フリーランスエンジニアの優しすぎる無償の愛

春咲さゆ

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第一章 暗闇は深く

第8話 優しすぎる人

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 あの夜の彼が、まさかオフィスで再び現れるなんて。
 偶然にしては出来すぎた再会に、心が浮き足立つのを抑えきれない。

 離れた場所で待つ藤堂さんにはバレないように、閉じかけたディスプレイを利用してさりげなく前髪を整えた。

 22時を過ぎて疲れた顔は少し手を加えたところで大差ない。

 それでも直してしまうのは、どうしてなのか。

「お待たせしました」

「……ああ」

 スマホから顔を上げた彼の低く落ち着いた声。

 曖昧に微笑み返しながら、私は彼の隣に並び、二人でオフィスを後にした。


_/_/_/_/_/_/


 夜風が頬を撫でる心地よい季節。
 並んで歩く藤堂さんとの距離は、人一人分空いていて不思議とその距離がもどかしい。

「……いつから、気づいてたんですか?」

 しばらく無言の時間が流れたのち、恐る恐る尋ねると、藤堂さんは歩調を崩さずに答えた。

「初めの日」

 あまりにも即答で、思わず足が止まりそうになる。

「え……」

「分かるよ。木崎さんも気付いてると思ってた」

 そう言って、彼は少しだけ肩をすくめた。

「私は……似ているとは思ったけど、雰囲気が違うように感じて……」

 藤堂さんの初出勤日を思い出した。
 あまりに似ている男性に驚いたけれど、その淡々とした口調や冷たい所作には違いを感じた。

「どうして……言ってくれなかったんですか?」

 ずっと気付かれていたと思うと、問いかける声が小さくなる。

「困ってるのがおかしくて」

 少し意地悪な答えに、勢いよく彼の顔を見る。

 意地悪に笑っていると思いきや、彼は眉を下げて笑っていた。

「あと……」

 一拍置いてから、彼の言葉は続く。

「もしかしたら、思い出したくない日なのかなって」

 その言葉に、胸の奥がきゅっと縮む。

 やっぱり同じ人だ。
 信じられないくらいに気遣いが繊細で、優しすぎる人。

「……何も言わずに、本当にすみません」

 自然とあの日の続きの言葉が、口をついて出ていた。

「仕事でも、プライベートでも……よくないことが続いてて。あの日は、ちょっと……おかしくて」

 自分でも曖昧だと思う。
 けれど、それ以上具体的なことは言っても仕方がないことのはずだ。

「……でも」

 小さく息を吸って、私はできる限りの笑顔を見せた。

「助けていただいたおかげでもう……大丈夫です」

 言い切った瞬間、夜風が吹き抜けた。

 藤堂さんは、ちらりと横目で私を見る。
 彼は何か言いかけたようで、でも、結局口にはしなかった。

「それならよかった」

 私が言わないことを無理に聞き出そうとしない。

 気づかないふりをする優しさがあることを、私はそのとき、初めて知った。


/_/_/_/_/_/


 帰路を歩く途中、不意に視界が揺れた。

「……っ」

 足元がふらつき、思わず立ち止まった瞬間、背中に回された腕に身体を支えられる。

「大丈夫?」

 低く落ち着いた声が、耳元で響いた。
 肩を掴む彼の手は思った以上にしっかりしていて、その力強さに倒れずに済む。

「す、すみません……。ちょっと疲れてて……」
「顔色悪いよね。……食事、ちゃんと取ってる?」

 しっかりと言い当てられた。

 家に帰れていない三日間は、空いているホテルに適当に入って倒れるように寝るだけの毎日で、食事なんて呼べる食事は取った記憶がない。

 否定しようと口を開いたのに、言葉より先に力が抜けてしまう。

 気づけば私は、彼のスーツの裾をぎゅっと掴んでいた。

「こんな状態で帰れるの?」

「……大丈夫です」

 無理にそう言い張る私を、藤堂さんはじっと見つめた。

 状況を量るような視線に、情けない生活がバレてしまいそうで私は顔を背ける。

「送っていくよ。最寄どこ?」

 当然みたいに言われた言葉に、私は口を噤んだ。

 今日のホテルはまだ決めていない。
 駅で藤堂さんと別れてから、適当に空いているところを探そうと思っていたのだ。

 黙りこくる私に、藤堂さんは少しだけ首を傾げた。

「……言えない?」

 その問いにも答えられずに視線を落とすと、彼は小さく息を吐いた。

「言えないなら、また連れて帰っちゃおうかな」

 ふざけたように柔らかくなった口調にすら、雰囲気を和らげようとする優しさを感じる。

 ——『また』

 あの夜のことを言っているのだとすぐに分かって、私はあろうことか彼の温もりを思い出してしまった。

「……っ」

 一気に顔が熱くなるのが分かる。

 赤面しているのを自覚して真っ直ぐに地面を見つめるしかできない。

 藤堂さんは、おかしそうに顔をそらして笑う。

 その様子にも恥ずかしくなって、私はぐっと彼の胸を押した。

「あはは、ごめん。でも本当に。こんな状態でひとりで返すことはできないよ。家までは行かないから、最寄りだけでも教えてもらえると嬉しいんだけど」

 ゆっくりと私を支える手を話しながら言う柔らかな口調に、私はぎゅっと唇を噛んだ。

「……あの」

 迷いながらも、私は口を開く。

「実は……少し前からホテルにいて。今日の分は、これから……」

 言葉を選びながら、ぽつぽつと話すと、彼は目を見開いた。
 藤堂さんの視線が、私の腕にかかったカバンに落ちる。

 セキュリティ規則が厳しく、持ち帰りができない会社には似つかわしくないくらいの膨らんだ鞄がそこにはあった。

 着替えと、最低限の荷物。
 言葉にしなくても、状況は伝わってしまう。

「……はぁ」

 小さなため息が私の胸を苦しめた。

 藤堂さんには、初めてあった日からダメなところばかり、見られてしまう。
 情けなさに涙が出そうになったその瞬間、彼の口が開いた。

「嫌じゃなければ」

 少しだけ、声のトーンが落ちる。

「家、使ってよ」

 私は思わず、顔を上げて彼を見た。

「……え?」
「ちゃんと休んだ方がいい」

 それだけ言って、彼は私の手を引いた。
 選択権を与えたら私が断るのを見抜いていたんだろうか。

「嫌じゃなければ」なんて。

 嫌なはず、ないのに。
 現実に戻るために、あの日の安堵を忘れ去ろうとしていたくらいなんだから。


_/_/_/_/_/_/


第八話、読んでいただきありがとうございます_(⑉• •⑉_)
気に入っていただけたら、お気に入りやエールをいただけますと励みになります!

次回もぜひよろしくお願いいたします。
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