37 / 76
三十七話 銭に呪われて滅びるであろう
しおりを挟む
戸田康光は織田に竹千代を渡したあと、嫡子戸田尭光と共に田原城に籠城した。
次男戸田宣光は今川方についたため、今川軍と共に田原城を攻めた。
何故天下に名だたる名門、今川家を裏切ったかとの矢文を場内に投げ込むと、
相手側からも矢文が帰ってきた。
「猿投神社を焼き討ちし、座を壊し、伊勢から村正の安い刀剣が大量に三河に流れ込み、
三河の刀匠の暮らしが立ちゆかなくなった。長年培った三河の技能が次々と失われてゆく。
村正には職を奪われ、自害していった三河の刀匠の恨みが染みついている。
銭のために民の暮らしをないがしろにする君主は銭に呪われて滅びるであろう」
そう書面には書いてあったが、今川方の武将たちは何が書いてあるのか
まったく意味が分からず、戸田康光の錯乱による戯れ言として捨て置かれることとなった。
戸田康光、戸田尭光をはじめ、
田原城に籠城した兜首はすべからく討ち取られ首を晒されることとなった。
元実は、三河衆が何故このように必ず負けると分かっている戦を
わざわざやるのか理解できなかった。
しかも次から次へと裏切り者が沸いてくる。
まさに三河が一斉に錯乱したとしか思えなかった。
錯乱は是で終わらなんだ。松平広忠の叔父、
松平信孝が謀反を起こし、織田方に付いたのだ。
一体今この国で何が起っているのだ。
何故このように人心が荒廃しているのだ。
好きの反対は嫌いではない。
無関心だ。義元公はもう三河には出てこられなんだ。
雪斎様を大将とした軍勢が織田討伐軍として差し向けられることとなった。
元実もその軍に参加した。
天文十七年三月十九日、織田と今川、松平は小豆坂で激突した。
雪斎様のご差配はいつも通り冷徹であり、
前衛に松平軍を押し立て、疲れ果てるまで戦わせた。
松平軍が耐え切れず、ついに後退しはじめても放置した。
松平の将兵はすでに今川から見放されたと思ったか、
士気が崩壊して退却しだした。
それを見た織田軍は勢いにのって攻めかかる。
そこへ、今川の精鋭部隊を投入した。
先の戦いでかなり疲労が溜まっている織田軍は
今川軍の執拗な攻勢によってシャリバテに陥った。
こうなってはいかな勇者たりとも戦えるものではない。
一気に陣形が崩れた。
織田の軍勢は調子に乗っている時は強いが、
劣勢になれば弱かった。
武器を放り出して逃亡する織田軍。
逐う今川軍。
しかし、逃亡する織田軍を逐った今川方は勢いに乗りすぎて
陣形が縦に伸びた。
そこに松平信孝の伏兵が側面から突っ込んできた。
「しまった」
己の直前に松平の決死隊が突っ込んできたため、
元実は思わず声をあげた。
今川の軍は二つに分断されてしまった。
ここで織田軍が反転攻勢すれば孤立した今川の前衛は殲滅されてしまう。
しかし、武器を放り投げて逃げていた織田軍はそのまま逃亡してしまった。
残された松平信孝の軍はかえって今川軍から包囲される形となり、
士気を盛り返して引き返してきた松平広忠の軍にも
包囲され、四方八方から矢を射かけられた。
松平信孝は家臣に助けられ、何とかその場は突破したが、
耳取縄手まで逃げたところで広忠軍の兵が射た矢が後頭部に当たり、即死した。
そこに駆けつけた広忠は叔父である信孝の死体にすがって泣いた。
「叔父上は裏切るような方では無かった。
よく我を支えてくれた。
ただ、改革には最期まで反対して譲らなんだ。
我はひたすら三河の国を良くしようとして改革を進めて参ったのに、
何故叔父上はご理解くれなんだか。
この上、少なくなった身内を何故殺さねばならなんだか、あああああああああああああ」
広忠は天を仰ぎ、大声で泣いた。
小豆坂の戦いで織田は大敗した。
これで態勢を立て直すにはしばらくかかるだろう。
松平家で広忠の推し進める市場開放政策に反対する一族は死に絶えた。
あとは素直に広忠の言うことを聞くような者ばかりだ。
三河者は無骨、実直で戦は強いが知恵の回る者は少ない。
その知恵の回る者は誰も彼も広忠に逆らい殺されていった。
もう三河衆で広忠が頼れる知恵者は居なかった。
もう広忠は義元公に頼り、雪斎様のご助言に素直に従うしかなかった。
これで三河の国も良くなる。
良いことであった。
国が栄えれば荒廃した民心も穏やかになるであろう。
元実はそう思った。
小豆坂の戦勝祝いの席、今川方の諸将が松平広忠を取り囲み、
これからは我らが家族となって親戚のように付き合いましょうと口々に言って励ました。
広忠の嘆きがあまりにも哀れであったのだ。
元実ももちろん、これからは松平広忠を兄弟のごとく思うことにした。
また織田が攻めてくれば必ず援軍に駆けつけると約束した。
息子も必ず取り返してやると約束した。
そして、ようやく、広忠は唇をかみしめ、無理やり笑顔を作ってくれた。
これからは松平も我ら今川家の一員だ。
駿河へ我らが帰るとき、広忠は深々と我らに頭を下げ、
姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
天文十八年、三月六日。松平広忠は家臣岩松八弥に刺されて死んだ。
狂っている。何もかも狂っている。
三河錯乱はまだまだ終わらない。
次男戸田宣光は今川方についたため、今川軍と共に田原城を攻めた。
何故天下に名だたる名門、今川家を裏切ったかとの矢文を場内に投げ込むと、
相手側からも矢文が帰ってきた。
「猿投神社を焼き討ちし、座を壊し、伊勢から村正の安い刀剣が大量に三河に流れ込み、
