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牢屋の中で
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「……冗談じゃないわよ。なんで私がこんな目に……!!」
冷たい石床の上にしゃがみ込み、ドレスの裾をぐいっと引き寄せながら、エルザは誰にともなくつぶやいた。
ドレスからのぞく肌がひんやりと寒さを感じる。こんなことになると分かっていたら、こんな露出の多いものなど着なかったのに……。
彼女がいる場所はフレン伯爵家の地下にある牢屋。
天井は低く、身を起こせば頭がすぐに冷たい石にぶつかる。壁は粗く積まれた石でできており、隙間から染み出た地下水が冷たい筋となって床を伝っている。床そのものも土と石が混じった不均一なもので、苔と藁が腐った臭いを漂わせていた。
眼前に見える鉄格子は厚く、古びて錆びついていた。格子の外には細い廊下が伸びており、松明の光が遠くにぼんやりと揺れている。その明かりがかろうじて牢の中にも差し込むが、陰影が濃く、部屋の隅には何があるのかさえ判別できない。ネズミの鳴き声と、時折聞こえる水音に恐怖を感じ、体が小刻みに震える。
「ヒッ……!? なんなのよ、ここ……なんで私がこんな場所に押し込められなければならないの!」
自分の声が冷たい石壁にぶつかり、静寂の中に響き渡る。
自分の声が虚しく返るその一瞬で、ここには自分しかいないのだと悟った。
「なんで私一人……? パメラお従姉様は何処……?」
蝋燭もない薄暗がりの中で、彼女は戸惑いと混乱の渦中にいた。
あのとき、従姉のパメラもまた馬車こそ違えど、間違いなく騎士に連れて行かれたはずだ。
忌々しいあの女が騎士に「牢へ入れなさい」と命じてたのを覚えている。
なら、ここ以外の牢に入れられているのだろうか。それとも、もう既に始末されている……?
そこまで思い至り、エルザは身震いした。胸の奥に忍び寄る恐怖を振り払うように激しく頭を振る。
「どうして、こうなるのよ……。私はただ……好きな人と結ばれたかっただけじゃない……! それの何が悪いっていうのよ…………」
この期に及んでも自分に非があるとは思っていない。
それでもエルザの頭の片隅には傷ついた夫の顔がちらつくのだった。
「あの人のあんな顔、初めて見た…………」
ふとした瞬間、夫の顔が脳裏に浮かぶ。
あの時の、眉間に深く寄せられた皺、傷ついた目の奥に映る失望と裏切りの色。何度も見たはずの顔なのに、まるで知らない人のように思えた。
「でも、仕方ないじゃない……好きになってしまったんだもの……」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。胸の中に僅かによぎった罪悪感を消すように。
エルザの選択はあまりにも愚かだった。熱に浮かされたように突き動かされ、未来の影など顧みることもなく、その場の感情に身を委ねてしまったのだから。
愛だの恋だのいう耳障りの良い言葉で正当化しようとしても裏切りの代償は重く、取り返しのつかないものだった。
「……そうよ、私は悪くない。絶対、悪くなんかない……」
そう繰り返す声は小さく震えていた。
「大丈夫……。きっと、夫が助けに来てくれるはずよ。だってあの人は私に惚れているもの……」
別れの言葉が幻であったかのように、彼女はただ、夫が迎えに来るのを信じていた。
それが現実逃避からくるものなのか、それともこんな状況になっても事態を軽く見ているからなのかは分からない。
彼女が現実と向き合わなければならなくなるのは、まだもう少し先のこと。
その時には好いた相手のことなど思い出す余裕すら、きっと残されていない。
そんな彼女が最後に思い出すのは、うるさくも彼女を想い続けてくれた夫なのだろう。
冷たい石床の上にしゃがみ込み、ドレスの裾をぐいっと引き寄せながら、エルザは誰にともなくつぶやいた。
ドレスからのぞく肌がひんやりと寒さを感じる。こんなことになると分かっていたら、こんな露出の多いものなど着なかったのに……。
彼女がいる場所はフレン伯爵家の地下にある牢屋。
天井は低く、身を起こせば頭がすぐに冷たい石にぶつかる。壁は粗く積まれた石でできており、隙間から染み出た地下水が冷たい筋となって床を伝っている。床そのものも土と石が混じった不均一なもので、苔と藁が腐った臭いを漂わせていた。
眼前に見える鉄格子は厚く、古びて錆びついていた。格子の外には細い廊下が伸びており、松明の光が遠くにぼんやりと揺れている。その明かりがかろうじて牢の中にも差し込むが、陰影が濃く、部屋の隅には何があるのかさえ判別できない。ネズミの鳴き声と、時折聞こえる水音に恐怖を感じ、体が小刻みに震える。
「ヒッ……!? なんなのよ、ここ……なんで私がこんな場所に押し込められなければならないの!」
自分の声が冷たい石壁にぶつかり、静寂の中に響き渡る。
自分の声が虚しく返るその一瞬で、ここには自分しかいないのだと悟った。
「なんで私一人……? パメラお従姉様は何処……?」
蝋燭もない薄暗がりの中で、彼女は戸惑いと混乱の渦中にいた。
あのとき、従姉のパメラもまた馬車こそ違えど、間違いなく騎士に連れて行かれたはずだ。
忌々しいあの女が騎士に「牢へ入れなさい」と命じてたのを覚えている。
なら、ここ以外の牢に入れられているのだろうか。それとも、もう既に始末されている……?
そこまで思い至り、エルザは身震いした。胸の奥に忍び寄る恐怖を振り払うように激しく頭を振る。
「どうして、こうなるのよ……。私はただ……好きな人と結ばれたかっただけじゃない……! それの何が悪いっていうのよ…………」
この期に及んでも自分に非があるとは思っていない。
それでもエルザの頭の片隅には傷ついた夫の顔がちらつくのだった。
「あの人のあんな顔、初めて見た…………」
ふとした瞬間、夫の顔が脳裏に浮かぶ。
あの時の、眉間に深く寄せられた皺、傷ついた目の奥に映る失望と裏切りの色。何度も見たはずの顔なのに、まるで知らない人のように思えた。
「でも、仕方ないじゃない……好きになってしまったんだもの……」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。胸の中に僅かによぎった罪悪感を消すように。
エルザの選択はあまりにも愚かだった。熱に浮かされたように突き動かされ、未来の影など顧みることもなく、その場の感情に身を委ねてしまったのだから。
愛だの恋だのいう耳障りの良い言葉で正当化しようとしても裏切りの代償は重く、取り返しのつかないものだった。
「……そうよ、私は悪くない。絶対、悪くなんかない……」
そう繰り返す声は小さく震えていた。
「大丈夫……。きっと、夫が助けに来てくれるはずよ。だってあの人は私に惚れているもの……」
別れの言葉が幻であったかのように、彼女はただ、夫が迎えに来るのを信じていた。
それが現実逃避からくるものなのか、それともこんな状況になっても事態を軽く見ているからなのかは分からない。
彼女が現実と向き合わなければならなくなるのは、まだもう少し先のこと。
その時には好いた相手のことなど思い出す余裕すら、きっと残されていない。
そんな彼女が最後に思い出すのは、うるさくも彼女を想い続けてくれた夫なのだろう。
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