どうして許されると思ったの?

わらびもち

文字の大きさ
121 / 136

心配してくれたのね……

しおりを挟む
 書斎の暖炉では薪が静かに爆ぜていたが、フレン伯爵レイモンドの心は嵐のように騒いでいた。
 何度目かのグラスに注がれたワインも、ほとんど手つかずのまま机に置かれている。

 時刻はすでに深夜に差しかかっていた。
 夕刻に出かけた妻は未だ帰ってこない。
 彼は立ち上がり、深紅のベルベットのカーテンをかき分けて外を覗いた。
 夜霧が立ちこめ、前庭の灯がぼんやりと滲んでいる。

「――妻は、まだ帰ってこないのか?」

 その声は低く、押し殺されていた。だが、確かに苛立ちと不安が滲んでいる。
 レイモンドの瞳は窓の向こうを見据えたまま、動かなかった。

 主人の問いかけに背後に控えていた執事が、一歩前に出る。
 白手袋に包まれた手を軽く胸の前に重ね、姿勢を正した。

「はい、旦那様」

 執事は一瞬、言葉を選ぶように目を伏せた。

「まだのようでございます。よろしければ先方に使いを出しますか?」

「……ああ、そうだな。そうしてくれ」

 レイモンドは窓の外を見つめたまま、静かに頷いた。

 そのとき――遠くから、馬車の車輪が石畳を軋ませる音が聞こえてきた。

「……!」

 レイモンドは窓辺から離れ、一気に階段を下った。
 大理石の広間に足音が響く。

 玄関の扉が軋んで開いたその瞬間、彼の目に飛び込んできたのは夜の風に髪を揺らす妻、システィーナの姿だった。

「ごめんなさい。、戻るのが遅くなりました」

 その言葉を聞き終えるより早く、レイモンドはそっと彼女の手を取った。

「無事でいてくれてよかった……。何ごともなかったかい……?」

 レイモンドはシスティーナの手をそっと握ったまま、広間の灯の下へ彼女を導いた。
 執事が静かに距離を取り、扉を音もなく閉める。

「ええ、無事です。心配なさらないで」

「そうか、それはよかった……。体調は大丈夫かい?」

「ええ、何ともありません。とてもお茶会でしたわ……」

 含みを帯びた言葉を紡ぎながら妖艶に微笑む妻に、レイモンドは思わず息を呑み見惚れた。

「茶会か……。夜に茶会を開催するなど本当におかしな話だよ」

「ふふ、その通りですね。会の時間も場所も、作法も、提供されたお茶さえも……わたくしの知るものとは全く違うものでしたわ」

 システィーナがくすくすと笑う中、レイモンドは表情を引き締め、神妙な面持ちで言葉を紡いだ。
 
「システィーナ……私は、君に何かあったのではと、最悪の想像ばかりが頭をよぎった。……一度も、こんなにも遅くなったことはなかったから」

「旦那様…………」

 システィーナは一歩彼に近づき、その手にそっと自分の手を重ねた。
 彼女の声には、深い申し訳なさと、それ以上の愛情があった。

「心配させてごめんなさい。せめて使いの者を出せばよかったですね。でも……」

「でも?」とレオニールが問う。

「誰かが心から心配してくれているなんて、これまで全く考えたことがありませんでした。だって、わたくしはベロア家の娘。心配とは無縁の存在ですもの。でも……旦那様にこうして心配されて、不謹慎だけど嬉しいと思ってしまいました……」

 それを聞いたレイモンドの眉がわずかに和らいだ。
 怒りにも似た焦燥が、胸の奥で静かにほどけていく。

「心配するのは当然だ。君が何者であっても、私の大切な妻であることに変わりはない。……君に何かあれば、私は正気でいられる自信がないよ、システィーナ……」

 逞しい腕に優しく抱き寄せられたシスティーナは、静かに彼の胸へ顔を寄せた。
 年相応の乙女のような顔で微笑む彼女は、とても十数人を連行して牢屋に入れた猛者には見えない。

「少し休もう。さあ、こちらへ。何か温かいものでも用意しようか?」

「ええ、お茶会では何もいただいていないから喉が渇いたわ」

「……茶会で飲み物が用意されていないなんてことあるのかい?」

「いいえ? ご用意はしていただきましたよ。ただ、飲めるものではなかっただけです」

「ええ……」と無言で訴えるようなレイモンドの表情に、システィーナは思わず可笑しそうに笑った。



 二人が連れ立って寝室へ戻る頃には、すでに部屋には暖炉の火が灯され、ほどよい温もりが満ちていた。

 厚手の絨毯の上をシスティーナは静かに歩く。
 レイモンドは執事に手配させた銀の茶器をテーブルに見つけ、彼女を椅子へと誘った。

「座って、冷えただろう。ミントとカモミールのお茶を用意させた。体も温まるだろう」

「まあ! 嬉しいです」

 レイモンド自ら銀のポットを手に取り、慎重に湯を注ぐ。
 小さな茶葉の香りがふわりと広がり、部屋の空気に優しさを加える。

 彼はそっとカップを妻の前に差し出し、もう一つを自分の前に置いた。

 レイモンドはカップを両手で包み込み、香りをゆっくり吸い込む。

「……いい香り。ミントの匂いはわたくし大好きですの。だから、先程もうっかり口にしてしまいそうでしたわ……」

「ええ……茶会でいったい何があった……?」

 怪訝な顔で問いかけるレイモンドに、システィーナは茶会であった出来事を話した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

皆さん勘違いなさっているようですが、この家の当主はわたしです。

和泉 凪紗
恋愛
侯爵家の後継者であるリアーネは父親に呼びされる。 「次期当主はエリザベスにしようと思う」 父親は腹違いの姉であるエリザベスを次期当主に指名してきた。理由はリアーネの婚約者であるリンハルトがエリザベスと結婚するから。 リンハルトは侯爵家に婿に入ることになっていた。 「エリザベスとリンハルト殿が一緒になりたいそうだ。エリザベスはちょうど適齢期だし、二人が思い合っているなら結婚させたい。急に婚約者がいなくなってリアーネも不安だろうが、適齢期までまだ時間はある。お前にふさわしい結婚相手を見つけるから安心しなさい。エリザベスの結婚が決まったのだ。こんなにめでたいことはないだろう?」 破談になってめでたいことなんてないと思いますけど?  婚約破棄になるのは構いませんが、この家を渡すつもりはありません。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

【完結】恋人との子を我が家の跡取りにする? 冗談も大概にして下さいませ

水月 潮
恋愛
侯爵家令嬢アイリーン・エヴァンスは遠縁の伯爵家令息のシリル・マイソンと婚約している。 ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。 なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。 アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。 ※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います ☆HOTランキング20位(2021.6.21) 感謝です*.* HOTランキング5位(2021.6.22)

幼馴染の婚約者を馬鹿にした勘違い女の末路

今川幸乃
恋愛
ローラ・ケレットは幼馴染のクレアとパーティーに参加していた。 すると突然、厄介令嬢として名高いジュリーに絡まれ、ひたすら金持ち自慢をされる。 ローラは黙って堪えていたが、純粋なクレアはついぽろっとジュリーのドレスにケチをつけてしまう。 それを聞いたローラは顔を真っ赤にし、今度はクレアの婚約者を馬鹿にし始める。 そしてジュリー自身は貴公子と名高いアイザックという男と結ばれていると自慢を始めるが、騒ぎを聞きつけたアイザック本人が現れ…… ※短い……はず

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

処理中です...