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第一章 暗闇は深く
第6話 似ている人
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オフィスの入口を前にした途端、昨日の絶望に似た感情が鮮明に思い出された。
胸をぎゅっと抑え、逃げたくなる足を必死で止める。
村上さんからの執拗な指摘は、今日も逃れられないだろう。
京介のことで傷ついた心に、さらに追い打ちをかけられる。
そう考えただけで、どうしようもなく憂鬱だった。
立ち止まることほんの数秒。
重い気持ちを振り切って、なんとかオフィスの扉を開ける。
「おはようございます」
小さめの挨拶を交わしながら自席にいくと、隣の席にいた夏目さんがスマホを閉じてこちらに椅子を回転させた。
「木崎さん、おはようございます!」
「おはよう」
なんだか機嫌が良さそうな彼女を不思議に思いながら席に着く。
少し離れた座席では、村上さんが朝からエンジニアに捕まっていた。
険しい表情で腕を組んだエンジニアにペコペコと頭を下げている。
朝は、声をかけられることはなさそう……。
忙しそうでこちらに来る気配はない姿に、正直ほっとした。
「木崎さん、これ人事から届いてたんですけど……」
椅子のキャスターを滑らせて隣にきた夏目さんに私は視線を戻す。
差し出された書類の束に、私はほんの少し目を通して彼女に概要を伝えた。
「先週言ってたエンジニアさんだよね。藤堂さんだっけ?もう来週からだから、今日のうちに環境周りの準備終わらせられる?分からないところは一緒にやるから」
「あ、そうだそうだ!『アルカ』のための増員でしたよね!」
自社で運用しているRPG『エターナル・アルカ』、通称『アルカ』は、キャラクターグラフィックに定評があり、老若男女に支持されている大ヒット作。
リリースから5周年を迎えた最近は大型アップデートやイベントも増え、サーバー負荷や運用体制がギリギリだと、何度も話題に上がっていた。
運用体制を整えるために中途採用に力を入れている昨今、新しいエンジニアのための準備は珍しいことじゃない。
もう何度か経験しているはずの準備なので、全てできるだろうと夏目さんにお任せすることにした。
「ねえ、木崎さん」
夏目さんが声を潜めて、履歴書の証明写真を指で叩く。
分からないことがあったのかと顔をあげると、にこにこした彼女は嬉しそうに続けた。
「この藤堂さんって方、超イケメンじゃないですか?こんなに素敵なのに経歴までかっこいい!個人事業主のフルスタックエンジニアなんて絶対稼いでますよ!」
朝から機嫌がよかった理由を察して私は眉を下げて笑った。
「夏目さんの好み?担当できるといいね」
適当に相槌を打ちながら、私は書類に目を落とす。
けれどその内容に目を通すよりも先に、電話のベルが鳴り響いた。
それを皮切りに、別の席でも、また別の席でも、立て続けに音が重なる。
「え、ログインできない……?」
「管理画面落ちてる、待って」
電話を取るのと同時に社内の声が聞こえてくる。
エラー……?
