どこまでも付いていきます下駄の雪

楠乃小玉

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十四話 見て捨て難き露の下折れ

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 宗是と左兵衛が福島越前守の館に到着すると、
 すでにそこには駿河衆の軍勢が溢れていた。

 越前守としても急に意図せず寿桂尼様が現れたものだから
 軍勢を集める暇が無かった。

 朝比奈泰能殿の軍勢は先に来て館を取り囲んでいたが、
 そのまま動かずに居た。宗是は取り急ぎ、
 寿桂尼様を無事にお返しするよう使者を立てて館に向かわせた。

 そこに義元公が馬に乗って到着される。

 「何故、早急に我にこの事態を知らせなんだか」

 義元公は烈火のごとくお怒りを表され、朝比奈秦能を面罵する。

 朝比奈泰能は恐れ入って地面に平伏した。

 そこに後から雪斎様が馬で駆けつけられた。

 秦能殿は微妙に頭をあげ、助けを求めるように雪斎様に目配せした。

 その視線に義元公は気づく。

 「なんぞ」

 義元公は雪斎様をご覧になられた。

 「御屋形様に知らせるのが遅れたのは伝令の不備でございまする。
 泰能はすぐに知らせました。
 また、ただいま福島越前守の館を包囲して動かぬは、
 不測の事態が起らぬよう、拙僧が御屋形様到着までは動くなと
 泰能に命じておいたのです。
 寿桂尼様のお命こそ大事、短慮はなりませぬ」

 そこに父、宗是が進み出た。

 「恐れながら、寿桂尼様をお返しするよう、使者を立てましたが」
 
「かまわぬ、それでよい」

 冷静を取り戻した義元公がのたまった。

 そこに朝比奈配下の伝令が引っ立てられてくる。

 「濡れ衣じゃ、拙者は早急に雪斎様にお知らせした。
 御命じあらば、我が命に代えてもお連れ帰りいたしますると言上した」

 伝令は縄に縛られ、身をよじってもがいている。

 「雪斎様これはいかなる事にございまするか」

 伝令はまっすぐ雪斎の顔を見つめた。
 雪斎様はそしらぬ顔で横を向く。

 「これはっ」

 伝令は声をあらげる。

 その有様をご覧になり義元公が眉をひそめる。

 「だまれ、その方が途中で敵の首を取っていたがゆえに遅参いたしたのであろう。
 嘘を言うな」

 朝比奈泰能殿が叫んだ。

 その声を聞いたとたん伝令は驚愕の表情を浮かべ、
 ゆっくりと泰能殿の方を見た。口は半開きになっている。

 「もう一度言う、そちは伝令の途中で敵方を見つけ、
 手柄を立てようと思い、その者と格闘していたがために
 伝令が遅れたのだ。そうだな」

 目を大きく見開き、口を半開きにしていた伝令は
 そのままの表情でゆっくりと顔を前に向けた。

 そして力なく地表にへたり込んだ。

「その方、たばかって雪斎に罪をかぶせようとしたか、
 下郎、そこになおれ、我自ら手打ちにしてくれる」

 義元公は刀を引き抜き伝令の鼻先にかざした。
 伝令は魂が抜けたように下を向きそのままの表情で何も話さない。

 「答えよ」

 義元公は声を荒げられた。

 「はいはい、その通りでございます。
 すべて拙者が悪いのでございます」

 かすれた小声で伝令は言った。

 「なんぞ、その態度は、武辺にあるまじき醜態。切って捨てる」

 義元公は刀を振り上げた。

 「ふふっ……」

 伝令は侮蔑を含んだ笑いを吹き、
 その後小声で何か言った。

 「何と申した、己、主君をあざける言葉を言うたか、
 言うならはっきり申してみよ」

 義元公が一喝された。

 「苅萱に身にしむ色はなけれども見て捨て難き露の下折れ。」

 伝令が殺されようとする間際につぶやいた言葉、
 それは藤原家隆の歌であった。
 秋の刈萱には身に染みるような趣があるわけではないが、
 露に濡れ、垂れ下がる姿を捨て置くのはあまりにも惜しいことである、
 というような意味合いである。

 自らの歌の教養を披露し、たいした者ではないが、
 このような事で殺すには惜しいではないかという事を暗示したのだ。

 義元公はゆっくりと刀を降ろされる。

 「当意即妙で家隆の歌を出すとは殊勝なり。
 よほど勉強しておらねばそのような即応はできまい。
 その姿勢を忘れず、今後とも勤勉に励め。人は努力すれば必ず報われる。我は今、その事を示そう」

 義元公はそう仰せになり、御自ら伝令の縄を刀でお切りになった。

 「恐れ多き事でございまする」

 伝令はその場に平伏した。
 その場に居た者共はすべからく目に涙を浮かべ、心動かされぬ者はなかった。

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