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このまま、眠らせてほしい。

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キリアスの恐ろしい姿を見たのは、先の白夜狐も初めてだった。最後に一目、巫女の姿を見ようと思った彼が、目にしたのは、翼を持つキリアスの姿だった。どうして、ここに、彼女が追いかけてきたのか、思案したが、真冬が頼んだのに違いないと確信した。ここに来れるのは、犀花のみ。ただ、犀花の中にはキリアスが居て、いつ、どのタイミングで目覚めるのか、わからなかった。目の前に広がる光景は、今、まさに、神殿の屋根を突き破って、空へと舞い上がるキリアスの姿だった。
「余計な事を」
キリアスが何をしようとするのか、一目瞭然。自分の前世の姿だとしても、彼女は、魔女へと堕ちた運命を呪っている。全てを、元に戻す為、巫女を供物として、捧げに向かっているのだ。自然な形で、神女にならなければ意味がない。キリアスの行おうとして向かっていのは、現代でも、継続して噴煙を立ち昇らせる噴火口だった。
「生贄ではない」
先の白夜狐は、ためらった。このまま、見ないふりをして、立ち去ろうかと。だが、やはり、眷属の長として、神女の安全を守る務めがあった。
「キリアス!」
先の白夜狐の姿が、変貌していった。長い耳は、銀色に輝き、幾つもの尾が宙に舞っていた。
「どこに、行く?」
「見つけるはずが、見つけられるとはね」
キリアスは、笑いながら、巫女を掴んでいる両手に力を込める。長い爪先が、身体に食い込んで、巫女は、思わず顔を顰める。
「この女が、私の始まりなら、全て、替えるつもり」
キリアスの翼は、力強く、空を切る。
「そのまま、火の神に、放り込もうというんじゃ!」
「その通りよ。骨のかけらも残りやしない。何もなかった。何も、起こらなくなるわ」
「キリアス。君は、真実を知らない。君を助ける為に、犠牲になった者がいた事を知らない。」
「知らないわ。そんな話」
キリアスの翼は、大きく、噴火口まで、後僅かに近づいていた。
「君の魂は、細かく砕け散ってしたんだ。通りかかった聖女が、なんとか、救いdそうとしていたが、どうしても、一欠片、足りなくて、元に戻せなかった」
「だから・・・未完成だというのかい」
「違う。そうじゃない。聖女は、自分の命を削ったんだ」
「はぁ?私に?」
キリアスは、信じようとしなかった。
「この私に?聖女が?」
キリアスの動きが、少し、止まった。先の白夜狐は、それを見逃さなかった。背負っていた弓矢を放ち、キリアスの翼を射抜く。力の抜けた腕からは、巫女は滑り落ち、地上へと落下しそうになった。
「待って!」
先の白夜狐は、両腕で、しっかり抱えあげた。
「嘘を言って、私の気を逸らせたな」
地上に降りた先の白夜狐を追いかけ、キリアスも降り立つ。片側の翼の真ん中を射抜かれ、キリアスの顔は、苦痛に歪む。
「お前だって、この女がいなくなればいいと思っているだろう」
翼に刺さっている矢を、抜き取ると、先の白夜狐に叩きつける。
「私のどこに、聖女の魂が、混ざっている?」
「助けられたから、今がある。やり直すためのね。キリアス。魔猫が言っていた。聖女がいなければ君は、消えていなかった」
キリアスは、黙って、気を失っている巫女の顔を見つめている。
「君だって、最初は、そうではなかった筈だ」
「私は、望んで、戻ってきているんではなかった・・・お前は、私の復活を願って、この国から、西の国へと旅立たせた。魔女となった時も、私は、戻りたいなんて、少しも、思っていなかった」
キリアスは、優しく巫女の頬を撫でていた。
「神女になっても、ならなくても、お前は、私を西の国へと追いやるだろう。それなら、灰になった方がいいんだ」
キリアスの両目からは、涙が、溢れていた。
「黙って、眠らせてくれたら、良かったのに。戻ってきたから、憎しみまで、戻ってくるではないか」
「キリアス・・」
先の白夜狐は、巫女を腕に抱いたまま、キリアスを見上げた。両目から、涙を流していたキリアスの背中からは、あの恐ろしい翼は消えていた。
「キリアス?」
キリアスの気配が消えていくのが、わかった。彼女の翼は、完全に消え、目の前には、穏やかな顔をした犀花が立っていた。
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