上がった。
「捨てたんじゃない……捨てられたんだっ!! 君達がそう仕組んだからじゃないか!!」
怒鳴り声が響いた瞬間、夫人は「ひっ!?」と小さな悲鳴をあげて後ずさる。
レイモンドの言葉に込められた怒気が場の空気を一変させた。
彼の視線がまっすぐに夫人を射抜き、その険しさに彼女は恐怖で身を震わせた……。
思考が一瞬、凍りついた。口元がかすかに開いたまま、レイモンドはその場に立ち尽くす。鼓動の音だけが耳に響き、周囲の音がすべて消えたかのようだった。
彼の表情は恐怖で歪み、体はまるで凍り付いたように動かない。
あの晩餐会の日、まるで人形のように瞬きすらせずじっとこちらを見つめ続けていた不気味な女が目の前にいる。
もう二度と会いたくないと思うほどに気味の悪い女が、どうして今目の前にいるのかと困惑して声が上手く出てこない。
「うふふ……そんなことはどうでもいいのです。やっと、誰からも邪魔されない場所で二人きりになれたのですから……」
静かな声だった。だが、それがかえって不気味に響く。
夫人の頬はほんのりと紅く染まり、瞳は潤んでいる。嬉しそうに微笑んでいるのに、どこか正気ではない。まるで、夢でも見ているかのような表情だった。
それを見たレイモンドの背筋に冷たい汗がつっと流れる。理屈ではない、本能が告げていた。いや、以前会った時からそうは思っていたが、改めて今確信した。
この女はおかしい、と。
「…………私に何の用です」
喉がひりついてそれだけ言うのが精一杯だった。
男の自分が非力な女性相手にここまで怯える必要はないのだが……怖いと思う感情が拭えない。
足が震えてソファーから立ち上がることが出来ない。それでも彼は逃げ道を探して背後をちらりと見た。
視線を戻すと、なんと相手はゆっくりとこちらに近づいてくるではないか。
「まあ、そんなつれないことをおっしゃらないで……。ようやく二人きりになれたのに、嬉しくありませんの?」
冗談ではなく、本気でそう思っているのか夫人は不思議そうな顔で小首を傾げた。
その反応にゾッと背筋が寒くなる。
──駄目だ、まともに話が通じそうにない……。
彼女が何を目的として自分の前に現れたのか、想像するだけで鳥肌が立つ。
このまま力づくで彼女を押しのけて外へ出ることも可能だが、騒ぎを聞きつけて人が集まってきたら妻以外の女性と個室で二人きりだったことが周囲に知られてしまう。やましいことはしていなくとも、貴族はそういった醜聞が命取りになる。何よりシスティーナに誤解されてしまったら……と考えるだけで恐ろしい。
「……子爵は一緒ではないのですか……?」
極力相手を刺激しないよう、努めて冷静に話をした。
隙をついてどうにか逃げ出すために目線はドアを捉えておく。
「ええ、今日は私一人です。あの人がいると貴方とゆっくり話もできませんから……。ねえ、レイモンド様、私はもうすぐ夫と離婚するの。そうしたら私を貴方の妻に迎えてくれませんか?」
「は…………?」
夫人がいったい何を言っているのか分からない。
言葉は確かに耳に届いているのに、意味がまるで頭に入ってこない。
「何を言っているんですか? 私には妻がいます。それ以前に貴女と私は個人的に話したこともない間柄だ。なのに、何故……そのような話になるのです?」
「そんなの……私が貴方をお慕い申し上げているからに決まっているではありませんか? 初めてお会いした時からずっと貴方のことを思い続けておりました……」
夫人の絡みつくような視線にレイモンドは肌をぞくりと肌を粟立たせた。
じわじわと言いようのない恐怖が胸の底から這いあがってくる。
「貴女と私が顔を合わせる際は必ず子爵が隣にいたはずだ……。ご夫君がいながら他の男に懸想するなど、どうかしている。そのような不誠実なことは好きではない」
刺激しないようにしていたはずなのに、嫌悪感と恐怖で頭が混乱し、うっかり心の声が漏れてしまった。逆上してくるかと怯えた目で夫人を見たレイモンドだが、彼女は何故かうっとりとしていた。
「まあ……誠実なのですね。そんなところも素敵ですわ……。私が貴方の妻になっても、そんなふうに誠実に愛してくれるのかしら……?」
駄目だ、何を言っても自分の都合がいいように解釈されてしまう。
打開策が全く見つからずレイモンドは途方に暮れた。
「あの小娘より、私の方が貴方に似合っております。今の妻なんて、また捨ててしまえばいいではありませんか? 今までのように……」
夫人がそう言った途端、レイモンドの瞳が鋭く細まり空気が一瞬で張り詰めた。
「──ふざけるな……」
「え……?」
低く押し殺した声が、かえって怒りの深さを物語っている。彼の拳はゆっくりと握り締められ、関節が白く浮き上がった。
「捨てたんじゃない……捨てられたんだっ!! 君達がそう仕組んだからじゃないか!!」
怒鳴り声が響いた瞬間、夫人は「ひっ!?」と小さな悲鳴をあげて後ずさる。
レイモンドの言葉に込められた怒気が場の空気を一変させた。
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