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第三章 夫の実家に初訪問

32、反論

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「シルフィア!」
「お義姉様?!」

 テオとディーの叫ぶ声が聞こえたけれど、私はどうしようもなくて指輪をギュッと握りしめたまま落ちていく。

「テオ兄様?!」

 再度ディーの叫び声がしたと思ったら、いきなり目の前にテオが現れて強い力でグイッと引っ張られ、私は落ちながら彼に抱き込まれていた。

 えっ?! 今、私はテオと一緒に落ちてる・・・?

「テオ、なんで?!」
「フィーア、口を閉じて!」

 彼の切羽詰まった声がして頭を胸に押し付けられた次の瞬間、大きな音と共に二人で水の中にいた。

 息が、出来ない!

 水を吸ったドレスは急激に重くなって私を池の底へ沈めようとする。全く泳げない私は沈んでいく恐怖でいっぱいになり必死で手足を動かそうとして、テオが一緒にいることを思い出した。

 テオと一緒なら、大丈夫。

 そう思うとまだ水の中だけどちょっと安心した。すると、フッと身体から力が抜けて軽くなった感じがして、スーッとテオが私を抱えたまま泳いで岸に連れていってくれた。
 
「フィーア、大丈夫?」

 乾いた草の上に引き上げられて咳き込んでいるずぶ濡れの私を、同じく水浸しのテオが気遣ってくれる。

「ケホッ、ありがとうございます。おかげで指輪も無事でした」

 ギュッと握っていた手を開いて指輪を見せれば、彼が困ったような顔で微笑んだ。

「フィーア。僕との結婚指輪を大事に思ってくれるのは嬉しい。だけど、そのために君の命を危険にさらさないで」
「・・・申し訳ありません」

 しゅんと謝れば私の頬へ、そっとテオの手が伸びてきた。

「フィーアが落ちた時、君の死が頭をよぎって僕はとてつもない恐怖に襲われた。君にとってその指輪が大切なのは分かってる。だけど、僕にとっては君の命の方が大事なんだ。指輪が池に落ちたら後で拾えばいい、どこかに飛んでいったら探せばいい。お願いだから、自分の命を軽く扱わないで」

 私の頬に添ってテオの手が滑っていってそのままぎゅうっと抱きしめられる。二人の髪から落ちる雫に彼の涙が混ざっているような気がして、私は詫びるように彼の背に腕をまわした。

「テオ、ごめんなさい。もう飛び降りたりしません」

 テオは小さく頷いてもう絶対に離さないというように私を抱きしめ続けた。


「テオドール様、シルフィア様。さすがにそろそろお召し替えをなさった方が」

 フリッツさんの声でハッと顔を上げれば、周りに警備の人達がいるのが目に入って私は慌てて立ち上がった。

「この季節とはいえ、いつまでも濡れたままでは風邪をひきますよ。テオドール様は俺達がいることが分かっていたでしょうに、わざわざ飛び込まなくてもよかったのでは?」

 服の裾の雫を払って立ち上がり、濡れた髪をかきあげたテオは心外だと言わんばかりの顔で言い切った。

「シルフィアが落ちていくのに見てるだけなんて有り得ないだろ」

「お前は公爵家の跡取りだろ。自分に何かあったときのこと考えろよ。自覚が足りないんじゃねえの?」

 どこからか飛んできたその台詞にテオの目が細くなる。周囲を見回せば、少し離れた所から警備の人達に囲まれてタオルを頭に被った同じくずぶ濡れの男がテオを睨んでいた。

 あ、さっき落ちたシャルロッテ様の兄だ。この人が全ての元凶なんだっけ。

 私はムカッとしてその男を睨む。それに気がついたテオが水に濡れて重くなっている私を抱き上げて男を嗤った。

「まだここにいたのか。家族すら大事にできない、侯爵家跡取り失格のお前に言われたくないな。僕はね、シルフィアがいない世界に生きる気がないからいいんだ」

 今、なんて言いました?

