悲恋脱却ストーリー 源義高の恋路

和紗かをる

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1章 風と山と雲のとき

1-2

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 その後、村で噂が立った。
 義次と華が結ばれた、というものだ。
 実際その話を聞いたときは即座に否定しようと義高は思ったが、当の華は否定せず、また結果としてそちらのほうが今は良いと判断した安田家平も、その妻女を義高に会わせ、内々の事だが、末永くと挨拶させた。
 こうなっては、既成事実として受け入れるしかない。
 待遇も変わり、山奥は変わらないが、安田家の至近に部屋を与えられ、いざ何事が起きれば、各地の村の男達を纏める役職を与えられた。
さらに弓の扱いも認められ、狩人だけでなく安田家の下士に弓を教えるようになった。
 安田家の下士は少なく十人も居ないが、それでも皆自分を武士の一員と信じる一団だ。
 狩人より基礎は出来ているが、若輩の義高を無視する輩もいた。
 安田家平が義高の素性をはっきりと公表しなったという事もある。源氏の一翼、平家を京から追いだした旭将軍、木曽義仲の一子と知れば、武士を志すものなら反抗しなかっただろう。だが家平は義高を吉次由来の坂東武者の子、しかもすでに没落している家の出と皆に紹介した。
 義高はそれで構わなかったのだが、無視されるのはさすがに辛かった。 
 しかし、それを何とかするには本当の名を告げなければならない。今や義父となった家平の手前、義高にそれは出来なかった。
 そんな中途半端な日々が続く中、救いはやはり華だった。
 この頃の風習として、婚儀を挙げていない男女の場合は、通い婚が普通だった。
 義高の方から華の部屋を訪れるのだ。 
 これが貴族や上流の武士の娘ならば、顔を隠し部屋を真っ暗にして相手を待つのだが、華は違っていた。 
 障子を開けて部屋に月光を招きいれ、まっすぐに義高の顔を見るべく座って待っている。華曰く、真っ暗闇では間違えたら困るとの事。
「もはや堂々としたものだな、華」
 初めて訪れた時は、義高の顔をまっすぐに見ながらも恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていたのだ。
 華の部屋に入り、安田家平から渡された簡素な拵えの太刀を渡す。 
 華はそれを両手で受け取り、式台の上に置く。その姿だけ見ればもうすでに義高の妻の様だが、実際の所、義高と華は本当の意味では夫婦になっていない。
 肌を合わせた事はもちろん、口を吸い合ったことさえないが、華はいつ義高が部屋を訪れても幸せそうだった。
「今宵はまるで、姫のようではないか?」
 いつもの華であれば短袴を履き、腿まで出して駆け回っているのが普通だったが、今日の華は淡い水色の小袖などを着ている。
「似合わぬかな義次、母上から言われた、妻とはこういう物だと無理やりに」
「そうだろうと思っていた、自ら小袖を好んで着る華は、想像してなかったからな」
「本当に義次はいやなお人じゃ、これでも無理して頑張ったと言うに」
 ぷいっと横を向く華。
だがその実、手は義高の手に伸ばしてくる。
 義高は逆らわずに華の手をとり、そのまま引っ張って背後から華を抱きしめる。
「やわらかいな、義次の体は張りがあって強そうに見えて、その表面は柔らかく温かい」
「それはお前のほうだ華、しかしな・・・・・・」
「みなまで言わずとも良いよ義次、そなたに想い人が居るのは気付いているし、それを責める気はあたしには無い、だがそれは義次ではないのであろ?」
「あ、ああ、彼女は私が義次と名乗っているとは、夢にも思うまい」
「ならば良しじゃ義次、あたしは義次の妻、それ以外はそれ以外のこと」
「いいのか?」
「義次は義次であろ?あたしはそれで構わない」
 くるりと華は姿勢をかえて、ぐっと義高の瞳を覗き込む。
 くりくりとした悪戯者っぽい瞳が、目の前で踊っている。
「華」
 ぐっと抱きしめ、口元を寄せようとしたとき、突然母屋で人が騒がしく動き出した。
 まさか、鎌倉殿の討手が来たのか。
 体が硬直し、華の体を離し、式台の太刀を手に取る。弓は無い、自分の部屋に置いて来てしまった。
「待って!」
 取りに戻ろうかと逡巡していたら、華が自らの小袖を裂き、義高の袖に巻きつける。太刀を振るのに袖が邪魔になると即座に判断したのか。布一枚の差で生死を分かつこともあると知っているのだろう。
「華、そなた」
 小袖を脱ぎ捨てた華は、いざとなれば義次を守って戦おうと、部屋の隅に隠していたのか長刀を取り出し、義高の背後を守るように動く。
「巴御前の前例もある、あたしが義次を守る!」
 じわっと温かい物が、義高の胸に湧き上がってくる。
 今までこんな事を言ってくれたのは、義高の人生で三人だけだった。
 海野、望月ら木曽以来の誠の友と、今は離れている妻の大姫だけだ。その三人が三人とも今は遥かに遠い鎌倉の虜だ。
「よい、華、思い違いかも知れぬのだぞ」
「それでもっ、いつでも、ここでも戦場でも、あたしが義次を守る」
 渡り廊下を人が近づいてくる音が聞こえてくると、華は義高の前に立ち長刀を構える。
 もしこのまま障子が開けば、出会いがしらに斬ってしまいかねない気負いを感じる。
「まて、安田の郎党かも知れぬ、それを華が斬るのか?」
「斬ります、それが義次の仇になる者ならば誰であろうと、それでも母は褒めてくれましょう」
 武士の娘とは、鄙の村の土豪とは言え、強いものだ。いや鄙の土豪だからこそか。
自分のどこにそれだけのものが?と思わないでもなかったが、義高は鞘に入ったままの
太刀で優しく長刀をそらし、自ら障子を引いた。
「おおっやはりここに居なさったか、殿が緊急の用で話があると母屋でお待ちです」
 来たのは想像した通り、安田家の郎党で義高も顔を知る助吉だった。
「わかりました、すぐに参ると伝えてください」
 助吉は部屋の中で長刀を構える華を一瞥すると、軽く一礼して去っていった。
「ほらな、華の早とちりだ」
「ふっふん、最初は義次のがあせっておったよ、青い顔してな」
「ふふ、まぁそういうことにしておくか、では行ってくる」
太刀を腰に挿し、衣服の上にきゅっと縛ってあった小袖をはずし、上半身をさらけ出している華にそっとかけてやる。
「義次・・・・・・」
「案ずるな華、良くない事ならばわざわざ呼び出さずに夜討ちしていてもおかしくない、それが監視も残さずに去ったのだ、信じている」
 そなたの父を信じていると言えば安心するだろうか?しかし義高は安田家平を本当に信じているわけではない。
 言うなれば、吉次と同じような者だと思っているだけだ。
 信じているのは己と、己を守ると誓った華の言葉だけだった。
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