誰にも読まれなかった五千話、それでも僕は君のために書き続けた

本能寺から始める常陸之介寛浩

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第11話 『読まれなかった掌編が、どうしても捨てられなかった夜』

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 “この話は、たぶん誰にも読まれないだろうな”――

 そう思いながら、朝倉一真はひとつの掌編をアップロードした。

 夜の1時、月も雲に隠れて見えなかった。
 肌寒い四畳半の部屋で、冷めたインスタントコーヒーをすすりながら、彼は数年前に書いた原稿ファイルをひとつだけ開いた。

 タイトルは『いなくなった人の声が、まだ耳に残っている』。

 短い話だった。
 1500文字足らず。
 ジャンルは恋愛未満の、人間関係未満の、ただの“感情の抜け殻”のような独白劇。

 投稿サイトのタグ付けもしなかった。
 目を引くサムネもタイトル装飾もなし。
 ランキング狙いでも、SEO狙いでもなかった。

 だからこそ、彼にはわかっていた。

 ――誰も読まない。
 いいねも、コメントも、感想も、ゼロのまま過ぎていく。

 けれど、その夜だけはどうしても「それでもいい」と思えた。
 心のどこかで、“誰かが通りかかってくれるかもしれない”と、まだ夢を見ていた。

 投稿ボタンを押して、3日が過ぎた。

 結果は、やはり想像通りだった。

 PV:1(おそらく自分)
 ♥:0
 感想:なし

 フォルダ内の他の掌編は、似たような扱いを受けてきた。
 そんな作品を、彼は時折まとめて消去していた。

 HDDの空き容量が少なくなるたびに、“誰にも読まれなかった物語”を、静かに削除してきた。

 けれど、この掌編だけは、なぜか削除できなかった。

 それは、自分の中に“いなくなった誰か”の影をはっきりと残していたからだ。

 思い出すのは、あの人の声。

 名前はもう忘れてしまった。
 ネットの創作掲示板でだけつながっていた。
 実名も住所も知らなかったが、彼女はいつも「小さな話」を書いていた。

 季節の匂い、別れの気配、温度のない言葉。
 そういうものに、彼女は名前をつけて残していた。

 ある日、彼女は突然いなくなった。
 「これからちょっと忙しくなります」と最後に書き残して、アカウントごと消えた。

 その人に向けて書いた掌編だった。
 たぶんもう、彼女は読まない。
 そもそも存在すら忘れているかもしれない。

 それでも、その夜の自分が「君にだけは届けたかった」と書いた事実が、
 彼をこの作品に縛りつけていた。

 その晩、一真は久しぶりにその掌編を読み返した。

『声が、耳に残っている。
 名前はもう思い出せない。顔も、もうぼやけている。
 でも、確かに“その人”がいた季節を、僕は今も生きている。
 誰かが忘れてしまっても、僕は忘れない。
 それはもう、呪いみたいな祈りになってしまったけれど――』

 読み終えたあと、彼はそっと画面を閉じた。
 涙は出なかった。ただ、静かだった。

 ファイルを右クリックする。
 「削除」という選択肢にカーソルを合わせて、指を止める。

 思えば、これまで何度もこの場所に指を置いてきた。
 でも、結局はキャンセルを押して、フォルダの奥に戻してきた。

 今回も、そうだった。

 そのまま、彼はPCを立ち上げ直して、いつもの連載作品の続きを書き始めた。

『捨てられなかった記憶は、時に武器より重い。
 でも、それを捨てずに歩く者だけが、いつか“誰か”に出会うことができる。
 だから老兵は、今日も歩いた。
 忘れられた掌編を、ポケットにしまいながら。』

 タイトルを打つ。

『読まれなかった物語を、今日もポケットに入れて』

 保存。投稿。完了。

 数分後、画面の右上に通知が灯る。

 ♥1

 runa0213。
 名前も、顔も、声も知らない。
 でも、その人だけが、彼の物語を一つひとつ確かに見てくれている。

 今夜も、きっと気づいてくれたのだろう。
 掌編の存在に、ではなく、
 その“物語を捨てられなかった自分”に。

「ありがとう……。
 君が押してくれたこの♥が、
 あの掌編の、“感想欄”の代わりになってくれた気がするよ」

 翌朝、彼は削除フォルダを整理しながら、
 その掌編ファイルだけを、ひとつの特別な場所へ移した。

 “未読の声が届く場所”という名前のフォルダだった。

 そこには、いくつもの忘れられた話が詰まっていた。
 でも、それらはもう、“捨てる候補”ではなかった。

 読まれなかった物語にも、居場所はある。
 そして、それを守る“誰か”がいる限り、彼はまた書き続けられる。
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