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第二章 公爵夫人、メイド体験をする。

2−5閑話1

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  ※リーン視点
 
 
 「ねえ、ヘンリック。あれ、誰に見える?」
 
 書類を捌くのに飽きて窓の外を見た僕は、両手を上げて伸びをした姿勢で固まった。
 僕の視線の先を追った側近のヘンリックが、窓の近くに行って眼鏡を動かす。
 眼鏡を外す。ピカピカに拭く。掛け直す。
 
 「おくさま・・・?」
 「に、見えるよねえ?髪の色は違うし、メイドの制服着てるんだけど、僕の妻で、ハーフェルト公爵夫人のエミーリアに見えるよねえ・・・?」
 「あの方はいったい何をしているのですか?!直ぐに止めさせなくては!」
 「ヘンリック、落ち着いて。今お前があそこに乗り込んで騒げば余計広まるよ?彼女のことは僕がなんとかするから、これを各部署に配って来てよ。それで、今日の仕事はおしまいね。」
 「えっ?!・・・本当に終わってますね。」
 「でしょ。エミィが城に来ている時はいつも前倒しで仕事進めてて良かった。じゃあ、そういうことで僕は彼女を回収に行くから、ヘンリックは帰っていいよ。」
 「そういう訳には!」
 「たまには早く帰って奥さんと子供と過ごしなよ。一歳だっけ、きっと帰りを待ってるよ。」
 ぐっと押し黙ったヘンリックは、逡巡してからため息をついた。
 「では、お言葉に甘えて本日は配り終えたら先に帰らせていただきますが、絶対に奥様を回収してくださいね!それから二度とこういうことはしないように言い聞かせておいてくださいね!」
 「うん、任せといてー。」
 
 山のような書類を抱え、部屋を出ていくヘンリックを見送って、僕はもう一度伸びをして肩を回す。
 あー全力を出して疲れた。これはエミーリアで癒やすしかないな。
 彼女のことを考えると、ひとりでに笑みがこぼれてくる。
 さて、今日も面白いことをしている彼女をどうやって捕まえようかな。
 一体何のためにしているのかわからないが、公爵夫人がメイドになって窓拭きをしているなんて、誰も想像もしないだろう。
 執務中は脱いでいた上着に袖を通して身なりを整える。
 そして、再度エミーリアのいる階に目を向ければ、彼女は相変わらず一生懸命に窓を拭いている。僕はしばらくその様子を眺めていた。
 
 あ、僕に気がついて、慌てて隠れちゃった。
 そんな態度をとれば正体をバラしているようなものだよ、奥さん。
 でも、今からあの部屋に行っても、掃除を終えていなくなっている可能性が高いな。
 
 とりあえず、彼女の変装を助けた人物なら、
 何のためにあんなことをしているか理由を知っているだろうから、まずそこへ行くか。
 僕は王太子妃の部屋へ向かった。
 
 
 「義姉上、エミーリアを迎えに来ました。」
 「あら、リーン様。今日はとても早いのね。残念だけど、エミーリアは今、用事で席を外しているわ。戻ってきたら貴方のところへ行くように伝えるから、ご自分の部屋でお待ちになってて?」
 
 まずは知らんふりで奇襲をかけたが、王太子妃である義姉は社交用の笑みを貼り付け、サラッと返してきた。さすが。
 周りの侍女も無反応だ。
 僕は室内を見渡す。エミーリアが隠れている様子はない。
 ・・・侍女の数が普段より少ない。エミーリアの見張りに出しているな。
 ならば、彼女の身に危険が及ぶ前には助けてもらえるだろう。そこは安心した。
 
 「そうですか、分かりました。義姉上、侍女を数人お借りしてもよろしいですか?」
 「ええ・・・どうされるの?」
 「簡単な頼み事を少々。君達、エミーリアの着てきたドレスと窓拭き掃除の用具を私の執務室に届けておいて。あ、掃除用具はわかりづらい窓の下に、ドレスは隣の部屋に入れておいてくれる?」
 「リーン様?!何を・・・!」
 「義姉上。見慣れない黒髪の黒縁眼鏡のメイドを見かけたのですが、ご存知ありませんか?」
 
 ひょいと投げかけると義姉上が氷の女王のような笑顔を浮かべた。背後が何やら黒い。
 
 「あら。もうお気づきになったの。本当に彼女に関することには、とんでもない能力をお持ちね。」
 「お褒め頂き光栄です。で、彼女の目的はなんですか?教えていただけないなら、エミーリアに外出禁止令を出さねばなりません。ヘンリックが怒ってましてね。」
 「夫なのに、ご存知ないの。あらあら。」
 