電話対応をしながらエンジニアのデスクを見ると、『アルカ』の管理用ダッシュボードにエラーメッセージが表示されているのが見えた。
——『アルカ』で、障害が発生している。
SNSトレンドにも上がるほどの大惨事に、社内の空気は張り詰めたものへと変わっていく。
アシスタントの私たちはカスタマーサクセスの補助へと周り、電話対応に追われることとなった。
_/_/_/_/_/_/
「手を止めずに聞いてほしい!」
部長の声がオフィスに響いたのは、出社して二時間ほど経った頃だった。
キーボードを打つ手を止めることなく、フロア中の意識が一斉に向けられる。
「来週から業務委託で入ってもらう予定のエンジニアが協力してくれることになった!」
大きな障害となっているこの状況に、新しい方を入れるようなことをして大丈夫なのだろうか。
ざわざわと不穏な空気が流れる中、部長は扉に目を向けて廊下にいるのであろうその方に入るように促した。
「ちょうど挨拶に来てくれていた藤堂柊真さんだ。バックエンドからインフラ、運用まで一通り対応できるエンジニアだ。高負荷なオンラインサービスの運用経験が豊富で、以前一緒に仕事をしたこともあるんだ。彼の実力は保証する。指示に従ってくれ!」
部長の話は、社員にはあまり届いていないようだった。
オフィスの入口に立つスーツ姿の長身の男性に、社員の視線はあっという間に奪われる。
背筋をまっすぐに伸ばし、涼やかな目で周囲を見渡すその姿に、自然とざわめきが起こった。
「あの人が即戦力のエンジニア?すっごく若く見えるのに」
「超イケメンだし、スタイル良。モデルって言われても納得する……」
混乱の中でも、彼のオーラはひときわ目を引いた。
「藤堂です。よろしくお願いします」
藤堂さんはそう一言だけ言うと、雑音を気にする様子もなく、まっすぐシステム部の席へ向かう。
「早速、状況を教えてください」
椅子に腰を下ろすや否や、迷いのない声が飛んだ。
「障害が出ているサーバーはどこですか。全台? それとも一部だけ?」
「えっと……一部です。ログイン周りと、イベント配信サーバーが——」
話しかけられた若手のエンジニアは、慌てた様子でなんとか受け答えをする。
「DBは生きてます?」
「えっと……」
「はい、DBの動きは確認できています」
詰まったところを坂本さんが引き継いで藤堂さんの隣に立った。
藤堂さんは坂本さんの迷いのない言葉にほんの少しだけ頬を緩めて、頷く。
「じゃあ、アプリ層ですね。ログ、直近一時間分だけでいいので全部出しましょう。あと、負荷が跳ねた時間帯のグラフ見えます?」
質問が速く、的確で、無駄がない。
指示を受けたエンジニアたちが、反射的に動き出すのが見えた。
「……すご」
「優秀って本当だったんだ……」
アシスタント職の席にいても、システム部の雰囲気がみるみるうちに変わっていくのが伝わってくる。
「復旧優先で行きましょう」
まるで、最初からこの現場にいたかのような手際。
彼の言葉が、ばらばらだった音を一つの流れに整えていく瞬間だった。
私はその様子を見つめながら、どうしてか昨夜のことを思い出していた。
——似ている、気がした。
立ち姿や、落ち着いた所作。
整った横顔にパーマの似合う切れ長の目。
けれど、すぐに違和感が浮かんで私は首を左右に振った。
声が、違う。
昨夜の彼の声は、もっと柔らかくて、包みこんでくれるような温度があった。
今、聞こえてくる的確すぎる声は、頼り甲斐があるけれど、どこか冷たい。
「……何考えてるの、私」
別人だ。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかに落ち着く。
心臓が跳ねた自分を、少し恥ずかしく感じながら、私は小さく息を吐いた。
昨夜がどれだけ優しくて、救われる時間だったとしても、私は今日を生きなければならない。
そう自分に言い聞かせるように、私はもう一度、問い合わせが絶え間なく流れる画面へと向き直った。
_/_/_/_/_/_/
「……ログイン、確認できました」
誰かの声に、フロアの全体が静まり返る。
続けて、別の席から声が上がった。
「タイトル画面、問題なしです」
「お知らせ、出てます。障害復旧の告知、反映されてます」
私も自分自身のスマホを取り出し、アルカを起動した。
いつもより長めのローディングのあと、見慣れたタイトル画面が表示された。
その直後、ポップアップが立ち上がる。
【障害復旧のお知らせ】
お詫びとして、ダイヤ200個を配布しました。
ダイヤも、問題なく受け取りができている。
「……大丈夫です。配布までちゃんとできています」
同じように確認していた坂本さんの一言を合図に、オフィスのあちこちから安堵の声が漏れた。
「あーーこんなに電話対応したの入社してから初めてでしたあ」
隣から大きく伸びをした夏目さんの明るい声が響いて、張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
疲れ切っていた顔に、次々と笑みが戻っていった。
「ひとまず問題なさそうですかね……」
いつのまにか掛けていた銀縁のメガネを外した藤堂さんはすっと席を立ち上がった。
その姿を見た誰かが小さく拍手をし、それが自然と広がっていく。
