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第1章『うんちと再誕』
第2話『名前はヒロヒロ、種族は聖糞虫』
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その朝、世界はまだ湿っていた。
朝露が地面に落ち、草の先で光っている。
小さな地上には、音もなく命が流れていた。
──ザシュッ。ザザッ。
六本の脚を使いこなせるようになるまでに、彼はおおよそ二時間を費やした。
それでも人間としての感覚が残っていたせいか、「歩く」という行為が、驚くほど難しかった。
「ちょ、前脚が勝手に! あ、ああ!? 尻で転がしちゃダメだってば! 後ろに回して! 後ろッ!」
独り言が多い。
虫の世界に転生したラノベ作家・常陸之介 寛浩、いや──
「虫になっても、名前はヒロヒロ……でいいか……」
口もないのに、そうつぶやいた瞬間。
背後の草むらが、ざわめいた。
「──名前、だと? やはり“名持ち”か」
低く、湿ったような声だった。
土の中から、ずずっ……と浮かび上がってきたのは、一匹の甲虫。
全身に苔をまとうような翡翠色の甲羅。目が合った瞬間、その存在感にヒロヒロは息を呑んだ。
「わ、わぁっ!? お前、でかっ!? 何者──!」
「余は《カンブリオ・ドルム》──聖糞宮の記録守虫(きろくもりむし)にして、この谷の観測者」
「記録守虫……? なんかファンタジーっぽい名前出てきたな……」
「貴様……まさか……フンを転がしていたな?」
「う、うん……というか、転がさずにはいられなかったっていうか……」
「……やはり。そうか……ついに、聖糞虫が再誕したのだな」
「……はい?」
その場に流れる空気が、ほんの少しだけ重くなった。
カンブリオ・ドルムと名乗った虫は、ヒロヒロをじっと見つめていた。
「名を持ち、自ら意識してフンを転がす者──それが“聖糞虫(せいふんちゅう)”である」
「貴様……かつて人の世にいたか?」
「えっ、えっ……まさか、知ってるの……?」
「聖糞虫とは、命の循環を理解し、フンの尊さに気づいた者にのみ与えられる、選ばれし種族」
「フンの声を聴き、世界の鼓動を読み、命の起点を運ぶ者──それが貴様の種、聖糞虫の役目だ」
「うわ、なんか……めっちゃ偉そうじゃん、俺」
「……実際、偉い。いや、偉くあってもらわねば困る」
「プレッシャァ……」
ヒロヒロは軽く気絶しかけた。
虫のくせに。
カンブリオに導かれるまま、彼は森の奥へと連れていかれた。
そこには“球体”がいくつも転がっていた。
大きいもの、小さいもの、黒光りしているもの、白濁したもの。
「これは……全部、うんち?」
「否。魂の塊である」
「余計に怖い!」
「ここは《聖糞宮(せいふんぐう)》──かつて選ばれし転がし手たちが、そのフンを奉納した神殿跡」
カンブリオが前脚で軽く撫でると、ひとつのフンが淡く光った。
「これは……」
「500年前、“星落ちの大便”と呼ばれた隕石型フン。かの黒転神が転がし、惑星衝突を回避したとされる」
「星を、うんちで?」
「うむ。伝説であるが、記録には確かに残っている」
ヒロヒロは絶句した。
でも、なぜかすこし納得してしまっている自分がいた。
「……なんか、俺……わかる気がする」
「うむ、そうだろう。うんちは、終わりであり始まりだ」
「食べたものは、排泄され、土へ返る。やがて草となり、命を育てる」
「つまり……うんちは、“命のリレー”ってことか……」
「その通り。フンを転がすということは、“命を運ぶ”ことに他ならぬ」
「そして、聖糞虫たる者、フンにこもる記憶と声を聴く力を持つ」
「……記憶?」
「聖糞とは、ただの汚物ではない。その者が生きた証、食べた物、感じた感情──すべてが残っている」
「フンを読むとは、すなわち“その者の一生を読む”ということ」
「……それ、俺……書いてたな、小説で……」
ふいに、思い出す。
人間だった頃──
誰かの気持ちを想像し、物語を紡ぎ、行間に“命”を宿すようにしていた日々。
あれと、似ていた。
うんちを読むことは──命の物語を受け取ることだった。
「では、名を刻もう。おぬしの名を、この聖糞帳に記録する」
「えっ、まじで儀式!? え、でも寛浩って虫には言いづら──」
「人の名を捨てよ。新たなる世界において、おぬしの名は──ヒロヒロ」
「えっ、それでいいの?」
「おぬしがそう名乗った。それで良い」
「名は“転がす者”を形作る力を持つ」
ヒロヒロの名が、土の板に刻まれた。
それが、彼の正式な“再誕”だった。
「ようこそ、聖糞虫ヒロヒロ。フン界はおぬしの到来を待っていた」
ヒロヒロは、神殿の高台からあらためて世界を見渡した。
うんちが光り、虫たちが命を営み、草花が風に揺れ、太陽が優しく照らす──
かつての現世のような、冷たいランキングも、罵倒も、絶望もない。
ここには、ただ“命を繋ぐ者たち”の物語があるだけだった。
「……悪くないな、この世界」
その手には、転がし途中のフン。
彼は、にやりと笑った。
虫だけど、笑った。