 僕の脅しにも一向に怯む様子がない。本当にこの人はやりにくい。
 ムッとしている僕に義姉上は勝ち誇った笑みで続けた。
 
 「彼女が言わなかった、というなら聞かないほうがいいのでは?大人しく帰りを待っていたほうが賢明よ。」
 「聞いてどうこうしようというわけではないのです。ただ、彼女の行き先を知りたいのです。まさか、メイドになって窓拭きをしたかった訳ではないのでしょう?」
 「そうねえ。私はまだ、エミーリアと話し足りないから、リーン様に彼女を持って行かれたくないのよねえ。」
 
 義姉上がにこやかに断ってきた。
 なにか代わりになるものはないかな。
 
 「そうそう、僕達は次の城での夜会に出席しますが、エミーリアはまだドレスを作ってないのですよ。義姉上、彼女をトータルコーディネートしてくれませんか?」
 「よろしいの?!リーン様、いつもご自分でおやりになって、誰にも手を出させないじゃない。いつかやってみたいと思ってたのよ!」
 
 王太子妃があっさり落ちた。僕だって本当は妻のドレスのデザインを人に任せたくはないが、今回は仕方ない。義姉は僕と趣味が同じでセンスも良いので、大丈夫だろう。
 いずれは義姉監修のエミーリアも見てみたいと思ってはいたのだ。
 
 「では、彼女が何故あんなことをしているのか教えていただけますね?」
 「仕方ないわねえ。まあ、エミーリアから口止めはされてなかったからいいでしょう。彼女は変装して騎士団詰め所に恋文を届けに行ったのよ。行って帰ってくるだけのはずだったのに、まさかメイドの仕事までするとは私も思わなかったわ。私も今度窓拭きを教わろうかしら?」
 
 呑気な義姉の台詞に、控えていた侍女達が青ざめて首を振っていたけれど、僕はそれどころではなかった。
 
 え?エミーリアは他に好きな男が出来たの?しかも、恋文を渡すくらい本気なの?いつ、僕のことを嫌いになったの?今朝一緒に登城してこの部屋の前で別れるまで、そんな気配全くなかったよね?どういうこと?
 
 人生最大のピンチに顔面蒼白になってぐるぐる思考していたら、恐る恐るといった体で年嵩の侍女が義姉に声を掛けた。
 
 「恐れながら、王太子妃様は肝心な部分を王太子補佐様にお伝えしておりません。」
 「あら、そうだったかしら?」
 
 並んだ侍女達が僕を気の毒そうに見ながら一斉に頷いた。
 肝心な部分ってナニ。相手の名前か?
 聞いたら瞬殺しそうなんだけど。
 緊張が頂点に達して今にも喚きだしそうな僕を見た義姉が、ぽんと手を打った。
 
 「ああ、エミーリアは頼まれ物の恋文を届けに行ったのよ。だから、そんなにショックを受けないで頂戴。」
 
 その瞬間、僕は安堵のあまり膝から崩れ落ちた。
 
 「義姉上、お願いですからその一番重要な情報を抜かさないでください。何もかも投げ出してエミーリアを担いで山奥にでも隠遁しようかと思ったではないですか・・・。」
 「情熱的なんだか、犯罪的なんだかわからない行動ね。」
 「なんと言われようと彼女を他の男にやるつもりはないですよ。一度手に入れたら二度と手放す気はないんです。」
 「相変わらず、重いんだから。」
 「兄上も同じじゃないかな。」
 「・・・どうでしょうね。」
 
 義姉が心当たりのありそうな顔をして明後日のほうを見る。
 一矢報いたと満足した僕は別れを告げて部屋を出ることにした。
 
 「では、黒髪のかわいいメイドを一人、捕まえに行ってきます。ああ、ミアにはいつもの時間に迎えに来るように伝えておいてください。くれぐれも邪魔をしにこないようにと。」
 
 ■■
 
 「ああ、もう!リーン様にエミーリアを持っていかれちゃったわ。今日はもう私のところに帰ってこないでしょうねえ・・・。」
 「そうですねえ。来週また来られるご予定ですから。」
 「今度こそ、リーン様に取られないようにしなくっちゃ。フェリクス様に頼んで、一日中会議でも入れてもらおうかしら。」
 「そうなると王太子妃様も夜まで王太子様にお会いになれませんがよろしいのですか?」
 「そうね。うーん・・・。」
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