茶番には付き合っていられません

わらびもち

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閑話 ヘレンのその後②

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 ヘレンはまだ右も左も分からない幼子の内に王妃に引き取られ、そこからは教育も受けずただ甘やかされて生きてきた。それというのも、王妃はヘレンに教育を施そうという考えに全く至らなかったからである。

 第一子のアレクセイは世継ぎなので教育全般は国王の命令を受けた各分野の教師が勝手についた。だからだろうか、王妃は自分の子に教育を受けさせるという考えが頭から抜けていたのだ。

 そのせいでヘレンは淑女教育はおろか一般常識も身についていない。
 教えられたことといえば文字の読み書きだけ。これは一緒に本が読みたいという都合のいい目的で成されたものだ。

 しかし、たとえ親や教師から教育を受けていなくとも周囲と関わっていくうちになんとなく常識を身につけていくものだ。だがヘレンは王妃とアレクセイだけの閉じられた世界で成長してきたせいでそういった常識を身につける機会を失っていた。

 つまり、ヘレンは性教育の知識が全くない。
 なので“娼館”という存在はおろか男女の営みの知識すらない。
 子供がどうやって作られるかというのも、男女が夫婦になれば自ずと出来るという幼子のような考えしかもちあわせていなかった。

 だからこんな状況になっても自分の貞操の危機だと全く理解出来ていない。
 だから警戒心の欠片も無く、自分を売ろうとする男の前で呑気に呆けていられる。
 この時に逃げればよかったと、後で死ぬほど後悔するなど知らずに……。

「……お嬢さん、まさか娼館を知らないとか言うんじゃないだろうね?」

 呆けるヘレンに老婆が問いかける。
 幼子ならまだしもとっくに成人しているであろう年齢の女が娼館を知らないなどということがあるのか。老婆は内心「まさか……」という気持ちで尋ねたが、ヘレンが首を縦に振ったことで脱力した。

「ちょっとアンタ、どこでこんなの捕まえてきたんだい? ここまで無知ってことはどっかのお姫様なんじゃないか? 厄介事は御免だよ」

「いやいや……こんな品の無い姫なんているわけがないだろう? そういう知識に疎い奴なんて珍しくないって! 頼むよマダム……もう金貨3枚でもいいから買ってくれないか? 弟分たちを養っていかなきゃなんないんだよ……頼む!」

