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貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

グレイ・ルフナー(80)

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 サイモン様から聖地行きを申し付けられた後、僕は準備で忙しかった。宿泊予約と知らせを手配する早馬は飛ばし、株式の事や商会の引継ぎを済ませる。特にお得意先への挨拶は欠かせない。勿論三魔…夫人達への手紙とラベンダー精油も。

 僕が同行する旅なら自然、キーマン商会の船を使う流れになるだろう。そのつもりでソルツァグマ修道院で旅の打ち合わせをする。その代わりサイモン様は旅費を全額出して下さるそうだ。また、海を見てみたいとカレル様も参加する事になった。

 キーマン商会は何時もの事だから祖父や父に任せれば良いけれど、株式の事はそうもいかない。起こりうる事態を想定し、普段から僕を補佐してくれているジャン・バティストという男に言い含めた。判断を仰ぐべき事があればサイモン様に伺うようにとも。

 旅立つ前日に刷り上がった新聞を取り出す。広告欄には、

 『画期的な辻馬車事業拡大中! 株券はこれからどんどん値上がりして行くでしょう! 貴方も眠らせている資産を運用してみませんか? ご相談は王都一番街アンダイエ通り東三番地 株券取引所窓口まで』

 との文言が馬車の絵と共に踊っている。マリーに見せると、良い出来ね、と微笑んだ。
 キーマン商会の広告も勿論出している。

 『午後の優雅な一時。普段使いから王宮で飲まれる特別なものまで茶葉を各種幅広く取り揃えております。王都土産にも。お求めは王都一番街トワネット通り西一番地 キーマン商会まで』

 これらの広告がどれだけの効果を生み出すか。結果が楽しみだと言うと、マリーはちょっとした仕掛けをしておいたという。
 新聞をパラパラとめくると、辻馬車の株券を買った貴族へのインタビュー記事があり、また別のページには何と『お茶の楽しみのコラム』が。
 読むと、何とお茶会の先駆者としてのティヴィーナ様に取材する形で書かれたものだった。
 このように読者を誘導するの、とマリー。成る程これならば売れるかも知れない。

 「広告を出す需要が増えてくればそれ専門の事業を起こした方が良いかもしれないね」と言うと、彼女もそれを考えてはいるという。

 「だって誕生日の新聞事業は半分しか株式貰えなかったしね」とちろりと舌を出した。

 そんな事を話しながらも僕達は街道を進んでいく。少し酔ってきたので外の風景に目をやる。遠くを眺めている内、僕はこれまでの疲れもあり。馬車に揺られながらうとうととしてしまっていた。



***



 唇に何かが触れる感触と、誰かの忍び笑い。僕はうっすらと意識が浮上した。

 「あ、起きた?」

 目の前に座るマリーが笑いを堪えている。横に座るカレル様を見ると、「すまん、こっち向かないでくれ!」とゴホゴホとワザとらしい咳をしながら顔を背けられた。
 再びマリーの方を向くと、侍女のサリーナが鏡をこちらへ向けている。そこに映っていた自分の顔を見て、僕は仰天する。眉墨が引かれ、口紅が塗られていたからだ。ご丁寧に頬紅まで。

 「うわああああ、僕の顔が!」

 僕の悲鳴に馬車の中がどっと笑いに包まれた。

 「ごめんね、だってぐっすり眠ってて。化粧をしてもちっとも起きなかったから、つい」

 マリーが目尻を拭いながら水に浸したハンカチを渡してくる。鼻の穴に細い焼き菓子を突っ込む悪戯も考えたんだけど、それは流石に止めておいたから、と言われた。僕が恐怖に慄いていると、旅行等ではよくある事らしい。いや、僕はそんな事聞いた事もないけれど。
 カレル様には「化粧はまだマシな方だぞ」と言われた。鼻の穴にお菓子、昔マリーにやられた事があるらしい。
 勿論やり返したけどな! と笑うカレル様。麗しの月光の君に心酔している御令嬢が聞いたら卒倒する事だろう。



 そんな愉快なハプニングに見舞われつつ、馬車は南の港町ジュリヴァへ向けて流れるシャンブリル川沿いの街道をひた走る。宿場町メイユで分かれた街道を東へ。道なりにずっと進んで行くと、やがてパント伯爵の領都ブールドーに辿り着いた。

 ブールドーの特産品は腸詰とワイン、チーズ、絹や羊毛といった織物全般。ガリア北方の峻厳なグラセタルネール山脈からの清水が澄んだ湖水を作り、そこから流れる川が豊かな恵みをもたらしている。

 マリーは宿の前にブシュ(藁束や松ぼっくり付きの松の枝)が置かれているのを不思議がっていた。立派な看板を持つ王都の貴族が宿泊するような高級宿には流石に無いが、普通の宿屋には大抵見られるブシュ。地方の高級宿には藁束に花飾りを飾った豪華なものが置かれている。
 彼女は宿に泊まった経験が無いので知らないのだろう。僕の説明を興味深そうに聞いていた。藁束は馬の手入れをする事から宿を意味し、また松の枝は酒の神の象徴である事から酒場の存在を意味している。

 高級宿に到着して落ち着くと、僕はパント伯爵邸に先触れを出した。

 実はパント伯爵は母方の親戚にあたる。というのも、僕の母方の祖母オルタンスはパント伯爵家の出だからだ。
 祖母は結婚したものの夫婦関係が上手く行かなかったらしい。出戻った祖母は家の恥さらしだと父親のパント伯爵から勘当され、厄介払いとばかりに漁村ナヴィガポールを含む周辺の領地を与えられ、当時の代官バスチアン・モンティレを入り婿にルフナー子爵家を興したという経緯がある。
 二人は現在、世界を見て回って余生を過ごしたいと旅に出てしまっている。外国にあるキーマン商会の支店から時々連絡が入っているので元気にやっているのだろう。ナヴィガポールは祖父バスチアンの弟、レイモンが代官をしてくれている。
 僕の母レピーシェの代で父ブルックが婚姻を結んだ事で、ナヴィガポールはキーマン商会専用の交易港町として発展した。
 それまではジュリヴァの港で高額の税金を取られていたのが、港町を得た事で大分経費削減になったそうだ。

 それはさておき。

 今現在、パント伯爵邸には前パント伯爵、母レピーシェの母方の叔父に当たるヤニク様が隠居されている。先触れの者が帰ってきた後、マリーやカレル様達を連れて挨拶に赴くと、大層な歓迎を受けた。



 領都ブールドーを後にすると、王都方面へ向かう馬車はキーマン商会のものが増えてくる。
 吹いて来る風に僅かに潮の香りがしたような気がして僕は窓から顔を出した。行く先の彼方には、懐かしきナヴィガポールの教会の尖塔が見えて来ていた。
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