 私は目の前でちょっと怖い笑みを浮かべているテオの顔を凝視する。視界の端で男も絶句していた。

「ということで、シルフィアは僕とハーフェルト家のために自分を一番大事にしてね。あ、フリッツ。その男と上にいる奴らまとめて送り返しといて。もちろん、濡れたままでいいよ。」

 男がその無情な扱いに顔を真っ赤にして文句を言いかけたところに、テオがサラリと追撃する。

「せっかくの弟のハレの日なのに、僕の妻にとんでもないことをしでかしてくれたことに関しては、後で家から正式に君の家へ抗議するから」

「なんで家同士の話になるんだよ?! 俺がお前の友人として妹を紹介しただけだろ?!」

 慌てだした男をテオは冷ややかに突き放した。

「君は友人ではない上に、『ハーフェルト次期公爵夫人』の指輪を奪って脅迫したんだよ? 家同士の話になるのは当然だろ」
「あれはシャルロッテが勝手にやったんだ!」

 その言葉で私の頭に血が上る。

「全部シャルロッテ様のせいにするつもりですか?! いつもいつも虐めていた貴方が命令したから、彼女は怖くて逆らえなかったんです。だから、一番悪いのは貴方です!」
「ソレ、やられたお前が言うことじゃないだろ。ナニ偽善者ぶってんの? 次期公爵夫人の慈悲ってヤツか?」

 思ってもみないことを言われて私は動揺した。言葉に詰まった私を見て、テオが私を抱いたまま男を真正面から睨み据えた。

「お前はそんなことしか言えないのか、もう黙ってろ。シルフィア、コイツに言いたいことがあるなら好きなだけ言っていいよ」

 テオの視線を受けた男は、蛇に睨まれた蛙のように竦んだ。ちょっと気の毒だったけど、私はどうしても言いたいことがあったので、テオの威を借りることにした。

「偽善でも慈悲でもないです。ただ、私も兄に同じような扱いを受けていたので他人事ではなくて。私の時はテオドール様が代わりに言って下さいましたので、今度は私がシャルロッテ様の代わりに言います。彼女が傷つくようなことを二度としないで下さい」
「は? 何をバカなことを。俺がお前の言うことを聞くとでも・・・」

 テオの眼光が一閃し、男が慌てて口を閉じた。

「お前はシルフィアと話すな。シャルロッテ嬢が妄想に近い夢に縋るしかできなくなったのはお前のせいだ。妹っていうのは大事に守るべき存在であって、兄の奴隷でも虐めていい相手でもない。自分より弱い存在をいたぶることしか出来ないお前は、騎士も侯爵家の跡取りも向いていない。即刻やめるべきだな」

「なんだと、ふざけるな!」

 頭が沸騰した男がこちらに飛び掛かってきてテオが「正当防衛だからね!」と思いっきり蹴り倒した瞬間。

「やあ、息子夫婦の姿が見えないと思ったら、こんな所でびしょ濡れになっているとは。これは一体どういうことかな?」
 
 よく通る声が響いてその場が静まり返った。

「お義父様!」

 呼び掛けた私へにっこり笑って小さく手を上げたお義父様は、地面に倒れている男をちらりと見遣った。彼は即座に青ざめて目を閉じ、気を失ったふりをした。
 お義父様はそんな彼の顔の横にしゃがみこむと、引っこ抜いた草で男の鼻をくすぐりつつ楽しそうに話しかけた。

「・・・君、起きてるでしょ。私は息子からの言い分だけでなく君からもこの事態に至った理由を聞きたいんだ。説明してくれるよね? もし出来ないというなら、テオドールが言っていたように跡取り失格。騎士の職も失うよ?」
「そんな! ですが・・・いや、その」

 男は飛び起きて口をパクパクするも、上手い言い訳が見つからないようでがっくりと項垂れた。

 続けて、ディーとシャルロッテ様が現れる。

「お義姉様、ご無事でよかった!」
「ディー、テオにまた助けてもらいました」

 私の無事を喜んでくれるディーの背後には、もう一人の男を担いだ騎士が控えていた。男はグッタリと気を失っていて、どうしたのかと目線で尋ねればディーが爽やかに宣った。

「ああ、この男はお父様を見て逃げようとしたので、ちょっと眠っていただきましたの」

 うふふっと笑うディーの横で怯えるシャルロッテ様。

 ハーフェルト家の人達は色々と強過ぎる・・・!

 その時、サアッと吹いた風に身体が震えた。さすがに冷えてきたようだ。

 くっしゅん!

「フィーア?!」
「大変! お義姉様が風邪を引いてしまうわ」
「テオ、あとは私が引き受けるから、シルフィアを直ぐに屋敷内へ!」

 あんなに強い人達なのに、私のくしゃみ一つで大慌てしている。全速力で走るテオに運ばれながら、私はなんだかくすぐったい気持ちになっていた。
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