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四十二話 顔がない者ども
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服部友貞の報告が終わってより数日後、珍しく太原雪斎様が一宮の館においでになられた。
父は雪斎様を奥にお通しし、茶をふるまった。
「さて、宗是殿、先頃の御屋形様の目をいかにご覧になるか」
「目でございまするか」
「銭を見る目でございまする」
「さて、以前より銭の面白さにお気づきのご様子ではありまするが、
元々良家のお育ちなれば裕福にお育ちになり、
銭への頓着なきお心もちでした。
少しは銭への執着をお持ちになられてもよろしいではありませぬか」
「さにあらず、御屋形様は純真にあらせられ、
清く美しくお育ちになられた。
人の心は百八の煩悩の輪で出来たようなもの。
究極の正義たるはこれ、
究極の悪に転じるものでござりまする」
「何を仰せか、かの私心なき御屋形様が
銭狂いにでもおなりになるとでも仰せか」
「そうならぬよう、我ら重臣、
命に代えても御屋形様をお支えせねばならぬ」
「されば某も存念を申し上げる。先頃より家中に跋扈したる大原資良なる輩、
服部友貞という輩、此奴等厚かましくも御屋形様にいらぬ入れ知恵をして、
美しき知恵の鏡を曇らせておりまする。
もし、雪斎様がお望みとあらば、
某一門をあげて両人を誅殺いたし、某もその場で割腹して果てまする」
「はーっ」
雪斎様は深いため息をつかれた。
「そうではないのだ。そうでは」
「では如何なる仕儀にてそうらわんや」
「彼奴等には顔が無いのだ」
「いや、顔はついておりまするが」
「大原資良は甲賀衆。服部友貞は一向宗でござる。
大原を殺しても次の甲賀衆が来る。
服部を殺しても次の一向宗が来る。貴殿は犬死にてござりまする」
「面妖な、ならば誰を殺せば宜しいのです」
「殺しても、殺しても沸いてくる。
違う顔の面を付けてな。
つまるところ、御屋形様がお気づきになり
お心の門を閉ざされるまでいくらでもやってくる」
「ならば某が諫言いたしましょう」
「旨くいっておられる時に何を言うても
聞く耳はもたれぬ。
傾かれた時、そっと脇よりお支えし、耳元でささやくのがよろしかろう」
「かしこまりました。時を待ちまする」
元実は襖の向こうから聞き耳を立てた。
みしっ、と音がした。ガタッと戸が外れる音がして元実は座敷に倒れ込む。
「何をしておるか、不埒者」
父宗是が実元を殴った。
「申し訳ございませぬ」
「ははは、よろしいではないか、
先頃より気配は感じておりました。
よい機会じゃ、今後は元実殿もご同席めされよ」
「まことに愚息が申し訳無きことでございまする」
父が平伏して頭を下げたので元実も平伏して頭をさげた。
「いやいや、頭をあげられよ、それより政の話がしたい。
時に実元殿、尾張の情勢をいかが見るや」
「あ、はい」
元実は頭をあげた。あげた頭を父に押えられる。
「ははは、まあまあ」
雪斎様がそれを制止される。
「恐れながら、信長は弟の信勝に討たれ、
三河のように今川家に従属するものと思われます」
「真にそう思うか、何故じゃ」
「されば信勝は銭の力で家臣を支配し、家中に逆らえぬ者はおりませぬ」
「重ねて聞くが、真に逆らえぬか」
「銭を貸してもろうた恩がある故、ご恩には奉公するしかございませぬ」
「ふふふっ」
雪斎様は目を細めて笑われた。
「されど、信勝が滅びれば、銭は返さいでも済むのお」
「あっ」
元実は目を見張った。
「今は平時ではない、乱世ぞ。
ご恩と奉公とは君主より恩賞の土地を賜りし事、
借金は違う。
これは借りたものとて、利子を付けてより多くを返さねばならぬ。
よってこれは恩ではない。
銭貸しをやっている長島の一向宗も比叡山延暦寺も、
いずれはその勢力を越える大勢力によって焼き討ちにあい
皆殺しにされるであろう。
乱世で銭貸しをするということは、そういう事じゃ」
「まさか、かの大兵力を擁したる比叡山や一向宗を
討伐する大勢力などおりましょうや」
「今川家が東海一円を制圧したみぎりはどうじゃ」
「そ、それは」
「政とは先の先まで見越して動くものじゃ。
目先の利益に惑わされ、努々一向宗と親しくするでないぞ」
「ははっ、肝に銘じておきまする」
元実は恐れ入って平伏した。
雪斎様は我が家を出てゆかれた。
元実は真に肝が冷える思いであった。
父は雪斎様を奥にお通しし、茶をふるまった。
「さて、宗是殿、先頃の御屋形様の目をいかにご覧になるか」
「目でございまするか」
「銭を見る目でございまする」
「さて、以前より銭の面白さにお気づきのご様子ではありまするが、
元々良家のお育ちなれば裕福にお育ちになり、
銭への頓着なきお心もちでした。
少しは銭への執着をお持ちになられてもよろしいではありませぬか」
「さにあらず、御屋形様は純真にあらせられ、
清く美しくお育ちになられた。
人の心は百八の煩悩の輪で出来たようなもの。
究極の正義たるはこれ、
究極の悪に転じるものでござりまする」
「何を仰せか、かの私心なき御屋形様が
銭狂いにでもおなりになるとでも仰せか」
「そうならぬよう、我ら重臣、
命に代えても御屋形様をお支えせねばならぬ」
「されば某も存念を申し上げる。先頃より家中に跋扈したる大原資良なる輩、
服部友貞という輩、此奴等厚かましくも御屋形様にいらぬ入れ知恵をして、
美しき知恵の鏡を曇らせておりまする。
もし、雪斎様がお望みとあらば、
某一門をあげて両人を誅殺いたし、某もその場で割腹して果てまする」
「はーっ」
雪斎様は深いため息をつかれた。
「そうではないのだ。そうでは」
「では如何なる仕儀にてそうらわんや」
「彼奴等には顔が無いのだ」
「いや、顔はついておりまするが」
「大原資良は甲賀衆。服部友貞は一向宗でござる。
大原を殺しても次の甲賀衆が来る。
服部を殺しても次の一向宗が来る。貴殿は犬死にてござりまする」
「面妖な、ならば誰を殺せば宜しいのです」
「殺しても、殺しても沸いてくる。
違う顔の面を付けてな。
つまるところ、御屋形様がお気づきになり
お心の門を閉ざされるまでいくらでもやってくる」
「ならば某が諫言いたしましょう」
「旨くいっておられる時に何を言うても
聞く耳はもたれぬ。
傾かれた時、そっと脇よりお支えし、耳元でささやくのがよろしかろう」
「かしこまりました。時を待ちまする」
元実は襖の向こうから聞き耳を立てた。
みしっ、と音がした。ガタッと戸が外れる音がして元実は座敷に倒れ込む。
「何をしておるか、不埒者」
父宗是が実元を殴った。
「申し訳ございませぬ」
「ははは、よろしいではないか、
先頃より気配は感じておりました。
よい機会じゃ、今後は元実殿もご同席めされよ」
「まことに愚息が申し訳無きことでございまする」
父が平伏して頭を下げたので元実も平伏して頭をさげた。
「いやいや、頭をあげられよ、それより政の話がしたい。
時に実元殿、尾張の情勢をいかが見るや」
「あ、はい」
元実は頭をあげた。あげた頭を父に押えられる。
「ははは、まあまあ」
雪斎様がそれを制止される。
「恐れながら、信長は弟の信勝に討たれ、
三河のように今川家に従属するものと思われます」
「真にそう思うか、何故じゃ」
「されば信勝は銭の力で家臣を支配し、家中に逆らえぬ者はおりませぬ」
「重ねて聞くが、真に逆らえぬか」
「銭を貸してもろうた恩がある故、ご恩には奉公するしかございませぬ」
「ふふふっ」
雪斎様は目を細めて笑われた。
「されど、信勝が滅びれば、銭は返さいでも済むのお」
「あっ」
元実は目を見張った。
「今は平時ではない、乱世ぞ。
ご恩と奉公とは君主より恩賞の土地を賜りし事、
借金は違う。
これは借りたものとて、利子を付けてより多くを返さねばならぬ。
よってこれは恩ではない。
銭貸しをやっている長島の一向宗も比叡山延暦寺も、
いずれはその勢力を越える大勢力によって焼き討ちにあい
皆殺しにされるであろう。
乱世で銭貸しをするということは、そういう事じゃ」
「まさか、かの大兵力を擁したる比叡山や一向宗を
討伐する大勢力などおりましょうや」
「今川家が東海一円を制圧したみぎりはどうじゃ」
「そ、それは」
「政とは先の先まで見越して動くものじゃ。
目先の利益に惑わされ、努々一向宗と親しくするでないぞ」
「ははっ、肝に銘じておきまする」
元実は恐れ入って平伏した。
雪斎様は我が家を出てゆかれた。
元実は真に肝が冷える思いであった。
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