「藤堂さん、本当にすごい……」
「あの短時間で、ここまで持っていくなんて」
気づけば、藤堂さんの周りには人だかりができていた。
彼は少し困ったように微笑みながら、淡々と受け答えをしている。
そして、いつの間にか、その輪の中にいるのは女性社員ばかりになった。
「ドラマみたい……っていうか、普通にかっこよすぎません?」
うっとりした表情で夏目さんが呟き、私も正直納得してしまう。
迷いなく輪の中へ加わっていった彼女を横目に私は小さく息を吐いた。
皆の視線を集める藤堂さんは、まるでヒーローみたいだった。
私はただ、少し離れた場所からその光景を眺めているしかできない。
そっと視線を切り、机の引き出しから財布を取り出した。
時刻はもう15時。
遅めの昼食に行こうと、静かに席を立とうとしたその瞬間、聞き覚えのある低い声が降ってきた。
「あの」
思わず座り直して、ゆっくりと顔を上げる。
「えっ……」
視界に入ったその人に、思考が止まった。
――昨日の雨の夜に出会った、あの人。
柔らかいパーマが優しい印象を与えるスーツ姿。
落ち着いた雰囲気で大人びたその姿は、昨日の彼そのものだった。
大きく高鳴る胸を隠すように彼を見上げる。
頬が熱るのを感じるけれど、彼を目の前にした今隠すこともできなかった。
「来週からお世話になります。藤堂です。この手続き、アシスタントの方にお渡しすればいいと聞いたんですが……ここで大丈夫ですか?」
落ちてきたのは、落ち着ききった、事務的な声だった。
感情を一切含まない言い回しに、胸の鼓動が沈んでいく。
「……はい、大丈夫です」
私は平常を装って書類を受け取った。
彼はそれ以上何も言わず、軽く会釈をすると、そのまま静かに席へ戻っていく。
後ろ姿を見送りながら、胸の奥に残っていた高鳴りが、すっと引いていくのを感じた。
――人違い。
そっくりだと思った容姿は、昨日のように柔らかくなることはなかった。
口角は上がっているのに、目の奥にある冷たい瞳がどこか怖くもあって、私は小さく肩を落とす。
……いや、何を期待していたの。
もう会うことはないって、分かってたじゃない。
昨夜の彼と再会したことを嬉しく思う自分の感情が恥ずかしくなって、私は受け取った書類に視線を落とした。
_/_/_/_/_/_/
第六話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!
次回もぜひよろしくお願いいたします。
胸をぎゅっと抑え、逃げたくなる足を必死で止める。
村上さんからの執拗な指摘は、今日も逃れられないだろう。
京介のことで傷ついた心に、さらに追い打ちをかけられる。
そう考えただけで、どうしようもなく憂鬱だった。
立ち止まることほんの数秒。
重い気持ちを振り切って、なんとかオフィスの扉を開ける。
「おはようございます」
小さめの挨拶を交わしながら自席にいくと、隣の席にいた夏目さんがスマホを閉じてこちらに椅子を回転させた。
「木崎さん、おはようございます!」
「おはよう」
なんだか機嫌が良さそうな彼女を不思議に思いながら席に着く。
少し離れた座席では、村上さんが朝からエンジニアに捕まっていた。
険しい表情で腕を組んだエンジニアにペコペコと頭を下げている。
朝は、声をかけられることはなさそう……。
忙しそうでこちらに来る気配はない姿に、正直ほっとした。
「木崎さん、これ人事から届いてたんですけど……」
椅子のキャスターを滑らせて隣にきた夏目さんに私は視線を戻す。
差し出された書類の束に、私はほんの少し目を通して彼女に概要を伝えた。
「先週言ってたエンジニアさんだよね。藤堂さんだっけ?もう来週からだから、今日のうちに環境周りの準備終わらせられる?分からないところは一緒にやるから」
「あ、そうだそうだ!『アルカ』のための増員でしたよね!」
自社で運用しているRPG『エターナル・アルカ』、通称『アルカ』は、キャラクターグラフィックに定評があり、老若男女に支持されている大ヒット作。
リリースから5周年を迎えた最近は大型アップデートやイベントも増え、サーバー負荷や運用体制がギリギリだと、何度も話題に上がっていた。
運用体制を整えるために中途採用に力を入れている昨今、新しいエンジニアのための準備は珍しいことじゃない。
もう何度か経験しているはずの準備なので、全てできるだろうと夏目さんにお任せすることにした。
「ねえ、木崎さん」
夏目さんが声を潜めて、履歴書の証明写真を指で叩く。
分からないことがあったのかと顔をあげると、にこにこした彼女は嬉しそうに続けた。
「この藤堂さんって方、超イケメンじゃないですか?こんなに素敵なのに経歴までかっこいい!個人事業主のフルスタックエンジニアなんて絶対稼いでますよ!」
朝から機嫌がよかった理由を察して私は眉を下げて笑った。
「夏目さんの好み?担当できるといいね」
適当に相槌を打ちながら、私は書類に目を落とす。
けれどその内容に目を通すよりも先に、電話のベルが鳴り響いた。
それを皮切りに、別の席でも、また別の席でも、立て続けに音が重なる。
「え、ログインできない……?」
「管理画面落ちてる、待って」
電話を取るのと同時に社内の声が聞こえてくる。
エラー……?