三河の刀匠の暮らしが立ちゆかなくなった。長年培った三河の技能が次々と失われてゆく。
村正には職を奪われ、自害していった三河の刀匠の恨みが染みついている。
銭のために民の暮らしをないがしろにする君主は銭に呪われて滅びるであろう」
そう書面には書いてあったが、今川方の武将たちは何が書いてあるのか
まったく意味が分からず、戸田康光の錯乱による戯れ言として捨て置かれることとなった。
戸田康光、戸田尭光をはじめ、
田原城に籠城した兜首はすべからく討ち取られ首を晒されることとなった。
元実は、三河衆が何故このように必ず負けると分かっている戦を
わざわざやるのか理解できなかった。
しかも次から次へと裏切り者が沸いてくる。
まさに三河が一斉に錯乱したとしか思えなかった。
錯乱は是で終わらなんだ。松平広忠の叔父、
松平信孝が謀反を起こし、織田方に付いたのだ。
一体今この国で何が起っているのだ。
何故このように人心が荒廃しているのだ。
好きの反対は嫌いではない。
無関心だ。義元公はもう三河には出てこられなんだ。
雪斎様を大将とした軍勢が織田討伐軍として差し向けられることとなった。
元実もその軍に参加した。
天文十七年三月十九日、織田と今川、松平は小豆坂で激突した。
雪斎様のご差配はいつも通り冷徹であり、
前衛に松平軍を押し立て、疲れ果てるまで戦わせた。
松平軍が耐え切れず、ついに後退しはじめても放置した。
松平の将兵はすでに今川から見放されたと思ったか、
士気が崩壊して退却しだした。
それを見た織田軍は勢いにのって攻めかかる。
そこへ、今川の精鋭部隊を投入した。
先の戦いでかなり疲労が溜まっている織田軍は
今川軍の執拗な攻勢によってシャリバテに陥った。
こうなってはいかな勇者たりとも戦えるものではない。
一気に陣形が崩れた。
織田の軍勢は調子に乗っている時は強いが、
劣勢になれば弱かった。
武器を放り出して逃亡する織田軍。
逐う今川軍。
しかし、逃亡する織田軍を逐った今川方は勢いに乗りすぎて
陣形が縦に伸びた。
そこに松平信孝の伏兵が側面から突っ込んできた。
「しまった」
己の直前に松平の決死隊が突っ込んできたため、
元実は思わず声をあげた。
今川の軍は二つに分断されてしまった。
ここで織田軍が反転攻勢すれば孤立した今川の前衛は殲滅されてしまう。
しかし、武器を放り投げて逃げていた織田軍はそのまま逃亡してしまった。
残された松平信孝の軍はかえって今川軍から包囲される形となり、
士気を盛り返して引き返してきた松平広忠の軍にも
包囲され、四方八方から矢を射かけられた。
松平信孝は家臣に助けられ、何とかその場は突破したが、
耳取縄手まで逃げたところで広忠軍の兵が射た矢が後頭部に当たり、即死した。
そこに駆けつけた広忠は叔父である信孝の死体にすがって泣いた。
「叔父上は裏切るような方では無かった。
よく我を支えてくれた。
ただ、改革には最期まで反対して譲らなんだ。
我はひたすら三河の国を良くしようとして改革を進めて参ったのに、
何故叔父上はご理解くれなんだか。
この上、少なくなった身内を何故殺さねばならなんだか、あああああああああああああ」
広忠は天を仰ぎ、大声で泣いた。
小豆坂の戦いで織田は大敗した。
これで態勢を立て直すにはしばらくかかるだろう。
松平家で広忠の推し進める市場開放政策に反対する一族は死に絶えた。
あとは素直に広忠の言うことを聞くような者ばかりだ。
三河者は無骨、実直で戦は強いが知恵の回る者は少ない。
その知恵の回る者は誰も彼も広忠に逆らい殺されていった。
もう三河衆で広忠が頼れる知恵者は居なかった。
もう広忠は義元公に頼り、雪斎様のご助言に素直に従うしかなかった。
これで三河の国も良くなる。
良いことであった。
国が栄えれば荒廃した民心も穏やかになるであろう。
元実はそう思った。
小豆坂の戦勝祝いの席、今川方の諸将が松平広忠を取り囲み、
これからは我らが家族となって親戚のように付き合いましょうと口々に言って励ました。
広忠の嘆きがあまりにも哀れであったのだ。
元実ももちろん、これからは松平広忠を兄弟のごとく思うことにした。
また織田が攻めてくれば必ず援軍に駆けつけると約束した。
息子も必ず取り返してやると約束した。
そして、ようやく、広忠は唇をかみしめ、無理やり笑顔を作ってくれた。
これからは松平も我ら今川家の一員だ。
駿河へ我らが帰るとき、広忠は深々と我らに頭を下げ、
姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
天文十八年、三月六日。松平広忠は家臣岩松八弥に刺されて死んだ。
狂っている。何もかも狂っている。
三河錯乱はまだまだ終わらない。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし
佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。
貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや……
脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。
齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された——
※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる