殺さないだけ感謝しろ!

小判鮫

文字の大きさ
26 / 30

俺の脳みそと舌で愛してやるよ

しおりを挟む
パトカーの中、彼の助手席で外の景色を眺めながら、カーステレオから流れる音楽を口ずさむ。

「今日もこの街は平和だね」

そんな呑気なことを言う彼に、俺は「はぁ」と一息ため息をついた。

「そんなことないよ。ほら、見ろ。あの通りを」

薄暗くて壁の落書きやらゴミやらで汚れた通り、を顎を使って示した。

「あの通りがどうかしたの?」

彼は不思議そうな顔をして尋ねてくる。

「あの通りは薬物売買で有名な通りなんだよ。今も薬が欲しいやつが彷徨ってんね」

そう言って、この車窓から見える貧相な身体つきをした男を見て、あれは救いようがねぇなと笑った。すると彼は突然、パトカーを路上に停め、降りる準備をし始めた。

「イルはここで待ってろ」

そう言って、パトカーから急いで飛び降りる彼の背を見て、

「あーあ、余計なこと言っちまった」

と車内に残された俺は独り言を呟いた。彼がその男と何か話している。薬物中毒者なんて、言ってることが支離滅裂で会話にならないのに。あ、彼が殴られた。男が逃げる。俺はそれが何とも許せなくて、運転席に移動してパトカーを走らせた。

「こちらレイラ。イル、聞こえるか?」

トランシーバーからレイラの声が聞こえる。

「あぁ、聞こえてるよ」

「何処へ向かってるんだ?どうぞ」

「逃げた男を追っているだけだ。ご主人様はそこで待っててくれ。Over and out」

と一方的に無線を切って、運転に集中した。並列して走っている車の真ん中をすり抜けて、赤信号を無視して、誰も跳ねないようにと歩道に乗り上げた。その男は血相を変えた恐ろしい顔をしていた。

「ざっけんな!!ぶち殺されてぇのか!??」

震える手でナイフを握り、こちらに向けてきていた。俺はそんな男がキャンキャン吠えるチワワにしか見えなくて、可愛らしくて笑えてしまった。

「お前、俺のご主人様のこと、殴ったよな?」

俺はナイフなんかに目もくれず、そいつの顔面を一発殴った。けれど、一発だけじゃ俺の心は満足しなくて、蹴り倒したそいつに馬乗りになって、もう一発殴ろうとしたところで、

「やめろ!!」

という耳に劈くような彼の声。俺の身体はピタッと止まって動かなくなった。

「ご主人様、俺、捕まえたよ……?良い子でしょ?」

彼が何故、俺に怒鳴っているのか、訳が分からなくて、声を震わせながら愛想で誤魔化そうと微笑んだ。

「さすがにやりすぎだ。しかもみんな見ているぞ」

パトカーが歩道に突っ込んでいる、警官が無力な男を一方的に殴ろうとしている。その事実を世間は許さないで、みんなスマホカメラを俺に向けていた。こんなんじゃ、彼がクビになってしまう……。

「……お騒がせしてすみませんでした。私がこの凶悪犯を捕まえましたので、この街はまた平和を取り戻しました。皆様ご安心して、午後の優雅な時間をお過ごしください」

とその男を片手で制圧しながら、各方面に向けて丁寧にお辞儀をした。これで、先程の罪が払拭される訳ではないけれど、その野次馬の中で一人、拍手をし始めた者がいた。俺の理想のご主人様だ。それにつられて、野次馬達も拍手を広げた。みんなから賞賛されている気分になった。

「さあ、行こうか」

と彼はパトカーの運転席に乗り込んだ。次いで俺はこの薬物中毒者をパトカーの後部座席に押し入れて、助手席へと乗った。

「ご主人様、俺、頑張ったよね?」

俺はご褒美を貰えないかと期待の眼差しを彼に向けた。

「派手にやってくれたけどな。けど、イルにしては上出来だよ。ありがとう」

と片手でハンドルを握りながら、俺の頭を撫でてくれた。俺は彼のために行動できたこと、彼のことを守れたこと、彼が褒めてくれたこと、それらがみんな嬉しくて、俺の心はキラキラしていた。

「ご主人様、俺、ちゅーしたい!」

そんな惚気を気分良く言っていると、後部座席から怒鳴り声が聞こえてきた。

「俺は……何もしてない!!ここから降ろせ!!!」

と内側からは開かないパトカーの後部座席のドアをガチャガチャしながら、その男は暴れている。

「お前、静かにしろよ!俺が今、ご主人様と話してるだろーが!!」

俺はこんな男にご主人様との大事な時間を邪魔されていると思うと虫唾が走って、つい、後部座席に向かって俺も怒鳴ってしまった。

「イル、良いんだよ。好きにさせてあげて」

彼はそいつにも優しくしろと言う。俺は何だかモヤモヤして、唇を尖らせた。

「ご主人様はみんなに優しいんだね……」

「イルはさ、薬物を使おうと思ったことないの?」

前を見て運転をしている彼は何気ない質問のようにそれを聞いてきた。

「あるよ。こんな腐った世界じゃ、誰でも使いたくなるだろ」

事実、俺も路地裏で覚せい剤を貰ったことがある。そんな過去を思い出しては、この世界はやっぱ腐ってるな、と思って虚しさに浸った。

「じゃあ、何で使わなかったの?」

「何でって、そりゃあ……俺の好きなラッパーが『アイスなんかよりもすげぇ、俺の脳みそと舌で愛してやるよ』なんて最高にキマッてるリリックを書いてるから」

その歌詞を聴いて、俺はその覚せい剤を捨てた。俺の好きなラッパーの言葉が正常な脳みそで聴けなくなるのはもったいないと思ったから。俺の人生は、それほど落ちぶれていないと思いたかったから。

「イルには音楽があったから良かったね。けど、その音楽がなかったら、イルもたぶんああなってたよ」

と後部座席を一瞥して示した。俺はそれを聞いて、身震いした。俺も一歩、道を間違えたら、こんな人間になっていたんだと。こいつも俺らと同じで、この腐った世界に理不尽に苦しめられていたんだろうかと察すると、何だか他人にも思えなくて、彼が言っていた通りに、この薬物中毒者にも優しくしてやろうと思えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

コーヒーとチョコレート

ユーリ
BL
死神のジェットはとある理由からかわいい悪魔を買った。しかし、その悪魔は仲間たちに声を奪われて自分の名前以外喋れなくて…。 「お前が好きだ。俺に愛される自信を持て」突然変異で生まれた死神×買われた悪魔「好きってなんだろう…」悪魔としての能力も低く空も飛べない自信を失った悪魔は死神に愛される??

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...