71 / 76
七十一話 終わりのはじまり
しおりを挟む
実元はいきなり氏真様から殴られた。
織田信長を討つために兵を挙げなかった事を叱責したからだった。
殴られるだけで良かった。
切られないということは、これからも、隙を見て諫言ができる。
元実の心に少し余裕ができた。
人は、一度死んだと思ったら結構何でもできる。
大原資良、三浦義鎮親子には常々嫌味を言われた。
書状を隠されるなど嫌がらせもされたが、
反対に、氏真様のご意向により元実を殺すことができないのが小気味良かった。
嫌がらせをされながらも、
鼻歌を歌いながら今川館に上がった。
先頃は資良や義鎮が怒る様が楽しかった。
しかし、大原親子の元実への興味も長くは続かなかった。
三河の松平元康が、今川義元公が
長年かかって三河で進めてきた政策を次々と破棄し、
穀物の他国からの流入を制限し、地場産業の味噌作りを奨励し、
土木事業を行って治水を整備し、
あからさまに織田信長の政策を真似た政策に大転換したのである。
しかも他国からの流入者を制限し、
特に一向宗の布教僧ホラ吹きを国内から追放した。
それだけではなく今川家と昵懇にしている
吉良家を永禄四年四月十五日に攻め、
善明堤の戦いで苦戦しながらも辛勝した。
元実はこの元康の行動に何ら嫌悪感を持たなかった。
なぜならこれは元も田原雪斎様がおこなっていた政策だからだ。
物価が上がれば国を開き、物を入れて物価を下げる。
物価がさがれば国を閉ざし、外から物を入れず、
国内で治水、街道整備、築城をやって内需を拡大する。
雪斎様も信長も元康も、ただ、道理に合った行動を取っているにすぎない。
その国内体制に対して、吉良が頑強に抵抗したため衝突が起った。
吉良の自尊心のあまりの強さゆえに起った合戦だと元実は見ていた。
このまま内政に関しては元康の好きなようにやらせていれば、
今川家との決別は無いであろうが、無理に経済開放政策を強要すれば
松平と今川の亀裂は決定的なものとなるだろうと予測した。
氏真様にこのことを諫言したところ、
激怒され、胸倉をつかまれ、引きずりまわされた。
もう慣れた。
松平と吉良との対立は深まったが、
今川家が調停しないため、両者とも引っ込みがつかず、
永禄四年九月十三日藤波畷の戦いが起って、
三河における松平の優勢は確固たる物となった。
それにも関わらず、氏真様に政を一任された大原親子は
松平に対して穀物の国外からの買い取り枠拡大と、
一向宗の布教拡大を要請した。元康はこれを完全に拒否し、
一向宗への排除圧力も強めた。
これを当てつけと見て怒った大原親子は、
松平家と今川家がまだ戦端を開いていないにも拘わらず、
一方的に松平家の人質を全員処刑することを決定した。
しかし、元康の妻と子供まで殺してしまっては今後、
元康を今川家に従わせる手札が一切無くなるので、
一宮元実と関口親永殿が氏真様に懇願し、
元康の妻子の処刑は免れることとなった。
しかし、この行動が大原親子の親永殿への疑念を深めたようであった。
元康の妻子こそ助命されたものの、
人質となっていた松平家家臣の子弟は大原資良の手によって、
龍拈寺口で槍に串刺しにして殺され、晒されることとなった。
激怒した元康は織田信長と同盟を締結。
元康の名を捨てて家康と名乗ることとなった。
松平家康の妻子は今川家臣鵜殿長照の二人の遺児との人質交換によって徳川側に帰された。
織田信長を討つために兵を挙げなかった事を叱責したからだった。
殴られるだけで良かった。
切られないということは、これからも、隙を見て諫言ができる。
元実の心に少し余裕ができた。
人は、一度死んだと思ったら結構何でもできる。
大原資良、三浦義鎮親子には常々嫌味を言われた。
書状を隠されるなど嫌がらせもされたが、
反対に、氏真様のご意向により元実を殺すことができないのが小気味良かった。
嫌がらせをされながらも、
鼻歌を歌いながら今川館に上がった。
先頃は資良や義鎮が怒る様が楽しかった。
しかし、大原親子の元実への興味も長くは続かなかった。
三河の松平元康が、今川義元公が
長年かかって三河で進めてきた政策を次々と破棄し、