「……はあ~……仕方ないね。いいよ、色付けて金貨4枚で買ってやるよ」

「本当か!? ありがとうマダム!」

 老婆が金貨を4枚袋に入れて男の方へと投げた。
 それを受け取った男は嬉しそうな顔でお礼を告げ、そのまま出て行こうと扉に手をかけた。

「え? え? ちょっと待って! 王宮へ連れていってくれるんじゃないの?」

 ヘレンが慌てて男の服を掴んで止めると、彼は不思議そうに「何の話だ?」と首を傾げた。

「……俺は一言もそこへ連れて行くと言った覚えはないんだが?」

「え……だって、私は王宮に帰らなくてはならないのよ?」

「だから? それが俺に何の関係がある?」

「え? じゃあ、どうして私を連れまわしたの?」

「どうしてって……今のやり取りを見ていなかったのか? お前さんをここへ売る為に連れまわしたと分からないか?」

「売る? さっきも言ったけど、私は物じゃなくて人よ。人を売り買いすることは出来ないのよ?」

「いや……現に出来るからこうして金貨を貰えたわけだが? 逆に聞きたいんだが、どうして人を売り買い出来ないなんて勘違いしているんだ?」

 噛み合わない会話に男は怒りを通り越して不気味さを覚えた。
 これでも色々な人間を見てきたが目の前の女ほど話の通じない相手は初めてだ。

「え? だって……アレクにそう聞いたもの。人を売買することは出来ないって……。そう法律で決まっているって……」

「アレク? 誰だそれ、恋人か?」

「……っ!? ち、違うわ……! アレクは……私の兄、よ……」

 長年想いを寄せていた相手が実の兄だという事実が改めてヘレンの脳裏に思い出される。
 こんな状況下でもそれが悲しくて涙を零しそうになった。

「まあ、確かに法ではそう定められているな」

「でしょう? だったら貴方が私を売ることなんて出来るはずないわ! 分かったら早く私を王宮まで送ってちょうだい!」

「いや、今の会話の流れでどうなったら俺がお前さんを王宮まで送ることに繋がるんだ?」

「え……だって、私を売れないならもうここに用はないでしょう?」

「だからってそうはならないだろう? はあ……お前さんと話していると頭が痛くなってくるぜ。お前さん、よく人に『会話にならない』って言われないか?」

「…………っ!!?」

 それはよくヘレンが言われていた台詞だ。
 基本的に人の話を聞こうとしない彼女はよくそうやって他人を怒らせていた。

 彼女に好意的だった王妃とアレクセイとだけは会話が成り立っていた為、ますます彼等に依存した。
 ミシェルから「王宮を出なさい。このままじゃ貴女の為にならない」と何度も忠告を受けていても聞く耳を持たなかったのは、王宮以外で上手くやっていけるとは思えなかったから。

 ヘレンも薄々は気づいていた。自分が王妃やアレクセイ以外の人間と上手くやっていけないということを。だから何を言われようとも、どんなことになろうとも彼等の傍を離れなかった。それが破滅に繋がることだと理解しないまま……。

「王宮だって? アンタそんな大層なところに何の用事があるんだい?」

 王宮と聞いた途端厄介事の気配を感じた老婆が嫌そうな顔で尋ねる。
 それに対しヘレンは顔を上げ、胸を張って答えた。

「私が王妃様の侍女だからよ! 私がいなくなってきっと心配していると思うの……。だから早く帰って安心させたいのよ!」

 王妃の名前を出せばきっと彼等は恐れ慄くはず。そしてきっとそのまま王宮まで送ってくれるはずだと期待したヘレンだが、彼等は意外にも大声で笑い始めた。

「え? え? なんで笑っているの……?」

 王妃の名を出したのに驚くどころか腹を抱えて笑い出した彼等にヘレンは啞然とした。

「ぷっ……くくっ、冗談はおよしよ。あんたみたいな気品も教養もない小娘が王妃の侍女? 笑わせないでおくれ……ふふっ……」

「は、はあ!? 冗談なんかじゃないわ! 私は本当に王妃様の侍女よ! 王宮に行けば分かるわ!」

「嘘つくんじゃないよ。王妃の侍女が貴族しかなれないって知らないのかい? あんたはどう見ても平民だろう? うちには元貴族令嬢も多く在籍しているから分かるんだよ。貴族のお嬢様は所作からして平民とは違う。あんたの所作はどう見ても平民のものだ。平民がどうやって王妃の侍女になんてなれるんだよ?」

 暗に所作が美しくないと言われてヘレンは屈辱で顔を赤く染める。
 所作や礼儀作法がなっていないことは同僚の侍女にも笑われたことがあり、それを恥ずかしいと思った覚えがある。だがその度に王妃やアレクセイが彼女達を叱責し、ヘレンはそのままでいいと慰めてもらえたが……今ここに彼女を慰めてくれるものは存在しない。

「私は……王妃様の侍女よ! 誰が何と言おうとそれが事実だわ! 王妃様は私を誰よりも大切にしてくれているの! 私が帰らなければきっと心配する……だからお願い! 私を王宮に帰してよ……」

 美少女のヘレンがはらはらと涙を流す様は可憐で庇護欲をそそる。 
 彼女がこうして涙を流せば大抵の事はどうにかなった。泣き顔に心を動かされた王妃やアレクセイがいつも何とかしてくれたからだ。

 だが、ここに彼等はいない。そして女の泣き顔など見飽きている男と老婆はヘレンの涙を見ても白けた顔をするだけだった。
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