電話対応をしながらエンジニアのデスクを見ると、『アルカ』の管理用ダッシュボードにエラーメッセージが表示されているのが見えた。
——『アルカ』で、障害が発生している。
SNSトレンドにも上がるほどの大惨事に、社内の空気は張り詰めたものへと変わっていく。
アシスタントの私たちはカスタマーサクセスの補助へと周り、電話対応に追われることとなった。
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「手を止めずに聞いてほしい!」
部長の声がオフィスに響いたのは、出社して二時間ほど経った頃だった。
キーボードを打つ手を止めることなく、フロア中の意識が一斉に向けられる。
「来週から業務委託で入ってもらう予定のエンジニアが協力してくれることになった!」
大きな障害となっているこの状況に、新しい方を入れるようなことをして大丈夫なのだろうか。
ざわざわと不穏な空気が流れる中、部長は扉に目を向けて廊下にいるのであろうその方に入るように促した。
「ちょうど挨拶に来てくれていた藤堂柊真さんだ。バックエンドからインフラ、運用まで一通り対応できるエンジニアだ。高負荷なオンラインサービスの運用経験が豊富で、以前一緒に仕事をしたこともあるんだ。彼の実力は保証する。指示に従ってくれ!」
部長の話は、社員にはあまり届いていないようだった。
オフィスの入口に立つスーツ姿の長身の男性に、社員の視線はあっという間に奪われる。
背筋をまっすぐに伸ばし、涼やかな目で周囲を見渡すその姿に、自然とざわめきが起こった。
「あの人が即戦力のエンジニア?すっごく若く見えるのに」
「超イケメンだし、スタイル良。モデルって言われても納得する……」
混乱の中でも、彼のオーラはひときわ目を引いた。
「藤堂です。よろしくお願いします」
藤堂さんはそう一言だけ言うと、雑音を気にする様子もなく、まっすぐシステム部の席へ向かう。
「早速、状況を教えてください」
椅子に腰を下ろすや否や、迷いのない声が飛んだ。
「障害が出ているサーバーはどこですか。全台? それとも一部だけ?」
「えっと……一部です。ログイン周りと、イベント配信サーバーが——」
話しかけられた若手のエンジニアは、慌てた様子でなんとか受け答えをする。
「DBは生きてます?」
「えっと……」
「はい、DBの動きは確認できています」
詰まったところを坂本さんが引き継いで藤堂さんの隣に立った。
藤堂さんは坂本さんの迷いのない言葉にほんの少しだけ頬を緩めて、頷く。
「じゃあ、アプリ層ですね。ログ、直近一時間分だけでいいので全部出しましょう。あと、負荷が跳ねた時間帯のグラフ見えます?」
質問が速く、的確で、無駄がない。
指示を受けたエンジニアたちが、反射的に動き出すのが見えた。
「……すご」
「優秀って本当だったんだ……」
アシスタント職の席にいても、システム部の雰囲気がみるみるうちに変わっていくのが伝わってくる。
「復旧優先で行きましょう」
まるで、最初からこの現場にいたかのような手際。
彼の言葉が、ばらばらだった音を一つの流れに整えていく瞬間だった。
私はその様子を見つめながら、どうしてか昨夜のことを思い出していた。
——似ている、気がした。
立ち姿や、落ち着いた所作。
整った横顔にパーマの似合う切れ長の目。
けれど、すぐに違和感が浮かんで私は首を左右に振った。
声が、違う。
昨夜の彼の声は、もっと柔らかくて、包みこんでくれるような温度があった。
今、聞こえてくる的確すぎる声は、頼り甲斐があるけれど、どこか冷たい。
「……何考えてるの、私」
別人だ。
そう思った瞬間、胸の奥がわずかに落ち着く。
心臓が跳ねた自分を、少し恥ずかしく感じながら、私は小さく息を吐いた。
昨夜がどれだけ優しくて、救われる時間だったとしても、私は今日を生きなければならない。