穀物の他国からの流入を制限し、地場産業の味噌作りを奨励し、
土木事業を行って治水を整備し、
あからさまに織田信長の政策を真似た政策に大転換したのである。
しかも他国からの流入者を制限し、
特に一向宗の布教僧ホラ吹きを国内から追放した。
それだけではなく今川家と昵懇にしている
吉良家を永禄四年四月十五日に攻め、
善明堤の戦いで苦戦しながらも辛勝した。
元実はこの元康の行動に何ら嫌悪感を持たなかった。
なぜならこれは元も田原雪斎様がおこなっていた政策だからだ。
物価が上がれば国を開き、物を入れて物価を下げる。
物価がさがれば国を閉ざし、外から物を入れず、
国内で治水、街道整備、築城をやって内需を拡大する。
雪斎様も信長も元康も、ただ、道理に合った行動を取っているにすぎない。
その国内体制に対して、吉良が頑強に抵抗したため衝突が起った。
吉良の自尊心のあまりの強さゆえに起った合戦だと元実は見ていた。
このまま内政に関しては元康の好きなようにやらせていれば、
今川家との決別は無いであろうが、無理に経済開放政策を強要すれば
松平と今川の亀裂は決定的なものとなるだろうと予測した。
氏真様にこのことを諫言したところ、
激怒され、胸倉をつかまれ、引きずりまわされた。
もう慣れた。
松平と吉良との対立は深まったが、
今川家が調停しないため、両者とも引っ込みがつかず、
永禄四年九月十三日藤波畷の戦いが起って、
三河における松平の優勢は確固たる物となった。
それにも関わらず、氏真様に政を一任された大原親子は
松平に対して穀物の国外からの買い取り枠拡大と、
一向宗の布教拡大を要請した。元康はこれを完全に拒否し、
一向宗への排除圧力も強めた。
これを当てつけと見て怒った大原親子は、
松平家と今川家がまだ戦端を開いていないにも拘わらず、
一方的に松平家の人質を全員処刑することを決定した。
しかし、元康の妻と子供まで殺してしまっては今後、
元康を今川家に従わせる手札が一切無くなるので、
一宮元実と関口親永殿が氏真様に懇願し、
元康の妻子の処刑は免れることとなった。
しかし、この行動が大原親子の親永殿への疑念を深めたようであった。
元康の妻子こそ助命されたものの、
人質となっていた松平家家臣の子弟は大原資良の手によって、
龍拈寺口で槍に串刺しにして殺され、晒されることとなった。
激怒した元康は織田信長と同盟を締結。
元康の名を捨てて家康と名乗ることとなった。
松平家康の妻子は今川家臣鵜殿長照の二人の遺児との人質交換によって徳川側に帰された。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
【完結】『80年を超越した恋~令和の世で再会した元特攻隊員の自衛官と元女子挺身隊の祖母を持つ女の子のシンクロニシティラブストーリー』
M‐赤井翼
現代文学
赤井です。今回は「恋愛小説」です(笑)。
舞台は令和7年と昭和20年の陸軍航空隊の特攻部隊の宿舎「赤糸旅館」です。
80年の時を経て2つの恋愛を描いていきます。
「特攻隊」という「難しい題材」を扱いますので、かなり真面目に資料集めをして制作しました。
「第20振武隊」という実在する部隊が出てきますが、基本的に事実に基づいた背景を活かした「フィクション」作品と思ってお読みください。
日本を護ってくれた「先人」に尊敬の念をもって書きましたので、ほとんどおふざけは有りません。
過去、一番真面目に書いた作品となりました。
ラストは結構ややこしいので前半からの「フラグ」を拾いながら読んでいただくと楽しんでもらえると思います。
全39チャプターですので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
それでは「よろひこー」!
(⋈◍>◡<◍)。✧💖
追伸
まあ、堅苦しく読んで下さいとは言いませんがいつもと違って、ちょっと気持ちを引き締めて読んでもらいたいです。合掌。
(。-人-。)
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる