どうして許されると思ったの?

わらびもち

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戸惑う感情

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 システィーナは元侍女長の話を静かに聞いていた。
 話を遮ることなく、声を発することなくもなく、ただじっと耳を傾ける。
 表情を消した顔からは彼女の心の内が読めない。怒っているのか、呆れているのかも……

「……へえ、ミスティ子爵夫人はをしていたのね。なるほど、だから旦那様の前の奥様達は逃げるように離婚を申し出たと……。確かにそんなことは誰にも知られたくないでしょうね」

 話が終わるとシスティーナはカップを手に取り、冷めた紅茶に口をつけた。
 残った分を全て飲み干すとカップをソーサーに戻し、ゆるやかに微笑む。

「それは貴女も知らなかったの?」

 一拍置いて、システィーナは元侍女へ視線をまっすぐに向ける。
 射貫くような鋭い視線に一瞬体が硬直したが、すぐに我に返り頷いた。

「はい……。私が知ったのはついこの間のこと。まさかエルザ様がそのようなことをしていたなんて、まったく知りませんでした……」

「貴女は夫人の手の者なのに?」

「いえ……そこまで密接な関係ではございません。私はただ、伯爵様の奥方に幼馴染のお嬢様方を近づけるように、との指示をお金を貰って遂行していただけなので……」

「あら、そうなの。……よくそんな馬鹿みたいな指示を受けようという気になったわね?」

「も、申し訳ございません……」

 いくらお金が貰えるからといって、そんな怪しさしかない案件を引き受けるなんて愚かすぎる。きっと何にも考えていないのだろうな、と呆れた顔で元侍女長を見た。

「それで? それをわたくしに伝えてどうしたいの?」

「はい、エルザ様は近々貴女様にも同じことをしようと企んでおります。だから気を付けていただきたいと思い、こうして参りました」

「まあ……わたくしに? 随分と大胆なことをするのね……」

 そろそろ仕掛けてくるとは思っていたので、さほど驚くこともない。
 こんなことを言うとあれだが、は万全なので別に元侍女長から教えてもらわずとも問題はなかった。

 それにおそらく元侍女長はシスティーナに気を付けてほしくて情報を伝えたのではないのだろう。多分、彼女は……

「それでは十分に気を付けるとしましょう。それと、こうして事前に知らせてくれた礼に、夫人がそれを実行したとしても貴女に累が及ばないようにしてあげる。夫人がどんな罰を受けようとも、貴女はそのままミスティ子爵に侍女として勤められるように手を回すと約束するわ」

「本当でございますか!!」

 喜ぶ様にシスティーナは内心「あ、やっぱり」と納得した。

 元侍女長は主人であるはずの子爵夫人に忠誠心など欠片も抱いていないようだ。
 初めのうちは夫人を止めてほしいのかと思っていたのだが、話を聞いているうちに心配するような言葉がひとつも出てこないので「おや?」と不思議に思った。それに言葉の端々に自分が巻き添えになることへの恐怖のようなものを感じ、もしや彼女は自分だけが助かりたいのではないかと考えた。

 試しにそれとなく元侍女長のみを助けるようなことを言ってみれば、案の定食いついた。主人がどうなろうとも自分だけが助かるならそれでいいのだろう。

 彼女は自分が連座で罰せられることを恐れている。
 連座になるかどうかは別として、万が一自分も罰せられたらと思うと怖かったのだろう。だから、わざわざこうして足を運び、主人が悪事を働こうとしていることを告発して自分は関係ないと強調した。

 清々しいほど自分のことだけを考えている。
 あまり傍に置きたくない性根の持ち主だ。この邸から出したのは正解だった。
 
「もし、夫人がそれを実行した場合、本人にその罪を償ってもらうけど、それでもいい? 多分ダスター元男爵令嬢達より重い罰を受けると思うのだけど」

「はい……致し方ないかと」

 神妙な面持ちだが、罪悪感は欠片も無さそうだ。
 本当に夫人のことはどうでもいいみたいだ。

 それをどうかとは思わない。忠誠心が無いのは本人の性格もあるが、それを抱かせる力量が夫人には無かったということ。そして、そんな忠誠心のない相手を選んでしまったのも夫人なのだから。

「事前に夫人を止められたらいいのだけど……それは難しいわ」

「はい、それも致し方ないかと」

 いいんだ、と思わず言葉にしてしまうところだった。
 未然に防ぐことが出来たら夫人も彼女も何も罰を受けなくていいのに……。

 自分だけは安全圏にいられるという保障を得た元侍女長は晴れやかな顔で帰っていった。扉が静かに閉じられ、部屋には再び静寂が訪れる。システィーナは椅子の背に身を預けたまま細い指を組み、視線を宙に彷徨わせた。窓辺のレース越しに差し込む陽の光が、彼女の頬をやわらかく照らしている。

 ふと、胸の奥から小さな波のように込み上げるものがあった。

「……はあ」

 その吐息は音にもならない憂いの言葉。ほんのわずかに揺れた肩と共に、長く、静かに空気の中へ溶けていく。それは疲労でも苛立ちでもない、自分でもよく分からない感情。

 「どうして──」システィーナは呟いた。「どうしてわたくしは……旦那様に好意を抱く女性を悉く遠ざけたいと思ってしまうのかしら……」

 システィーナは自分を下劣な嫉妬に身を任せるような女ではないと信じていた。
 嫉妬は品位を損なうみっともない行いだと教えられて育ってきた。けれど、荒ぶる感情が自分でも制御できない。

 元侍女長からミスティ子爵夫人の企みを聞いた時、これで夫人を排除する理由が出来たと喜んだ。それを未然に防ぐことは簡単なのに、敢えて罠にかかり排除する理由を得たいと思った。
 
 夫に恋情を抱く女性が近くにいると思うと心がざわつく。言葉にならない不安が胸元を締めつけ、やがて怒りにも似た熱となって喉元までこみ上げる。
 
「旦那様はわたくしを愛してくださるし……余所見はしないとおっしゃってくれた。だけど……それでも……」
 
 システィーナはそっと視線を落とした。
 愛を求めることは罪ではない。それでも、誰かを排除しようとする心の動きは醜く淑女としてあるまじき行い。
 
 夫の幼馴染を排除した時は“横領”という別の罪があるから排除しても今のような葛藤はなかった。他家の財産を狙うような輩は排除して当然だ。

 だが、夫人に関しては“夫に近づいてほしくない”という感情のみで排除しようと考えている。システィーナは自身のおよそ理性的でない感情に戸惑いを隠せなかった。
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