「さて、俺は──どんな命を、転がしてみせようか」
次なる“物語”を、彼はその手で──いや、脚で──転がし始める。
朝露が地面に落ち、草の先で光っている。
小さな地上には、音もなく命が流れていた。
──ザシュッ。ザザッ。
六本の脚を使いこなせるようになるまでに、彼はおおよそ二時間を費やした。
それでも人間としての感覚が残っていたせいか、「歩く」という行為が、驚くほど難しかった。
「ちょ、前脚が勝手に! あ、ああ!? 尻で転がしちゃダメだってば! 後ろに回して! 後ろッ!」
独り言が多い。
虫の世界に転生したラノベ作家・常陸之介 寛浩、いや──
「虫になっても、名前はヒロヒロ……でいいか……」
口もないのに、そうつぶやいた瞬間。
背後の草むらが、ざわめいた。
「──名前、だと? やはり“名持ち”か」
低く、湿ったような声だった。
土の中から、ずずっ……と浮かび上がってきたのは、一匹の甲虫。
全身に苔をまとうような翡翠色の甲羅。目が合った瞬間、その存在感にヒロヒロは息を呑んだ。
「わ、わぁっ!? お前、でかっ!? 何者──!」
「余は《カンブリオ・ドルム》──聖糞宮の記録守虫(きろくもりむし)にして、この谷の観測者」
「記録守虫……? なんかファンタジーっぽい名前出てきたな……」
「貴様……まさか……フンを転がしていたな?」
「う、うん……というか、転がさずにはいられなかったっていうか……」
「……やはり。そうか……ついに、聖糞虫が再誕したのだな」
「……はい?」
その場に流れる空気が、ほんの少しだけ重くなった。
カンブリオ・ドルムと名乗った虫は、ヒロヒロをじっと見つめていた。
「名を持ち、自ら意識してフンを転がす者──それが“聖糞虫(せいふんちゅう)”である」
「貴様……かつて人の世にいたか?」
「えっ、えっ……まさか、知ってるの……?」
「聖糞虫とは、命の循環を理解し、フンの尊さに気づいた者にのみ与えられる、選ばれし種族」
「フンの声を聴き、世界の鼓動を読み、命の起点を運ぶ者──それが貴様の種、聖糞虫の役目だ」
「うわ、なんか……めっちゃ偉そうじゃん、俺」
「……実際、偉い。いや、偉くあってもらわねば困る」
「プレッシャァ……」
ヒロヒロは軽く気絶しかけた。
虫のくせに。
カンブリオに導かれるまま、彼は森の奥へと連れていかれた。
そこには“球体”がいくつも転がっていた。
大きいもの、小さいもの、黒光りしているもの、白濁したもの。
「これは……全部、うんち?」
「否。魂の塊である」
「余計に怖い!」
「ここは《聖糞宮(せいふんぐう)》──かつて選ばれし転がし手たちが、そのフンを奉納した神殿跡」
カンブリオが前脚で軽く撫でると、ひとつのフンが淡く光った。
「これは……」
「500年前、“星落ちの大便”と呼ばれた隕石型フン。かの黒転神が転がし、惑星衝突を回避したとされる」
「星を、うんちで?」
「うむ。伝説であるが、記録には確かに残っている」
ヒロヒロは絶句した。
でも、なぜかすこし納得してしまっている自分がいた。
「……なんか、俺……わかる気がする」
「うむ、そうだろう。うんちは、終わりであり始まりだ」
「食べたものは、排泄され、土へ返る。やがて草となり、命を育てる」
「つまり……うんちは、“命のリレー”ってことか……」
「その通り。フンを転がすということは、“命を運ぶ”ことに他ならぬ」
「そして、聖糞虫たる者、フンにこもる記憶と声を聴く力を持つ」
「……記憶?」
「聖糞とは、ただの汚物ではない。その者が生きた証、食べた物、感じた感情──すべてが残っている」
「フンを読むとは、すなわち“その者の一生を読む”ということ」
「……それ、俺……書いてたな、小説で……」
ふいに、思い出す。
人間だった頃──
誰かの気持ちを想像し、物語を紡ぎ、行間に“命”を宿すようにしていた日々。
あれと、似ていた。
うんちを読むことは──命の物語を受け取ることだった。
「では、名を刻もう。おぬしの名を、この聖糞帳に記録する」
「えっ、まじで儀式!? え、でも寛浩って虫には言いづら──」
「人の名を捨てよ。新たなる世界において、おぬしの名は──ヒロヒロ」
「えっ、それでいいの?」
「おぬしがそう名乗った。それで良い」
「名は“転がす者”を形作る力を持つ」
ヒロヒロの名が、土の板に刻まれた。
それが、彼の正式な“再誕”だった。
「ようこそ、聖糞虫ヒロヒロ。フン界はおぬしの到来を待っていた」
ヒロヒロは、神殿の高台からあらためて世界を見渡した。
うんちが光り、虫たちが命を営み、草花が風に揺れ、太陽が優しく照らす──
かつての現世のような、冷たいランキングも、罵倒も、絶望もない。
ここには、ただ“命を繋ぐ者たち”の物語があるだけだった。
「……悪くないな、この世界」
その手には、転がし途中のフン。
彼は、にやりと笑った。
虫だけど、笑った。
「さて、俺は──どんな命を、転がしてみせようか」
次なる“物語”を、彼はその手で──いや、脚で──転がし始める。
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