そう自分に言い聞かせるように、私はもう一度、問い合わせが絶え間なく流れる画面へと向き直った。
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「……ログイン、確認できました」
誰かの声に、フロアの全体が静まり返る。
続けて、別の席から声が上がった。
「タイトル画面、問題なしです」
「お知らせ、出てます。障害復旧の告知、反映されてます」
私も自分自身のスマホを取り出し、アルカを起動した。
いつもより長めのローディングのあと、見慣れたタイトル画面が表示された。
その直後、ポップアップが立ち上がる。
【障害復旧のお知らせ】
お詫びとして、ダイヤ200個を配布しました。
ダイヤも、問題なく受け取りができている。
「……大丈夫です。配布までちゃんとできています」
同じように確認していた坂本さんの一言を合図に、オフィスのあちこちから安堵の声が漏れた。
「あーーこんなに電話対応したの入社してから初めてでしたあ」
隣から大きく伸びをした夏目さんの明るい声が響いて、張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
疲れ切っていた顔に、次々と笑みが戻っていった。
「ひとまず問題なさそうですかね……」
いつのまにか掛けていた銀縁のメガネを外した藤堂さんはすっと席を立ち上がった。
その姿を見た誰かが小さく拍手をし、それが自然と広がっていく。
「藤堂さん、本当にすごい……」
「あの短時間で、ここまで持っていくなんて」
気づけば、藤堂さんの周りには人だかりができていた。
彼は少し困ったように微笑みながら、淡々と受け答えをしている。
そして、いつの間にか、その輪の中にいるのは女性社員ばかりになった。
「ドラマみたい……っていうか、普通にかっこよすぎません?」
うっとりした表情で夏目さんが呟き、私も正直納得してしまう。
迷いなく輪の中へ加わっていった彼女を横目に私は小さく息を吐いた。
皆の視線を集める藤堂さんは、まるでヒーローみたいだった。
私はただ、少し離れた場所からその光景を眺めているしかできない。
そっと視線を切り、机の引き出しから財布を取り出した。
時刻はもう15時。
遅めの昼食に行こうと、静かに席を立とうとしたその瞬間、聞き覚えのある低い声が降ってきた。
「あの」
思わず座り直して、ゆっくりと顔を上げる。
「えっ……」
視界に入ったその人に、思考が止まった。
――昨日の雨の夜に出会った、あの人。
柔らかいパーマが優しい印象を与えるスーツ姿。
落ち着いた雰囲気で大人びたその姿は、昨日の彼そのものだった。
大きく高鳴る胸を隠すように彼を見上げる。
頬が熱るのを感じるけれど、彼を目の前にした今隠すこともできなかった。
「来週からお世話になります。藤堂です。この手続き、アシスタントの方にお渡しすればいいと聞いたんですが……ここで大丈夫ですか?」
落ちてきたのは、落ち着ききった、事務的な声だった。
感情を一切含まない言い回しに、胸の鼓動が沈んでいく。
「……はい、大丈夫です」
私は平常を装って書類を受け取った。
彼はそれ以上何も言わず、軽く会釈をすると、そのまま静かに席へ戻っていく。
後ろ姿を見送りながら、胸の奥に残っていた高鳴りが、すっと引いていくのを感じた。
――人違い。
そっくりだと思った容姿は、昨日のように柔らかくなることはなかった。
口角は上がっているのに、目の奥にある冷たい瞳がどこか怖くもあって、私は小さく肩を落とす。
……いや、何を期待していたの。
もう会うことはないって、分かってたじゃない。
昨夜の彼と再会したことを嬉しく思う自分の感情が恥ずかしくなって、私は受け取った書類に視線を落とした。
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